2021/09/14

appleイベント発表 生中継中に箇条書き 2021年9月

始まりました


アップルTV + から


ipad 新製品

A 13 bionic 20 パーセント高速

カメラも良くなる

12Mp広角

センターフレーム 縦横対応

true tone

Apple Pencil 1対応

329ドルから 64ギガから


ipad mini アップデート

デザインの刷新

4色

8.3インチ

500ニト リキッドディスプレー

トップボタンに タッチID

以前よりかなり早くなる。

5g対応

USB - C

カメラも良くなる 12 M  4K撮影 センターフレーム

ステレオ対応

第二世代のApple Pencilに対応

499 ドルから

リサイクル 100%


Apple Watch シリーズ7

老人に優しくなる

OS 8の話

自転車に対応

大きい画面

より明るいディスプレー

タッチボタンも大きく再設計

今までの全てのバンドに対応

199ドル 3

297 

399ドル 秋

現在来客あり 途切れました

フィットネス+

15カ国に提供


次世代 iPhone 13

外観の変化

画面のカケが少し小さくなる

リサイクルを強調

内部を完全に再設計

13 ミニがでる1200ニト

A15 Boionic 6コア

4コア GPU

16のニューラルエンジン

カメラ映像テキスト認識

とにかく早い!!!

カメラ

新しい広角 色彩47%  f 1/6

機械式手振れ補正を採用

超広角でも綺麗で明るくなる。

シネマティックモード

映画のような映像が誰にでも作れる

ピント、ぼかしがすばらしい!


5G

バッテリー

もちが2.5時間早くなる

プライバシー

引き続き強化

非接触充電

699ドルから


128ギガから512まで


次世代 iPhone 13 pro


カメラから

3倍光学

合計6倍

マクロ撮影 2センチ

ナイトモード

ビデオシステム

ボケみを撮影後に可変

マクロスローモーション

Pro Res対応

ドルビービジョン対応


とにかくいい素材を使っている。

頑丈 クラス最高の耐水性

5コアのGPU

バッテリー 寿命の延長

100%リサイクル

1200ニト

120Hz


999ドル

1099ドルから


1Tバイトまで 容量

以前のシリーズは

399ドルから




 もう30年近くアップルファンをやっています。事前の予想ではあまり大きなアップデートはないようですが、今年は何か特別な発表があるような気がします。

個人的にはM1マックブックの進化が楽しみです。


さて、今回はブログとyoutubeを連動して実況していきたいと思います。

まずは公式のリンク

アップル公式ホームページ https://www.apple.com/jp/

(精度の高い日本語訳が付きます)


アップルYouTubeでの生中継  

Apple Event — September 14



次に定番の実況中継サイトを紹介します。
現在は発表予想のサイトになっていますが発表が始まったらリアルタイムで現地から情報を届けてくれる素晴らしいサイトです。これを見るだけでも楽しめます。

エンガジェット engadget



こちらも非常に優秀なサイト。発表後のレビューも早いし面白いのでお勧めです。

GIZMODO


他にもまだまだありますが、上の二つを押さえておけば速報を逃すことはないでしょう。しかしここ最近のアップルイベントは上記の公式サイトで字幕がつくので、本編をみつつ、各サイトの速報情報を見るというのが贅沢な楽しみだと思います。
私も一ファンながら、自分のブログとYouTubeで中継しながら楽しみたいと思います。
 見るだけでなく発信をしながら楽しむという新しい領域を試してみたいと思います。

次にYouTuberの生中継を紹介します。これはアップル付きのユーチューバーがイベントを見ながら感想を言うものですが、個性があって楽しいです。今回私が注目しているのは


Apple信者1億人創出計画


 この方語り口が面白いし、新製品を買い求めるだけでなく、長く大事に使っていく事を推奨している点も好感が持てます。


先ほど紹介したギズモード GIZMODOが1時からyoutub生中継する模様です。
私はこれとアップル公式の中継を見ることに決定しました!

ちなみに私はパソコンでこのブログを更新しつつ、テレビに接続したアップルTVで字幕付きの本編を見つつ、ipadPro(第二世代)で、ギズモードの生配信を見ます。

自分がYouTubeで配信するのはどうするか、まだ迷っています。





「ブラジル・シュウちゃんねる」








2021/09/13

韓国・中国の食べ物がいっぱい! わが街マリリアにオリエンタル・キオスクがやってきました。 その名はOriental Kiosk

見た瞬間テンションが上がる





 ブラジルでは韓国や日本の食品はいわゆる日系スーパーに揃えられています。

しかもその品揃えは日本人街がある地域に限られていました。

例えばサンパウロ市のリベルダージ(日本人街・東洋人街)のスーパーにはたくさんの日本食や韓国のカップ麺食品が多いのです。

 いままではサンパウロから600キロ離れているここマリリア市には数件の日系のスーパーにのみ置いてありました。おそらく特別の契約を結んでサンパウロから仕入れているのだと思います。値段はサンパウロ価格より数レアル高いです。


いよいよ日系以外の場所に展開か!?



 今回見つけたショッピングマリリアは普通のブラジルのショッピングセンターです。そこのフードコートに日本食の食堂は入っていますが、いわゆる食品売り場はありませんでした。

 スペースは小さいとはいえ、ブラジル色以外の製品が並んでいるとは!嬉しい限りです。日本の感覚で言うと東京でしか手に入らない製品が地元で買えるようになった! という感じでしょうか? もちろん今は、ブラジルでもインターネットで買える時代ですが、なんだか嬉しいです。


中国製のカップ麺にテンションマックス!



 韓国のカップ麺はマリリアの日系のスーパーにあるのですが、中国製のカップ麺とかは珍しいかも! 最近はサンパウロのスーパー事情も知らないので、ちゅごくのカップ麺!と歓声が上がりました。私の中で。


 結局妻のファビアは韓国の不思議なお茶と、クッキー。私は中国のカップ麺を買いました。


値段に難あり(ブラジルでカップ麺は贅沢品)



 ここはブラジルなので全部輸入品になってしまいます。さらにブラジルは世界的に見て税金がべらぼうに高い国なのです。カップ麺といえば本来、安くてお手軽においしい!という製品なのですが、ここブラジルでは贅沢品なのです。ですから今回買う時も躊躇しているのがわかると思います。 でも買っちゃいました!
 開封動画はまた食べた時に出します。今日はショッピングセンターの様子をどうぞ!





ダイソウも来て欲しいな。




   「ブラジル・シュウちゃんねる」


2021/09/12

人間といういのちの相(すがた) 浄土真宗から問われる私たち(前編) インタビュー 尾畑文正(おばたぶんしょう)

 尾畑文正先生に最初にお会いしたのはブラジルです。お寺の関係の新聞や雑誌、本などではお見かけしていましたが、日本に滞在中はお会いすることもなく過ぎていました。
 おそらく私がブラジルにいなければ生涯本の中の人、宗教界ではなのしれたお坊さんくらいのイメージのまま一生を過ごしていたかもしれません。

 ブラジルが私に尾畑先生を合わせてくれたのです。

 私の先生に対するイメージは社会運動をバリバリやる、元気な活動家お坊さん。というイメージで「ボクには向かないな・・・・ どっちかというと会いたくないな。。。」なんと失礼な思いをそれも勝手になんとなく思っていました。

 それがブラジルで完全に間違っていたのです。いや。 どうなんでしょう、本当の活動家はこういう感じなのかもしれませんね。
私自身があまり世の中に物を申すということに大きな偏見を持っていたことを教えてくださいました。私は依然として引きこもり人間ですが、そういう私に仏教の教えの大切なポイントを身を持って教えていただいたような気がします。

 先生は3年半ブラジルにおいでになりましたが、日本に帰ってからもブラジルについて積極的に発信してくださっています。いまでもご縁があり帰国した後も勉強会に二度もブラジルまでおいでくださっています。
 合わなければわからない人がいると聞いていましたが、そのことを実感した最初の先生が尾畑先生です。 先生の本も多数出ていますが、現在は日本で法話も各地でされていますので、是非直に聞きに行くことをお勧めいたします。
 このブログの最後にいくつか先生の本のリンクを貼っています。アマゾンの電子ブックで読める本をチョイスしています。その中にはブラジルでの経験を買った本もありますので、ぜひ読んでください。

 それでは以下は日本の東本願寺の新聞に掲載された先生のインタビューです。南米での体験が書いてあるので文字起こしをいたしました。

真宗大谷派 東本願寺 同朋新聞より


人間といういのちの相(すがた)

浄土真宗から問われる私たち(前編)

インタビュー 尾畑文正(おばた ぶんしょう)さん

 二〇二三年にお迎えする宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要に向け、施策が進められています。一方、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化して以降、社会のあらゆる場で、さまざまな課題が顕在化しています。本紙面では、その課題に関わる方へのインタビューを通して、私たちが生きていく相(すがた)を確かめてきました。この状況において、私たちは親鸞聖人の立教開宗をどう確かめどのようにいただいて生きるのか。尾畑さんお話を通して考えます。

1947年三重県生まれ。三重教区泉稱寺前住職。元同朋大学長。2015年4月から2018年8月まで、真宗大谷派南米開教監督。著書に「親霊聖人の手紙から」「仏さまの願い一四十八のメッセージ 』(東本願寺出版)など多数。


立教開宗(りっきょうかいしゅう)とは

 一九二三年に立教開宗七百年、一九七三年には御誕生八百年・立教開宗七百五十年が勤まり、今回は三度目の法要となります。立教開宗を親鸞聖人において確かめていく意義とはどういうことでしょうか。

 親鸞聖人は、法然上人を「よき人」として仰がれ、その教えによって自らの立脚地を明らかにされました。それは 『歎異抄」に、


親鸞におきては、ただ念仏し弥陀たすけられまいらすべしよきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
( 『真宗聖典」六二七頁)




 とあるように、専修念仏(せんじゅ ねんぶつ)を掲げる「選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)」を著述し、浄土宗の独立を宣言された法然上人の教えをいただいて生きるところに親鸞聖人の立ち位置があり、それを踏まえてご自身の受けめを浄土真宗とおっしゃられたのです。

 親鸞聖人は「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう) 』によって真実の教えとして「浄土真宗」という名の仏法を明らかにされました。それは阿弥陀仏の本願を国土としてあらわした「浄|土」を「真実」の「宗(むね)」(根本原理)とする教えです。私たちの生きる根拠と方向を浄土真宗として明らかにされたということです。
 ですから「立教開宗」と言っても一般的にいう宗派(セクト)を宣言したという意味ではありません浄土真宗という名の仏法を、私たちが生きるこの五濁悪世(ごじょくあくせ)のただ中に開かれた。その具体的な表明こそが主著「顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうもんるい)(教行信証)の製作です。この『教行信証』は浄土真宗が人類普遍の救済原理であることを「顕浄土」の課題をもって虚仮不実(こけふじつ)の社会に掲げている意味で、「立教開宗」を表す宣言書の意義持つといえます。





 この浄土真宗に学び、生きようする人々の集まりの一つが真宗大谷です。この真宗大谷派という教団にご縁をいだき、真宗門徒たらんとする限り私はいつも浄土真宗という普遍的原理問われる存在となります。自分は本当浄土真宗を生きようとしているのか。そういう問題がいつでも、どこでも、誰でも問われることになるのです。
 浄土真宗を生きようしているのかという問いは、具体的に私たちの何を問題にしてのでしょうか。また、それはどういう世界を開くのでしょうか。まず問われていることは、私たちのがすべてのいのちあるものを見捨てないで救うという阿弥陀仏の本願に向き合っていないことです。いわば阿弥陀仏の願の内に在りながら、その根源的事実に背き続ける「私と私の世界」の意識と生活です。

 具体に言えば、経済中心の生き方を問うこともなく国籍や民族や人種や性差の違い、あるいは役に立つか生産性あるかどうか、能力があるかどうかなどと、それらで人を選び、評価し差別していく人間観、世界観です。そういう人間、世界観に対して、親鸞聖人が真実の教えとして浄土真宗を当てられたことにより、浄土真宗の眼、つまり仏さま眼から私たちの人間観世界観を問い直していく視点が私たちに与えられ、開かれることになっということです。
 それこそが、「立教開宗」を確かめる五十年に一度の大切な節目に、私たちが確認しなければならない最重要課題です。つまり、人と人とを限りなく引き離すコロナ時代あって、本当に真宗門徒として共に生きる世界を開く浄土真宗の教えを生きているのだろうかという自分への問いかけです。

宗祖時代において、浄土真宗という宗を世に開かたことにはどのような意味があるのでしょうか。

 「浄土真宗」という名の仏法が「五濁悪時」という言葉にあらわされるような人間社会に立ち上がるわけですから、仏心と真逆の世界としてある私たちの時代社会から攻撃を受けることは必然でした。その典型が一二〇七年に親鸞聖人が法然上人とともに弾圧を被った「承元(じょうげん)の法難」※注1)です。人の上に人を作り、人の下に人を作って成り立っていた当時の古代的身分社会から無差別平等の仏心を命とする念仏教団が弾圧を被り、親鸞聖人も流罪にあうことになりました。流罪を解かれ、越後から関東に移住され、念仏申す同朋・同行に恵まれて二十年ほどして帰洛されますが、親鸞聖人が帰洛された関東の念仏教団においても「建長の法難」(※注2)と呼ばれる弾圧事件があり、時代社会との緊張関係はなおも続きます。このように無差別平等を阿弥陀仏の本願において明らかにする浄土真宗、今の言葉で言えば人間の絶対的な基本的人権を語る浄土真宗は、いつの時代にあっても時代社会と批判的な緊張関係を自らの宗教的生命として持つところに独特の存在意義を持っていたのだと思います。


現代において親鸞聖人が教えを立て、開いてくださったことは、現代を生きる私たちにとって何を問いかけているのでしょうか。

 現代を生きる私たちは、現代をどう捉えいるでしょうか。この百十数年の日本という国で言えば、明治以降、欧米の帝国主義国家に追いつけ、追い越せと発展を遂げてきました。しかし、その中心にある思想は殖産興業で国を挙げて経済活動を発展させ、富国強兵で軍備を増強し、国を守り、列強と互角に戦う国していくという考え方でした。数々の戦争でたくさんのいのちを犠牲にして今日の日本がある歴史を顧みることなく、まだ上を目指そうとする。経済優先で人間を大切にしない私たちの生き方が現代の日本を形成し、現代という時代をいびつに閉塞させています。そういう現代において、浄土真宗という仏法を明らかにされたことの意義は何かといえば、あらためて「願われたいのち」に立ち帰る生活を問いかけ、私たちに開いていることです。そこに立教開宗の意義がある思います。それでは具体的にどういう形で、私たちに浄土真宗が開かれているのでしょうか。それこそが阿弥陀仏の呼びかけとしての念仏です。念仏は私の欲望を満足させるための呪文ではありません。自己中心的にしか生きることのない「私と私の世界」をそれでいいのですかと呼びかけ問いかける仏の言葉です。南無阿弥陀仏と念仏申すとは、そういう仏の言葉に「私と私の世界」の矛盾・歪み不正、それが無明の闇、それを聞きとることです。それが念仏申すことです。つまり念仏は、そういう私からすると見たくもない、目を覆いたい私の闇をありのまま照らし出し、「願われたいのち」に目覚め、あらゆる人々と共に「仏の願い」に生きることを促しているのです。





世界の中の真宗

ー開教監督として赴任された南米において、浄土真宗はどのように伝わっているのでしょうか。


 私は二〇一五年から三年半の間、真宗大谷派南米開教監督としてサンパウロにあるプラジル別院に赴任しました。ブラジルを起点にパラグアイ、アルゼンチン、さらにはコロンビアにおいて、親鸞聖人の教えを南米の皆さんと学びました。その中心は移民船「笠戸丸」が一九〇八年にブラジル・サントスに入港してから今日に至るまで、ブラジル、あるいは他の南米社会で生活をされてきた日系移民の方たちです。近年、世代交代が進み、ポルトガル語が必須の時代になり、法話もポルトガル語でなければ通じなくなってきています。私も同時通訳か、あらかじめ翻訳したものを配りながら法話をしていました。そういう状況にあって、最近では非日系のブラジル人の方々にも浄土真宗が受け入れられつつあります。ブラジル別院の日曜礼拝の参加者は地元の非日系プラジル人がほとんどです。ポルトガル語を母語とする人たちが「南無阿弥陀仏」とお念仏する声を聞き、非常に感動したことを今でもはっきりと覚えています。お念仏が伝わってきた歴史を目の当たりにし、普遍的原理としての浄土真宗の教えに触れた思いがしました。また、コロンビアの方々とも関わりを持たせてもらいましたコロンビアという国は五十年近く反政府ゲリラと政府との争いの中で内戦状態が続いており、ようやくゲリラとの話し合いによって内戦が終結した国です。コロンビアの方々はそういう中で心底に平和を求め、たどりついたのが仏教の平和思想でした。彼らはブラジル人のご門徒が開いている「浄土真宗ブラジル」というインターネットサイトを通じて、私たちと出会いました。コロンビア人のパブロさんはカトリックの修道士でしたが、私がコロンビアに行った時、真宗門徒になりたいという宣言書までいただきました。彼は「正信偈」も『阿弥陀経』もインターネットを通じて覚えたそうです。



 彼らがたどりついた仏教の平和思想というのは、「こころの安らぎ」という意味が強いと思います。内戦が続き、危機感と不安感と恐れの中で日々を生きていたわけですから、その動揺するこころを安らげる教えとして、仏教を求めた。しかし、求めてみたら、仏教がいう平和というのは、単にこころの安らぎで完結するものではなかった。それは、私のこころの安らぎは、他の人のこころの安らぎと無関係ではないことを知り、私だけがこころ安らぐということはあり得ないことである。すべての人が救われなければ私は救われない。こういう問題意識を持つようになり、阿弥陀仏のこころにかなう平和ということから、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を中心にする仏教である浄土真宗に深く関心を抱いたのです。

 彼のような日系移民社会とは関わりがなかった人が、インターネットを通じて浄土真宗に出あい、手を合わせ「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」とお念仏を申す姿から、国籍・民族・人種・性差を超えて伝わっていく浄土真宗という仏法の普遍性を身をもって感じさせられました。だからこそ今、現代社会を根源的に批判できる原理を私たちは浄土真宗として学び、いただいているというところに立ち返って、謙虚に親鸞聖人の教えに学んでいくことの大切さを思います。

注1 承元の法難(一二〇七年)
後鳥羽上皇によって法然上人の門弟4人が死罪とされ、法然上人と親鸞聖人ら門弟7人が流罪にされた事件。法然上人は藤井元彦の名で土佐国へ、親鸞聖人は藤井善信の名で越後国・国府に流された。

注2 建長の法難(一二五五年頃) 関東の門弟たちに対する弾圧。


「ブラジル・シュウちゃんねる」

いま、注目の投稿はこちら

「心温まる絆🍕お寺のピザフェスタで現れた心の架け橋!」

 皆さん、こんにちは!今回は、私たちの小さなコミュニティで起きた出来事を皆さんと分かち合いたいと思います。私たちのお寺の改修と、車椅子ユーザーのためのスロープを設置するための資金集めを目的として開催されました。 このイベントはただのフェスタではありませんでした。それは、私たちのコ...

人気の投稿はこちら