2021/07/31

ブラジルの鍛冶職人。鉄の匠の腕を見て!お寺の門前に手すりが付きます。錠前も治りました。

お寺の門前の手すりが出来上がりました! 



 お寺にお参りされる方の中には3段の階段でも手すりがないと上り下りが困難な方がおいでになります。その方のために手すりを設置する話はずっとしていたのですが、お金の問題もありなかなか進めることができませんでした。昨年はお寺の塀とガレージの修復をして見積もりよりお金がかかって大変でした。今年も引き続きコロナ騒動でお金の工面に困っていたのですが、コロナ手当やご門徒の志のおかげでやっと手すりの設置に踏み切る運びとなりました。トータルの値段は今のところ。。。



320レアル=7000円くらい

(2021/07/30現在のレート)ですが、この後にペンキ塗りや設置するための左官工事があるのであと150レアルくらいを覚悟しています。日本の方はなんだ安いじゃん?と思われるかもしれませんが、物価が違うので5倍くらいかけてください。また動画でも述べていますが良心的で腕の良い業者を探し見積もりをもらい、実際に工事を始める状態になるまでの苦労は並大抵ではありません

今回は技術も心も素晴らしい気遣いの方に出会えて幸せでした。



お手伝いの若者も状況をわかって細やかにお手伝いしていました。


素晴らしい腕前と誠実な心を持つ鍛冶職人

動画を見て欲しいのですが、素人の私ですが作業姿を見学していると確信を持って注意を払い誠実に作業する姿に見惚れてしまいました。作業中に飛び散る火花にまで精神が宿っていました。お願いしていない部分まで自分から申し出て直してくださいました。もちろん料金はそのままです。言葉遣いも誠実で、お手伝いする若者も細やかにお手伝いしていました。

ブラジルの鍛冶屋さんの匠の技をご覧ください。


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2021/07/30

ブラジルのお寺もインターネット配信の波が。時と場所を超えて会える

ブラジルのお寺もネット時代がやってきた

マリリア真宗本願寺


私はブラジルのマリリア市のお寺に来て8年目になります。その前は6年間サンパウロ氏のお寺にいました。

私自身はコンピューターとかインターネットとか新しいものが好きなので、ブラジルに来る前からお寺の様子をインターネットで配信していましたが、コロナ騒動が始まってからは、インターネットに批判的だった人までネット配信に力を入れるような時代になってきました。

今回は私が兼務しているバウル市のバウル南米本願寺の28日の親鸞聖人のご命日の様子です。これは地元のお寺の会議でネット配信をしようと決定されて行っています。それまではお寺に来る人数人でお勤めしていました。コロナ前も集まる人数は少なかったのですがコロナになってからは激減!一時期はもう法要自体をやめようか?という話にもなったのですが、続いてきました。先月の会議で会長のアイルトンがWhatsAppグループを作ってそこに法事の映像を流せばコロナが怖くてお寺に来ることができない人も参加できるということで始めることになりました。


SMSのメリットは時間や場所を超えて出会えること


WhatsAppとはブラジルで主流の日本でいるところのLINEのようなアプリです。ブラジルではフェースブックと同じくらいかそれ以上に使っている人は多いと思います。お寺の会員の平均年齢は高いですが、多くの人が使っているのです。そこに録画した動画をYouTubeにアップしてリンクをシェアしています。閲覧するのは今のところ20人から50人程度ですが、もしお寺に20人50人の人が来るということになればそれは多いのです。 普段のリアルの人数は5人ですから数倍の人数になります。

 さらに時間を気にせず閲覧しますし、何度でも見ることができます。実際に会えないのが残念ですが、これをきっかけに実際にお寺に行こうと思う人も出てくると思います。

実際今日はここマリリアのお寺にリオ在住の方が見学においでになりましたよ。これも私が地元ママリアのお寺でも毎日YouTubeに配信したり、フェースブックやGoogleマップにも、お寺の情報を流しているので興味のある人が検索して問い合わせてくださるのです。

というわけで模索しながら配信の内容なども考えていきたいと思っています。是非ご覧ください。

 


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バウル南米本願寺

2021/07/28

ー戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ 遠い他国でひょんと死ぬるや 竹内浩三「骨のうたう」ー 尾畑文正 同朋大名誉教授

 中日新聞より 今週のことば


戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ 遠い他国でひょんと死ぬるや

竹内浩三「骨のうたう」


尾畑文正


夏の日は戦争を想起する。私の叔父は二十三歳でニューギニア·クレチン沖にて戦死した。私の家族は夏になると岐阜県大垣市にある軍人戦死者の共同墓地にお参りに行っていた。母に「なぜ叔父は死んだのか」「なぜ戦争が起こるのか」と尋ねても応えはなかった。

時を経て、私は叔父たち戦死者を英霊として称え、政治に利用する現実を知った。戦死した叔父たちのほんとうの姿、その思いは何か。それに応えてくれたのが叔父と同じく南方のフィリピン·ルソン島にて二十三歳で戦死した竹内浩三の残した「骨のうたう」である。そこには「戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ」と、圧倒的な国の力で死を強いられていった竹内浩三、そして叔父たちの思いがある。その向こう側には日本の軍靴で理不尽に命奪われた無数のアジアの人たちがいる。この歴史をありのままに直視して、戦死者の声なき声に「非戦平和のいのり」を聞く夏の日でありたい。

(同朋大名誉教授)






骨のうたう(原型)

竹内浩三




戦死やあわれ

兵隊の死ぬるやあわれ

とおい他国で ひょんと死ぬるや

だまって だれもいないところで

ひょんと死ぬるや

ふるさとの風や

こいびとの眼や

ひょんと消ゆるや

国のため

大君のため

死んでしまうや

その心や


苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや

こらえきれないさびしさや

なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ

白い箱にて 故国をながめる

音もなく なにもない 骨

帰っては きましたけれど

故国の人のよそよそしさや

自分の事務や 女のみだしなみが大切で

骨を愛する人もなし

骨は骨として 勲章をもらい

高く崇められ ほまれは高し

なれど 骨は骨 骨は聞きたかった

絶大な愛情のひびきを 聞きたかった

それはなかった

がらがらどんどん事務と常識が流れていた

骨は骨として崇められた

骨は チンチン音を立てて粉になった


ああ 戦場やあわれ

故国の風は 骨を吹きとばした

故国は発展にいそがしかった

女は 化粧にいそがしかった

なんにもないところで

骨は なんにもなしになった





底本:「竹内浩三全作品集 日本が見えない 全1巻」藤原書店

   2001(平成13)年1130日初版第1刷発行

   2002(平成14)年830日初版第5刷発行

入力:坂本真一

校正:雪森

2014719日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



(青空文庫)より


https://www.aozora.gr.jp/cards/001675/files/54814_54034.html






ポルトガル語への翻訳です。

グーグルの翻訳機能を使って私が築いた間違いを直しただけなので、間違っている部分もあるかもしれませんが、ご了承ください。




Palavras da semana


Morte na guerra, misericórdia, morte de soldados, misericórdia, morte em um outro país distante

Kozo Takeuchi "Bone Song"

               Obata Bunsho


    Os dias de verão nos lembram a guerra. Meu tio morreu na costa de Cretín, Nova Guiné, aos 23 anos. No verão, minha família foi visitar o cemitério militar na cidade de Ogaki, província de Gifu. Quando perguntei a minha mãe: “Por que meu tio morreu?” E “Por que a guerra acontece?”, Não houve resposta.

Com o tempo, aprendi sobre a realidade de celebrar a morte de meus tios como espíritos e usá-los na política. Quais são as verdadeiras aparências e sentimentos dos tios que morreram na guerra?Em resposta a isso, Kozo Takeuchi, que morreu aos 23 anos na Ilha de Luzon nas Filipinas, como seu tio, deixou para trás "Bone Song".Há pensamentos de Kozo Takeuchi, que foi forçado a morrer pelo poder esmagador do país, e seus tios, dizendo: "Morte na guerra e misericórdia quando os soldados morrem." Além disso, há incontáveis ​​asiáticos que foram mortos sem razão por botas militares japonesas. Eu gostaria de ver essa história como ela é, e ouvir as vozes sem voz dos mortos na guerra como "o nori da paz sem guerra" em um dia de verão.


                 (Professor Emérito da Dobo University)

 



Guerra, morte e misericórdia

Assim que os soldados morrerem

Ei, vou morrer em outro pais

Pare em um lugar onde ninguém está

eu vou morrer

O vento da minha cidade natal

Olhos namorados

Talvez desapareça

Para o país

Para o príncipe

eu vou morrer

Aquele coração


Musgo bagunçando, misericórdia e soldados morrendo

A solidão que não pode ser parada

Não Chorando, sem latir, segurando uma arma com seriedade

Olhe para sua terra natal em uma caixa branca

Sem som, sem ossos

eu voltei

A estranheza das pessoas em sua terra natal

É importante ter seu próprio trabalho de escritório e ter a aparência de uma mulher.

Ninguém ama ossos

Osso recebe uma medalha como um osso

Altamente adorado e muito elogiado

Mas ossos são ossos Eu queria ouvir ossos

Eu queria ouvir o som de um amor imenso

Não foi

O trabalho de escritório e o bom senso fluíam cada vez mais

Osso era adorado como osso

Os ossos fizeram um barulho de formigamento e se transformaram em pó


Oh, o campo de batalha e misericórdia

O vento no meu país de origem explodiu meus ossos

Homeland estava ocupada desenvolvendo

A mulher estava ocupada com maquiagem

Onde não há nada

Os ossos se foram



Livro de fundo: "Obras completas de Kozo Takeuchi: I Can't See Japan, Volume 1" Fujiwara Shoten

Emitida a primeira edição da primeira edição em 30 de novembro de 2001

30 de agosto de 2002 (Heisei 14) Primeira edição 5ª edição emitida

Entrada: Shinichi Sakamoto

Calibração: Yukimori

Criado em 19 de julho de 2014

Arquivo criado pelo Aozora Bunko:

Este arquivo foi criado na Aozora Bunko (http://www.aozora.gr.jp/), uma biblioteca da Internet. Os voluntários foram responsáveis ​​pela entrada, revisão e produção.


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