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2021/10/24

「本当の死が見えないと、本当の生も生きれない」藤原新也 『メメントモリ』 今週のことば 尾畑文正  ポルトガル語、日本語原文 中日新聞文化面より

 


中日新聞文化面より

「本当の死が見えないと、本当の生も生きれない」

藤原新也 『メメントモリ』

今週のことば 

尾畑文正


 中南米では十一月二日はフィナードス(死者の日)である。映画「007 スペクター」は骸骨姿が溢(あふ)れるメキシコのフィナードスから始まる。ブラジルでもフィナードスがあり、墓地には花が飾られる。私がいたサンパウロの寺では七月の孟蘭盆会(うらぼんえ)に準じてこの日をプラジル盆と呼んでいた。誰もが死者への想いは尽きない。死者はかつて私と時間を共にし、過去存在として現在の私に深く関わり、私の未来をも示している。

 中世ヨーロッパでペストが大流行した。人々は死の不安の中で「メメント・モリ」と言い合った。メメント・モリとはラテン語で「死を想え」である。なぜ死を想うことなのか。死を想うことは生を想うことである。死は生きたことの証明である。だから生は死から問われている。いかなる生を生きたのかと。死は自然死だけではない。戦争、虐待、貧困、公害など社会的要因による死もある。それが一層私たちの生の歪(ゆが)みを映し出している。

(同朋大学名誉教授)


"Se você não pode ver a morte verdadeira, não pode viver a vida verdadeira."

Shinya Fujiwara "Mementomori"

Palavras desta semana Bunsho Obata

    Na América Latina, 2 de novembro é o Finados (Dia dos Mortos). O filme "007 CONTRA SPECTRE " começa no Finados do México, que está cheio de esqueletos. Também há um finados no Brasil, e o cemitério é decorado com flores. No templo em São Paulo onde eu estava, esse dia era chamado de Festival Brasil Bon segundo o Festival Ura Bome de julho. Todo mundo tem um sentimento infinito pelos mortos. Os mortos uma vez passaram um tempo comigo, profundamente envolvidos comigo como um ser passado, e também mostrando meu futuro.
    A praga estava na moda na Europa medieval. As pessoas argumentaram "Memento Mori" com medo da morte. Memento Mori é a palavra latina para "pensar na morte". Por que você pensa na morte? Pensar na morte é pensar na vida. A morte é prova de vida. Portanto, a vida está sendo questionada da morte. Em que tipo de vida você viveu? A morte não se limita à morte natural. Também há mortes devido a fatores sociais como guerra, abuso, pobreza e poluição. Ele reflete ainda mais nossa distorção bruta.

(Professor Emérito, Doho University)

    

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2021/10/20

Noteより、毎日ブラジルより、お朝勤と仏教のお話 ポルトガル語、原文、現代文比較 朗読あり

 仏教のポルトガル語のテキストと日本語の原文、そして日本語の現代語訳や語句の意味を掲載しています。

 今日のブログは、いつもは私のもう一つのブログnoteに書いている内容です。

本職はブラジルで僧侶をしているので、毎朝のお勤めのお今日のリンクとその後のお話のノートをnoteにシェアしています。

 noteのいい点はとてもシンプルで名前の通りテキストが読みやすい点です。こちらにもアクセスしてください。毎朝(ブラジル時間)お勤めと法話をしています。下手ではありますが、ポルトガル語でも話させてもらっています。テキストもあるので、特殊ではありますが、ポルトガル語の勉強にも役立つと思います。

https://note.com/izushu/n/ne7aadeb5043a

2021/10/15

仏教のポルトガル語のテキストと日本語の原文、そして日本語の現代語訳や語句の意味を掲載しています。私の完全仏教系ブログ、noteの宣伝です。 

 今日のブログは定期的に行っているもう一つのブログnoteの宣伝です。

https://note.com/izushu

仏教のポルトガル語のテキストと日本語の原文、そして日本語の現代語訳や語句の意味を掲載しています。


 もうブラジルに来て14年目になりますが、現在ブラジルのマリリア市という場所のマリリア真宗本願寺という場所で僧侶として働いています。

 この世がコロナになる少し前からYouTubeで毎朝のお勤めを生中継しているのですが(このブログの最下部に今日の内容を表示させておきます)お勤めの後の法話の代わりに、ポルトガル語に翻訳されたテキストを読んで感想を述べるのを日課にしています。その時にネットで見ている人にもテキストを配れたらいいという思いで作ったのがnoteのブログです。このブログは広告が一切ないのでまさにノートのように見やすく参照しやすいのが特徴です。

 たまにこちらのブラジル日記にもその内容をアップしつつ、noteの宣伝を兼ねさせてもらっています。ちょっと難しいかもしれませんが、日本の仏教の教えがこうやってポルトガル語になってるなんてすごいことだと思います仏教の教えは人間の迷いや苦しみを解決する教えで、現代の私たちにも通用する大切な教えです。ここブラジルはカトリックやキリスト教の教えが大勢を占めていますが、仏教の教えに惹きつけられる人も年々増えています。

 毎日少し仏教の言葉に触れることが、人生の糧となるでしょう。毎日水を飲み、食事をするように一緒に仏教の教えに触れてみてはいかがでしょうか?

ポルトガル語の勉強にもなると思います。


口伝鈔 第九章.    Capítulo 10 


Capítulo 10

 Uma explanação a respeito do Décimo Oitavo Voto 



"Este Buda atualmente permanece na Budeidade44". Esta declaração em uma edição popular diz: "(Este Buda) está neste mundo", No entanto, os professores de Kurodani e Honganji45 omitem o ideograma para "mundo" ao citar esta passagem. Depois de deliberar sobre isso, eu também decidi omitir tal palavra. 


Qual é a justificativa? Primeiro, o Sutra Mahāyāna Abhisamaya diz: "Todos os Budas da budeidade na Terra Pura são corpo de recompensa46 e todos os Budas da budeidade que habitam esta terra contaminada são corpos de transformação47." Esta passagem revela que o grande Mestre Shan-tao não usou o ideograma “mundo" que apareceria para tornar este princípio superficial e vulgar, ao esclarecer o princípio do corpo recompensa e Terra da Recompensa. 


É provavelmente porque não faria muito sentido se Tathagata Amida na Budeidade na Terra Pura for expressa como "(Amida) agora neste mundo." Entretanto, como a Terra Pura é muitas vezes interpretada como o mundo da suprema alegria, algumas pessoas podem perguntar-me como é que o ideograma "mundo" contradiz o significado do corpo da recompensa e da Terra da Recompensa. Na verdade, é uma das teorias que nossa escola usa para explicar a Terra Pura em palavras simples. Outras escolas também parecem aplicar o ideograma "mundo" para explicá-lo em termos mundanos. O Abhidharma-kośa, capítulo de Loka diz, "o mundo receptáculo é suportado pelo disco do vento." Isto mostra quando o mundo material é discutido, o ideograma ("mundo") é usado. É, sem dúvida, bem fundamentado porque o Bodhisattva Vasubandhu escreveu isso.

No entanto, no Verdadeiro Ensinamento baseado no entendimento de Mestre Shan-tao, a teoria do corpo de recompensa e Terra da Recompensa já foi estabelecida como uma orientação normativa. Ao recordar a passagem do Tratado de Vasubandhu, "Quando contemplamos esse mundo, ele ultrapassa os caminhos do mundo triplo48", para expor o Tathagata Amida cuja verdadeira realização que torna a Terra do "mundo" ser usado? Isso sugere razões para omitir este ideograma. Em vez de lê-lo como, "Este Buda está agora presentemente na budeidade", claramente soa melhor, e de um ponto de vista da lógica e da ideia-chave expressa, este ideograma "mundo" literalmente não tem lugar. Ao discutir este ponto defendido por ambos os patriarcas, Mestre Hônen o mais sábio de todos os nomes famosos das Oito Escolas (especialmente aquelas que tomam a posição dos Três Tratados), disse: "Embora nenhuma linhagem exponha o Voto desta forma, a interpretação do Verdadeiro Ensinamento da Terra Pura faz mais sentido para mim." 





44 

Da obra Hinos de Louvor do Ir-Nascer [Ojöraisan]do Mestre Shan-tao “


45

Respectivamente Hōnen e Shinran



46

Em sânscrito,[Sambogakaya], é a manifestação da verdade em forma absoluta, para além da necessidade de discriminação em conceitos. Representa a Verdade que está além da forma e da ideia. 



47

 Em sânscrito, [Nirmanakaya], é a mais concreta das manifestações, que adquire um corpo, aparecendo em benefício dos seres. Corresponde ao corpo manifestado de Buda. 


48

"Em sanscrito, [Triloka] - O Mundo Tríplice são os mundos dos desejos, da forma e sem-forma. 



原文


第十八願取意の文

(10)

一 十八の願につきたる御釈の事。

 「彼仏今現在成仏」(礼讃)等。この御釈に世流布の本には「在世」とあり。しかるに黒谷·本願寺両師(源空·親鸞)ともに、この「世」の字を略して引かれたり。

 わたくしにそのゆゑを案ずるに、略せらるる条、もつともそのゆゑあるか。まづ『大乗同性経』にいはく「浄土中成仏悉是報身(ほうじん) 穢土中成仏悉是化身」(意)[文]。この文を依憑(えひょう)として、大師(善導)、報身報土の義を成ぜらるるに、この「世」の字をおきてはすこぶる義理浅近(せんごん)なるべしとおぼしめさるるか。そのゆゑは浄土中成仏の弥陀如来につきて、「いま世にましまして」とこの文を訓ぜば、いますこし義理言はれざるか。極楽世界とも釈せらるるうへは、「世」の字いかでか報身報土の義にのくべきとおぼゆる篇(へん)もあれども、さればそれも自宗におきて浅近(せんごん)のかたを釈せらるるときの一往の義なり。

 おほよそ諸宗におきて、おほくはこの字を浅近(せんごん)のときもちゐつけたり。まづ『倶舎論』の性相[「世間品」]に、「安立器世間風輪最居下(こげ)」と等判ぜり。器世間を建立するときこの字をもちゐる条、分明なり。世親菩薩(天親)の所造もつともゆゑあるべきをや勿論(もちろん)なり。しかるにわが真宗にいたりては善導和尚の御こころによるに、すでに報身報土の廃立をもつて規模とす。しかれば、「観彼世界相勝過三界道」(浄土論)の論文(ろんもん)をもつておもふに、三界の道に勝過せる報土にして正覚を成ずる弥陀如来のことをいふとき、世間浅近(せんごん)の事にもちゐならひたる「世」の字をもつて、いかでか義を成ぜらるべきや。

 この道理によりていまの一字を略せらるるかとみえたり。されば「彼仏今現在成仏」とつづけてこれを訓ずるに、「かの仏いま現在して成仏したまへり」と訓ずれば、はるかにききよきなり。義理といひ文点(もんてん)といひ、この一字もつともあまれるか。

 この道理をもつて、両祖の御相伝を推験して八宗兼学の了然上人(りょうねんしょうにん)[ことに三論宗]にいまの料簡を談話(たんかい)せしに、「浄土真宗におきてこの一義相伝なしといへども、この料簡もつとも同ずべし」と[云々]。



現代文

第十八願に関するご解釈のこと。「彼の仏は今現(いまげん)に仏と成って在(おわ)します」などと(『往生礼讃』に)(注1 詠われている。このご解釈について、世の流布本では「世に在します」とある。ところが黒谷の法然上人と本願寺の親鸞聖人の両師ともに、この「世」の字を省略して引用された。わたし一個の考えをもってこの理由を考えてみると、省略されたことは、確かにその理由があるのではないか。まず 『大乗同性経』(注2)には、「浄土で仏となっておられる方は、すべて報身(注3)であって、この穢土(注4)で仏となっておられる方はすべて化身(注5)である」と言っている。この文をよりどころとして、善導大師は(注6)阿弥陀仏の報身・報土の義を成立されるには、この「世」の字をそのまま文中に置いたのでは、はなはだしくこの文の意味するところや筋道が浅薄になるだろう、とお考えになったものであろうか。その理由は、「浄土の中にあって仏と成」っておられる阿弥陀如来について「いま世においでになって」と、この文を読むならば、いま少し意味や筋道が成りたたないからではないか。「極楽世界」とも解釈しておられる以上は、(注7)「世」の字がどうして報身・報土の義にそむくようなことになろうか、と考えられるふしもあるけれども、しかしこうした考え方もわが宗ではわかりやすく常識的解釈をされるときに立てる一往の説である。


 おおよそ諸宗においては、多くはこの「世」の字を常識的な説明のときに用いる習慣になっている。まず 『倶舎論』(注8)へ世間品には「器世間をささえて、風輪はもっとも下に居る」と判じているように、器世間をたてる場合にこの字を用いていることが明白である。世親菩薩の著書〔にしめすところ〕であるから、もっとも理由があることはいうまでもない。もちろんのことである。ところがわが真宗においては、善導和尚のお考えによって、すでに阿弥陀仏の報身・報土を自説と立てて、他説を廃することを手本とする。したがって「かの世界の相を観ると、(注9)三界(注10)の道に勝れ過っている」という 『浄土論』の文をもって考えあわせると、三界の道に勝れまさっている真実の浄土にあってさとりを完成した阿弥陀仏のことをいう場合に、世間の常識的な事を説明するのに用いてきた「世」の字をもって、どうして報身・報土の義を成立することができようか、できないのである。この理由によって、いまの一字を省略せられたものか、と考えられる。だから「彼の仏は今現に仏と成って在します」と続けて、この文をよむときに「かの仏はいま現においでになって仏と成っておられる」とよめば、遥かに聞き易いわけである。意味内容からも、文章の構成からも、この一字はもっとも不必要ではないか。この道理によって両祖師の伝えられたお考えを推しはかって、八宗兼学の了然上人(とくに三論宗〔を学ばれたひと〕)にいまのような理解をお話ししたところ、「このことについて教えを受け伝えてはいないが、浄土真宗において理解されたところが、わたしには一番同意できる」と言われた。




 『往生礼讃』にこの文は善導の 『往生礼讃』の文で、そこには「彼仏今現在世成仏」(真宗聖教全書一。六八三)とあるが、いまそのなかの「世」を除いた文を掲げて、その理由を論ずるのである。法然はこの文を 『選択集』に引用(同一。九四〇)し、親鸞自身もこれを 『教行信証』行巻に引用している(同二・二〇ー1)。 


『大乗同性経』ここに掲げる 『大乗同性経』(大正大蔵経一六)の文は「浄土中成仏、悉是報身。穢土中成仏、悉是化身」とあるが、これは同経下巻の意を取ったもので、この文は、道綽の 『安楽集』上巻に同経の文として引用しているもの(同一・三八三)と一致する。したがって覚如はこの文を 『安楽集』から孫引きしたものである。 『往生要集』第一〇章、第一にもこの 『安楽集』の文を引用している(石田瑞麿(みずまろ)」訳 『往生要集』 2、二四八ページ。東洋文庫所収)。 


『敷異抄』第一章注一参照。一ニページ。


穢土

煩悩にけがれているところという意で、われわれのすむ、この姿婆世界である。浄土に対する。


化身

仏が姿をかえてあらわれたもので、権化などともいう。親鸞がいう方便報身はこれと同じではない。


善導大師は

善導は 『観経疏』玄義分で、みずから問答を設けて、阿弥陀仏の浄土は報土か化土か、と論じて、『大乗同性経』に説くように、「西方の安楽の阿弥陀仏はこれ報仏・報土」(同一・四五七)と答えている。


極楽世界と解釈しておられる

主として善導を考えてよいが、かならずしも善導だけがこの表現を用いるのではない。


『倶舎論』


 第十一巻分別世品に説かれる詩である(大正大蔵経二九。五七上)。これは仏教世界観の一端を示すもので、われわれの住む山河、大地などの器世間をささえる、基盤を構成しているものに風・水・金の三輪があって、風輪は最下部にある、という考え方である。


かの世界の相……世親の 『浄土論』の詩に見られる(同一・三六九)。


10

三界

欲界・色界・無色界の三であるが、生を享けるものが生れかわり、死にかわる流転輪廻の迷いの世界を階位の上から三っに分けたもの。


11

了然

 『最須敬重絵詞』第六巻によれば、光明寺の自性房了然は三論宗のひとで、京極中納言定家の嫡子光家の子である。禅を道隆に学んだという(同三。八四八)。


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歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版
親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)




2021/10/14の朝のお勤めの様子


「ブラジル・シュウちゃんねる」


2021/10/06

ブラジルの僧侶、ジアンさんからのメッセージ 「宗教と差別」2  “Religião e Discriminação” Rev. Jean Tetsuji 2

今回はブラジルのお坊さんジアン哲慈さんのコラム第二弾を紹介いたします。
彼はレインボーサンガという宗派を超えて連帯し、差別をなくす運動をここブラジルで展開しています。 とても柔和な方で、イケメンでもあります。
 僧侶になる前からエアーフランスの客室乗務員をなさっています。そのジアンさんが、サンパウロ別院の発行しているお便りに、差別と宗教というテーマで連載を始めました。

 ブラジルの現在のお坊さんは、この現代社会においてどのように仏教を学び、それを発信しているのでしょうか? 
その一つがこのコラムを読めばわかると思います。
ポルトガル語の勉強にもなると思います。ぜひ読んでみてください。 
連載です。

ブラジルの別院サイト・オフィシャル

(過去の別院だよりも、このサイトにあります)

Rainbow Sangha - Budismo LGBT+

ブラジルの差別に反対するサイトです


 Religião e DiscriminaçãoRev. Jean Tetsuji  2

Olá a todos, espero que se encontrem bem e seguros! Nas outras edições refleti um pouco sobre a origem da discriminação apontando possíveis causas - medo, comparação, julgamento - como parâmetros da intolerância e da discriminação. E hoje seria pensar no ambiente religioso. Ouvimos muito a expressão Budismos no plural, conforme nosso saudoso e querido prof. rev. Ricardo Mário, como fossem coisas discordantes. E na ânsia de querer o melhor, procuramos selecionar o mais correto e legítimo. Costumo dizer que as escolas budistas não concorrem entre elas. Elas são expressões de um mesmo tronco por ramos diversos. 

E lembremos que Buda Shakyamuni ensinou por formas adequadas às pessoas com capacidades espirituais diferentes, e sobretudo para eras distantes, quando um Buda não estaria mais presente. Nesse sentido, o Budismo não pode ser entendido como um produto acabado, engessado, como diz rev. Nobuo Haneda em um de seus artigos*. As diferenças de pensamentos podem ser saudáveis quando bem conduzidas, mas trazem no pacote a possibilidade da soberba e da discórdia, e isso ocorre nas comunidades religiosas, inclusive budistas. Os possíveis desafetos desestabilizam a comunidade. Por isso a importância de escutar o Dharma (prática de monpô), estudar, debater e elucidar pontos incompreendidos e sobretudo se permitir à reflexão, à humildade e à reconciliação. 

Uma das cinco perversidades excludentes no 18o Voto de Amida é a cisão no Sangha (os outros quatro são: matar um pai, matar uma mãe, matar um asceta e derramar o sangue de um Buda). E por sua compaixão incondicional, uma característica da Terra Pura é ser uma terra onde todos são iguais. Vemos esta equalização no 3o Voto ao falar que todos possuirão a cor de ouro. Gosto muito ainda da explanação do Rev. Haneda quando entende a Terra Pura como uma inspiração ao Sangha e um local de transformação. A Terra Pura sendo aqui e agora. Não estamos em competição, estamos juntos no Caminho. A Luz do Buda opera em nós como somos, sem pedir que mudemos. Porém, essa interpretação pode ser mal recebida se recortada de um pensamento maior. 

Entretanto, não cabe uma comodidade de se fazer e ser como se bem entende, em atitude soberba, detratora e intolerante. Para isto existe um termo, Hongan Bokori, o qual o verbo hokoru significa ser orgulhoso, vangloriar-se, no caso do Voto Original por saber que será salvo como seja você como for. Ao ser tocado pelo Voto do Buda, nossas ações paulatinamente tendem a ser mais compassivas e humanas, e não o contrário. Creio ser esse o significado da Terra Pura como local de transformação e a reflexão que rev. Masato tenha nos trazido. Nosso espaço aqui é curto, merece ser desdobrada em boas conversas! E como está a saúde, a harmonia, do seu Sangha? Um abraço e até a próxima e última coluna. 

*site www.maida-center.org 





「宗 教と差別 ジェアン 哲慈  2


みなさん、こんにちは。お元気のこととお 喜 申し上ます。 前号は、「恐れ、比較、判断」不寛容と差別の要因として指摘きるのはないかと申 しました。 今回は、 宗 教 的な問題について 考 えていきたいと思います。 

 私たちのよき師あったリカル先生によると、仏 教 複数の教えあるよ うに誤解され、その上、それれの教え意見合わないとよくおっしゃってい ました。 私たちはのようなものに対しても最高のものを欲しる中、残念 なら、教えに対しても 最 も正確合法的なものを選択しようとしてしまいます。

 私はよく同仏 教 の教えは互いに 競 争しないと言っています。 それらは、同幹を持ついくつかの枝のようなものす。お釈迦様は、異なった思考や能 、逆 にそれらは相手を軽蔑したり、不仲を生む可能性あります。このようなことは仏 教 徒を含む 宗 教 コミュニティー発生します。 起こりうる不満はコミュニティーの信頼を失いさせます。

からこそ、教えに耳を 傾 け、勉 強 し、理解きていない部分について議論 し、解明し、そして何よりも自分自身反省し、謙虚に、そして互いを認め合うこと 重 要あると思います。 

 阿弥陀様の第18願救いから除かれる五 逆 の中の 1 つに、サンの分裂あります。(他の 4 つは、父親の殺害、母親の殺害、阿羅漢の殺害、仏陀を傷つけて 出 血させることす。) しかし、 浄 土は無 条 件の慈悲あり、誰も 平 等 す。 誰も金色 輝 いているという 3番目の願い教えられていて、それをもって 平 等なのす。 

浄土をサンへのはたらきと変容の場として理解している羽田先生の説明とても好きす。 浄土は今ここにあります。 私たちは競争していません。同道を歩んいます。
仏の光 は、私たちに変化を求めることなく、私達を有りのまま照らしてくれています。 しかし、この解 釈 は、本来の意図から切り離された場合、異なった受け止め方可能となります。 それは、傲慢、 中 傷 的、不寛容な態度、好き勝手な行動をとることはありません。 これには、弥陀の本願を、あなたがどんな人も救われると自慢し、誇りに思うことを意味する「本願こり」という用語あります。 

仏の本願に心打たれたら、 私 たちの行動には徐々に思いやり、 人間的になる傾向見られ、その 逆 はないはずです。これ、変容の場としての 浄 土の意味あり、このようなことの反省を浦西先生は提案されたのはないかと思っています。 このスースは限られています、これをきっかけに 沢山の話し合いをされることを願っています! あなたのサンの 調 和はすか? それは、アラッソ、次回最後の記事となります、それま、お元気! 

 *ウェサイトwww.maida-center.org 


「ブラジル・シュウちゃんねる」

 

(動画付き)直綴(じきとつ・黒衣)のしつけ方 直綴を開封して初めにするといいこと。

 直綴(じきとつ・黒衣)はひだが繊細で崩れやすいので最初に、アイロンをかけて折り目をつけるといいと思います


毎朝お朝の勤行で着衣する直綴を10年ぶりくらいに新調しました。直綴は動画でも解説していますようにひだが特徴で、乱れやすいので使う前にアイロンで折り目をしっかりつけておくと、畳みやすいです。結果長く綺麗に使用できるのです。

今回は、開封してアイロンを当てる方法を動画にしてみました。小松時代に教わったことを思い出しながらやってみました、細かいところは動画では伝えにくい部分もありましたが、参考になれば幸いです。


特に直綴はハンガーにかけると裾のひだが広がってしまい一気にダメになってしまうので、毎回畳むひつようがあります。最初は手間に思うかもしれませんが、毎日やっていると素早くできるようになりますのでぜひお試しください。



それでは動画をご覧ください




「ブラジル・シュウちゃんねる」





2021/10/01

『口伝鈔』 口伝鈔 第九章. Capítulo 9 ポルトガル語翻訳(オフィシャル)と原文、現代文付き(私の他のブログnoteの宣伝です)

タイトルにもありますように、時々このブログでわしのもう一つのブログnoteの宣伝をしています。



 こちらはほぼ毎日更新していて、noteというブログの特性上広告もつきません。私の職業が南米はブラジルのマリリア市にあるお寺、マリリア真宗本願寺では毎朝ブラジル時間の7:30からYouTubeで朝のお勤めの生中継をしています。お勤めの後のお話のテキストをnoteにアップしている次第です。

 日々少しづつ仏教のお話を聞いてみてはいかがでしょうか?

https://note.com/izushu  (私のノートです)

 ポルトガル語がついているのが大きな特徴かと思います。原文は古文で日本人でも難しいのですが、かといって現代文を読んでもやっぱりむづかしいなという場面もあります。それを辞書をめくりながらポルトガル語で表現されている文章を味わってみるとまた意外な世界がひらけてくるのが面白いです。
今回は全文あげていますが、毎日少しづつ区切って朗読、そして語句の意味、感想を述べています。

今日のYouTubeはこちらです。 今回は全文を朗読しています。


「ブラジル・シュウちゃんねる」



口伝鈔 第九章.    Capítulo 9 


Um incidente com Shōkõ de Chinzei 



 Certa vez, Mestre Shinran dirigia-se ao eremitério de Mestre Kurodani37, quando um passante perguntou a um servo que o acompanhava: "Por favor, me diga onde encontrar os aposentos do Mestre, que disse ser o mais sábio de todos os mestres vivos e dentre os famosos nomes das Oito Escolas da capital. O criado enviou a solicitação ao Mestre Shinran, que estava sentado num palanquim. Este disse: "A residência do Mestre mais sábio? Você deve estar se referindo ao Mestre Genkū39. Você deve estar vindo visitá-lo, certo?" Então, o praticante disse: "Exatamente. Devo discutir um assunto com Mestre Genkū". 


   Mestre Shinran continuou: "Permita-me guiá-lo. Por favor, mon- te em meu palanquim."O praticante ficou surpreso, dizendo: "Eu creio que não sou digno. "O Mestre disse "Na busca do Dharma, não se deve ter um coração covarde. Não estamos ligados como discípulos de Shakyamuni? Não há necessidade de formalidades." "Mais uma vez recusando, o praticante se desculpou profusamente. Finalmente, Mestre Shinran instruiu o servo a carregar a caixa de livros do homem e o conduziu à carruagem. 


   Ao chegar ao eremitério e encontrar Mestre Genkū, Shinran anunciou: "Um viajante veio de Chinzei40 em busca de seu eremitério a procura do Dharma. Ele é um companheiro que eu conheci na vinda até aqui. Por favor, poderia recebê-lo?" Mestre Genkū disse: "Por favor, dê as minhas boas-vindas a esta pessoa."Assim, Mestre Shinran guiou o praticante e o trouxe ante à presença de Genkū. Mestre Genkū olhou para o praticante, que olhou para trás. 


Seguiu-se então um longo silêncio. Depois de um tempo, Mestre Genkū disse: "Quem é você e o que o traz aqui?" 

   O praticante anunciou: "Eu sou de Chinzei. Viajei à capital em busca do Dharma e agora busco uma entrevista consigo." 

   O Mestre perguntou: "Em busca do Dharma? Qual Dharma que você procura?" 

   O praticante disse: "Eu procuro Dharma do Nembutsu." 

   O Mestre assim perguntou: "Nembutsu? Nembutsu da China ou Nembutsu do Japão?" 

   O praticante fez uma pausa, pensou um momento, então respon- deu: "Eu procuro o Nembutsu da China." 

   O Mestre disse: "Você deve ser o discípulo de Zendo41!" 

   Nesse ponto, o praticante removeu uma pedra de tinta de sua manga e escreveu um nome de dois ideogramas e apresentou-o. Ele disse: "Eu sou Shōkō² de Chinzei". 

   

   Em Chinzei, este eremita43 Shōkō pensou: "Eu irei para a capital e conhecerei o Mestre conhecido como o mais sábio do mundo. Nada vai ficar em meu caminho. Eu irei rapidamente e desafiarei o Mestre para uma sessão de perguntas e respostas. Se ele se mostrar mais sábio, serei seu discípulo. Se eu ganhar, ele deve tornar-se meu discípulo." 


   No entanto, Mestre Genkū, uma pessoa iluminada, notou a atitude arrogante do praticante que explicava suas perguntas pontuais. 

   O eremita Shōkō percebeu que seu conhecimento era muito me- nor que o do Mestre Genkū e nunca faria dele seu discípulo. Logo sua bandeira de arrogância desmoronou, forçando-o a apresentar Mestre Genkū com o nome de dois ideogramas significando submissão ao seu novo professor. 


   Dois ou três anos depois, Shōkō tomou a caixa de livros que levava, apareceu diante do Mestre e anunciou: "Porque sinto falta da minha terra, voltarei para Chinzei. Quero me despedir. "Em suma, ele parecia dizer que tinha aprendido o suficiente com o Mestre Hōnen e estava deixando a Irmandade.


   Quando Shōkō passou pelo portão, o Mestre gritou "E melhor para os novos praticantes rasparem suas cabeças quando começarem a prática!" Ouvindo essas palavras, Shōkō deixou escapar:”  "Há muito tempo que eu, Shōkō, fui ordenado u, monge. Agora você me aconselha a cortar meu cabelo? Isso é estranho, Eu realmente não posso partir com tal conselho alojado em meus ouvidos. Somente retornarei para casa depois do Mestre explicar." 


   Nesse ponto, o Mestre disse: "Um professor budista deve cortar três tipos de cabelo: arrogância, lucro e fama. Durante três anos que passou aqui, você fez um registro escrito de declarações importantes do Dharma, Voltando à sua pátria apenas para tratar os outros como seres inferiores e se pavonear com um ar de superioridade. Com esses cabelos de superioridade, ninguém o consideraria um bom aluno do budismo, Essa é uma fama que procura. Essas pessoas procuram lucro para si mesmas na comunidade budista. Somente as pessoas despojadas desses três tipos de cabelo são dig nas de serem mestres budistas. Assim, aconselho voce," 


   Um Shōkō cheio de remorso agora removia as escrituras do fundo de sua caixa de livros e então as queimou. Assim, dizendo adeus, ele partiu. No entanto, os vestígios do velho Shōkō permaneceram. Eventualmente, ele ignorou o conselho, virou as costas aos ensinamentos do Mestre e começou a dizer às pessoas que o Ir-nascer é obtido através de várias práticas e que os obstáculos de um eram obstáculos para os outros, Ele se esqueceu das injunções de nosso professor patriarcal e, em vez disso, pensou que as forças ocultas dos deuses não eram nada a temer, Como foi deplorável e assustador! 


   A história de Shōkō é notável porque ele recebeu a orientação de Shinran e entrou na Irmandade de Kurodani.

   Todos os alunos do Verdadeiro Ensinamento devem levar isso a sério,







37

 [Kurodani Shönin], outro nome dado a Hōnen ou Genkū


38

 As 8 escolas são Hosso, Kegon, Kusha, Jojitsu, Sanron, Ritsu, Tendai e Shingon 


39

Mais um nome atribuído a Hōnen 


40

 Região de Kyūshū 


41

[Zendô Daishi] – outro nome para se designar Mestre Shan-tao 


42

Benchô, 1162-1238 – se tornou um dos mais importantes discípulos de Honen. 


43

Em japonês, [hijiri],um eremita leigo que vive como um monge sem receber as investiduras oficiais





原文
口伝鈔 下
三種のもとどり

(9)

一 あるとき鸞上人(親鸞)、黒谷の聖人(源空)の禅房へ御参ありけるに、修行者一人、御ともの下部案内していはく、「京中に八宗兼学の名誉まします智慧第一の聖人の貴坊やしらせたまへる」といふ。このやうを御ともの下部、御車のうちへ申す。鸞上人のたまはく、「智慧第一の聖人の御房とたづぬるは、もし源空聖人の御ことか、しからばわれこそただいまかの御坊へ参ずる身にてはんべれ、いかん」。修行者申していはく、「そのことに候ふ、源空聖人の御ことをたづねまうすなり」と。鸞上人のたまはく、「さらば先達すべし、この車に乗らるべし」と。修行者おほきに辞しまうして、「そのおそれありかなふべからず」と[云々]。鸞上人のたまはく、「求法のためならば、あながちに隔心あるべからず、釈門むつび、なにかくるしかるべき、ただ乗らるべし」と。再三辞退申すといへども、御とものものに、「修行者かくるところのかご負をかくべし」と御下知ありて、御車にひき乗せらる。

 しかうして、かの御坊に御参ありて空聖人(源空)の御前にて、鸞上人、「鎮西のものと申して修行者一人、求法のためとて御房をたづねまうしてはんべりつるを、路次よりあひともなひてまゐりて候ふ、召さるべきをや」と[云々]。空聖人、「こなたへ招請あるべし」と仰せあり。よりて鸞上人、かの修行者を御引導ありて御前へ召さる。そのとき空聖人、かの修行者をにらみましますに、修行者また聖人(源空)をにらみかへしたてまつる。かくてややひさしくたがひに言説なし。しばらくありて空聖人仰せられてのたまはく、「御坊はいづこのひとぞ、またなにの用ありて来れるぞや」と。修行者申していはく、「われはこれ鎮西のものなり、求法のために花洛にのぼる、よつて推参つかまつるものなり」と。そのとき聖人「求法とはいづれの法をもとむるぞや」と。修行者申していはく、「念仏の法を求む」と。聖人のたまはく、「念仏は唐土(中国)の念仏か、日本の念仏か」と。修行者しばらく停滞す。しかれどもきと案じて「唐土の念仏を求むるなり」と[云々]。聖人のたまはく、「さては善導和尚の御弟子にこそあるなれ」と。そのとき修行者、ふところよりつま硯をとり出して二字を書きてささぐ。鎮西の聖光坊これなり。

 この聖光ひじり、鎮西にしておもへらく、「みやこに世もつて智慧第一と称する聖人おはすなり、なにごとかは侍るべき、われすみやかに上洛してかの聖人と問答すべし、そのときもし智慧すぐれてわれにかさまばわれまさに弟子となるべし。また問答に勝たばかれを弟子とすべし」と。しかるにこの慢心を空聖人、権者として御覧ぜられければ、いまのごとくに御問答ありけるにや。かのひじりわが弟子とすべきこと、橋たててもおよびがたかりけりと、慢幢たちまちにくだけければ、師資の礼をなしてたちどころに二字をささげけり。

 両三年ののち、あるときかご負かきおいて聖光坊、聖人の御前へまゐりて、「本国恋慕のこころざしあるによりて鎮西下向つかまつるべし、いとまたまはるべし」と申す。すなはち御前をまかりたちて出門す。聖人のたまはく、「あたら修学者がをきらでゆくはとよ」と。その御声はるかに耳に入りけるにや、たちかへりて申していはく、「聖光は出家得度してとしひさし、しかるに髻をきらぬよし仰せをかうぶる、もつとも不審。この仰せ、耳にとまるによりてみちをゆくにあたはず。ことの次第うけたまはりわきまへんがためにかへりまゐれり」と[云々]。

 そのとき聖人のたまはく、「法師には三つの髻あり、いはゆる勝他·利養·名聞これなり。この三箇年のあひだ源空がのぶるところの法文をしるし集めて随身す。本国にくだりて人をしへたげんとす、これ勝他にあらずや。それにつけてよき学生といはれんとおもふ、これ名聞をねがふところなり。これによりて檀越をのぞむこと、詮ずるところ利養のためなり。この三つの髻を剃りすてずは、法師といひがたし。よつて、さ申しつるなり」と[云々]。

 そのとき聖光房、改悔の色をあらはして、の底よりをさむるところの抄物どもをとり出でて、みなやきすてて、またいとまを申して出でぬ。しかれどもその余残ありけるにや、つひに仰せをさしおきて、口伝をそむきたる諸行往生の自義骨張して自障障他すること、祖師(源空)の遺訓をわすれ、諸天の冥慮をはばからざるにやとおぼゆ。かなしむべし、おそるべし。しかればかの聖光房は、最初に鸞上人の御引導によりて、黒谷の門下にのぞめる人なり。末学これをしるべし。


現代文

一。

 あるとき、親鸞人が黒谷の法然上人のお住居をお訪ねしたおり、一人の修行者が聖人のお供の下僕(しもべ)に道案内をたのんで、「都に八宗兼学注一のほまれ高い智慧第一の上人のお住居をご存知であろうか」とたずねた。この次第をお供の下僕が車の中の聖人に申し上げた。親鸞聖人は、「智慧第一の上人のお住居と言って尋ねたのは、もしや源空上人のことであるか。それならば、わたしもこれからそのお住居をお訪ねしようとしているものであるが、どうなさるか」と仰せられた。修行者は、「確かにそのことである。源空上人のことをお尋ね申したのである」と答えた。親鸞聖人が、「それでは案内しよう、この車に乗られるとよい」と仰せられると、修行者はかたく辞退して、「それは遠慮しなくてはならない、お受けすることはできない」と言った。親鸞聖人は、「仏の教えを求めるためならば、強いて遠慮する必要はない。同じ教えを奉ずるもの同志が親しくすることになんの不都合があろうか、すぐ乗られるとよい」と仰せられて、再三辞退するにもかかわらず、お供のものにも、「修行者が背負っている負い籠をかつぐがよい」と命ぜられて、修行者をお車の中に引き乗せられた。そうして、かのお住居にお訪ねになって、源空上人の前で、親鸞聖人は、「鎮西の者と言って、修行者が一人、教えを求めるためといって、上人をお尋ね申していたのを、道の途中より伴って参りました。お召しになりますか」と申し上げた。源空上人には「ここにまねくがよい」との仰せである。そこで親鸞聖人はかの修行者をお導きになって、上人の前に召された。そのとき、源空上人はじっと眠をすえて修行者をにらんでおいでになると、修行者もまた上人をにらみかえし、こうしてやや久しいあいだ、たがいになにも語ることがなかった。暫くたって源空上人が仰せられて、「あなたは何処の人か、またなんの用があって来たのか」と言われた。修行者は、「私は鎮西の者である。教えを求めるために花の都にのぼって来たので、そのためにこうして不躾ではあるが、お訪ねしたものである」と答えて言った。そのとき上人は、「教えを求めるとは、どの教えを求めるのか」と問われ、修行者は「念仏の教えを求める」と言った。上人が、「念仏はシナの念仏か、日本の念仏か」と間うと、修行者は暫く答えあぐんでいたが、しかし十分思案したうえで、「シナの念仏を求めるのである」と答えた。上人は「それでは善導和尚のお弟子である」と言われた。そのとき、修行者は懐中より携帯用の覗を吸りだして、二字を紙に書いて捧げた。鎮西の聖光房が、このひとである。この聖光上人が鎮西に居たとき、思うには、「都には世をあげて智慧第一と称する上人がおいでになる。しかしどれほどのことがあろうか。自分は早速、上京して、かの上人と問答しよう。そのとき、もし智慧が勝れて、自分に打ち勝つならば、自分が弟子になろう。また自分が間答に勝つならば、かれを弟子にしなければならない」と考えた。ところがこの慢心を仏·菩薩の生れかわり〔であった〕源空上人はお見通しになられたから、いまのようにお問いになられたのであろうか。「この上人を自分の弟子とすることは、梯子を立てても及ぶことは出来ない」と考え、高慢の旗(はた)も忽ちくだけたから、師資の礼をとって、ただちに二字を書いて捧げたのである。二、三年たった後、あるとき負い簡を背に負うて聖光房が上人の前に行って、「郷里が恋しく思われる(出)はしごので、鎮西に下ろうと思います、お暇をたまわりたい」と申しあげ、ただちに上人の前から下って旅立ち、門を出て行った。上人が言われるには、「あたら修行者が、髻(もとどり)も切らないで出て行くとは、なんと残念なことだ」と仰せられた。その声が遥か遠くから耳に聞えてきたのであろうか、聖光は引きかえして来て申しあげた。「聖光は出家得度してからすでにとし久しくなりましたが、それなのに髻(もとどり)を切らないという仰せを頂いた。これは極めていぶかしいことです。この仰せが耳に留ってきえないので路を先へ行くことができず、事の次第を承り、それを納得するために帰って来ました」そのとき、上人が言われるには、「法師には剃らなければならない三つの髻(もとどり)がある。いわゆる勝他と利養と名聞とである。この三年のあいだ、わたしが述べたところの教義を記し集めてそれを携え、郷里にくだって人々をこまらしてやろうとされるが、これは勝他ではなかろうか。またそれと同時に、勝れた学者だとほめられようと思っているが、これは名聞をねがっているものである。さらに信者を得ようと望むことは、とりもなおさず利養のためである。この三つの髻(もとどり)を剃り捨てなければ、法師と言うことはできない。だからあのように言ったのである」と仰せられた。そのとき聖光房は改俊の色を顔にあらわして、負い篭の底におさめた書きものなどを取りだしてみな破り捨て、また別れを告げて出て行った。しかしながらそれでもなお捨てあました残りがあったのか、ついに上人の仰せをさしおいて、上人の口から親しく伝えられた教えに背く、念仏以外の修行によっても浄土に生れることができるというわたくしの考えを説く張本人となって、自·他のさとりの邪魔をしたもので、これこそは、祖師上人の遺訓を忘れ、諸天善神のみこころを恐れ慎まないものかと思われる。誠に悲しみ畏れなければならない。こうしたわけであるから、かの聖光房は初めは親鸞聖人のお導きによって黒谷の上人の門下にはいった人であるということを、末学の徒は知らなければならない。


一 八宗

奈良六宗(三論·法相·華厳·律·倶舎·成実の六)に平安の二宗(天台·真言の二)を加えて八宗という。

二 聖光房

聖光房弁阿(一一六三 ー 一三三八)、または弁長ともいう。升阿は三十六歳のとき、法然の門にはいり、のち故郷の鎮西に帰って善導寺を建てた。この弟子に良忠があり、教えをひろめたので、広く行われるようになった。これが浄土宗の鎮西派で、現今の浄土宗である。 『末代念仏授手印』、 『浄土宗要集』などの著がある。

口から親しく伝えられた教え原文には「ロ伝」という。 『歎異抄』序注五参照。

『歎異抄』序注五

ロから親しく伝えて下さった原文には「ロ伝」とあるもので、見方によっては、本書の撰者のエリート意識を受け取ることを可能にする。「ロ伝」は、平安末より南北朝にわたって強く根をはった天台宗の口伝法門と直接繋るから、これを与件として見るとき、注目される意味を含んでいる。それというのも、親鸞の晩年に起こった、長子善鸞義絶の事件は、「慈信一人に、よる親鸞がおしえた」( 『拾遺真蹟御消息』。真宗聖教全書ニ·七二七)「またよるひるも、慈信一人に、ひとにかくして法文をおしえた」( 『血脈文集』、同七一八)という「口伝」に病巣をもっていたからであって、「ロ伝」は親鸞が強く否定したところであった。弟子はひとりも持たないと表明し、同行·同朋の精神に立った親鸞からは、「ロ伝」は認められない。同様の問題は『口伝鈔』にもある。


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