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2022/12/25

今週のことば 尾畑文正 「人間は闇の自覚なしに、 光の自覚があろうはずがない。」 高光大船の言葉

 Palavras da Semana


高光大山写真向かって左側


Bunsho Obata


"O homem não pode estar consciente da luz sem estar consciente da escuridão".

                         Takamitsu Daisen


 8 de dezembro, para alguns é o dia da iluminação de Buda, para outros o dia do ataque a Pearl Harbor, para outros o dia do assassinato de John Lennon? Para os budistas, a iluminação de Buda é o ponto de partida, cuja realidade interior é a abertura da verdadeira sabedoria (luz). O que isso significa exatamente? Nas palavras acima mencionadas, o monge budista Shin Takamitsu Daisen (1879-1951), nascido em Kanazawa, afirma que a realização da escuridão é a realização da luz. Este é o entendimento de que a realização do Buda foi a realização da cegueira humana.


 O estado iluminado de Buda é representado pela fase da marca de toque de terra. Os dedos de Buda tocam a terra. A terra é o símbolo do mundo (Dharma), que nutre e sustenta toda a vida. O iluminismo é o despertar para o chão de sua existência e, ao mesmo tempo, a realização da escuridão humana que profana e pisoteia a terra. Quando a luz da sabedoria ilumina as trevas do homem, a forma dessas trevas é o ataque a Pearl Harbor (guerra) e o assassinato de John Lennon, que cantou de amor e paz. Para mim, 8 de dezembro é um dia para lembrar a loucura da humanidade. 


(Professor Emérito, Universidade Doho)


遊墨民カズさんの作品です。
SP盤をイメージして書かれた作品です。

※このブログを書いたら小松時代からよくしてくださっているカズさんが送ってくださいました。ブラジルにも2回来て芸術交流をしてくださいました。また来てほしいなー。



今週のことば


尾畑文正


「人間は闇の自覚なしに、 光の自覚があろうはずがない。」

                         高光大船



尾畑文正先生


 十二月八日、ある人は釈迦の成道の日、ある人は真珠湾攻撃の日、ある人はジョン ・レノン暗殺の日であろうか。仏教徒においては釈迦の悟りは原点であり、その内実は真実の智恵(光)が開かれたことにある。それは具体的にはどういうことなのか。金沢出身の真宗僧侶高光大船 (一八七九~一九五一年)は前掲の言葉で闇の自覚が光の自覚であると言い切る。それは釈迦の悟りは人間の 無明を悟ったとの理解である。


 釈迦が悟った時の姿は触地印(そくちいん )の相で表されている。釈迦の指が大地に触れる姿である。 大地とは全ての命を育み支える世界 (法)の象徴である。悟りとはその存在の根拠に目覚 めることであり、それは同時に大地を汚し、踏みにじる人間の闇の自覚である。 智恵の光が人間の闇を照らす時、その闇の形は真珠湾攻撃(戦争)であり、愛と平和を歌うジョン ・レノンの暗殺である。私にとって 十二月八日は人間の愚かさを心に刻日である。 (同朋大名誉教授)


Youtube動画でも、朗読とお話ししています。どうぞご覧ください。


「ブラジル・シュウちゃんねる」



2022/12/21

ブラジル🇧🇷マリリア真宗本願寺 報恩講 法話 斎藤先生 日本語 2022年11月27日 Palestra de Rev. Benjamin Watanabe. Rito de ação de Graças de Hōonkō em ...

コロナで2年間先生を呼ぶことができなかった報恩講でしたが今年はきてもらうことができました。 その時に撮った動画をシェアさせていただきます。

真宗のお寺では法話がからなずと言っていいほどされます。大きな法要の時には他のお寺から先生にきてもらいお話をしてもらうのが通例です。




ここマリリア真宗本願寺では隣町のグアインベの齊藤先生にはよくきてもらうのですが、遠方の講師はここ数年来ていただくことができなかったのです。しかし今年はできました。
 いろんな人の話を聞くことによって同じ仏教の話でも全く違って聞こえたり、逆に人が違っても同じ大事な問題があることを発見できます。ですからいろんな人に来ていただき、いろんなお話を聞くのが大切なのです。コロナでいつも当たり前のようにきていただいていた先生のお話がいかに貴重なものであるかを思い知るきっかけにもなりました。

最初の動画が隣町の齊藤先生で次の動画はプレジデンテの渡辺先生の法話です。渡辺先生は日本語もペラペラですが、ポルトガル語でお話ししてもらっています。時々日本語を挟むのがブラジルの日系のお寺での一つの型でもあります。

どうぞお聞きください。




ベンジャミン先生のお寺にも私も何度も呼ばれて法話をさせていただいています。これも大変貴重な経験で、普段と同じことをお話ししても、場所が違い目の前の方々が違うとお話のテンションも内容も不思議と変わることがあり大変勉強になります。
 いろんなところでお話しさせていただき、またいろいろな方々のお話を聞くことがとても大切だということが最近身をもって感じることです。




仏教のお話や、お寺のお話はよっぽどお話の達人でも、テレビや映画の面白さには負けてしまいますが、そことはまた違う味わい、独特の大切なメッセージを受け取ることがあると思います。 ぜひ近くのお寺に立ち寄って聞いてみてください。



「ブラジル・シュウちゃんねる」

2022/11/19

ブラジルの東西合同の法語カレンダーがマリリア真宗本願寺に届きました!

 今年も終わりですね。来年のカレンダーが届くとそういう思いを抱きます。

ブラジルのこのカレンダーは大人気です。毎年画家の挿絵が街つき入っている上に、日本語、ポルトガル語、スペイン語と3カ国語でわかりやすい法語が書いてある上に、カレンダーに書き込みがしやすく、値段もリーズナブルだからです。
 挿絵は日本の東西本願寺のカレンダーに則っていますが、法語はブラジル独自に決められています。ブラジルの方が仏法に馴染みのない方々全般にわかりやすく言葉を伝える工夫が凝らしてあると思います。


今年から値上がりしました


わたしがブラジルに来てから14年目ですが今回初めて値上がりしました。今までは一つ三レアルで購入(仕入れ値)していたのですが、一つ四レアルになったのです。
 現在ブラジルのインフレは凄まじくついに値上がりしたか!という感じです。それでもだいぶ安いのです。逆に15年余り値段が変わらなく、値上がりも一レアルと小幅のは本山の助成金のおかげです。 15年前はマックのソフトクリームは一レアルでした。現在四レアルです。

 ということもあり、今まで五レアル程度でお渡ししていたのですが、七レアル程度の寄付でお配りすることになりました。一レアル値上がりしたのに二レアル多めに値付けしているのは将来またすぐ仕入れ値が上がってもそのままを維持するためです。


 とはいえお寺のこういう配布は全てお布施なので、実際はその値段でないとお渡ししないというわけではありません。普通のお店でもカレンダーを配っているところもあるように。お寺が原価を負担して普段おせになっている方に配ることもあります。その時その時で臨機応変に対応しています。わたしも毎年50冊くらいは自腹で配っています。一年のお礼にもなりますし、今年もよろしくお願いしますの気持ちにもなるのです。ともかくお寺全体で赤字にならないようにお配りできれば成功だと思っています。

というわけでみなさんぜひ持って行ってください。




「ブラジル・シュウちゃんねる」

2022/11/11

「『天空の城ラピュタ』と猫のチビッタの使命」 中日新聞より 今週のことば -尾畑文正-  ポルトガル語あり

 今週のことば      尾畑文正

「これより西方に、 十万億の仏土を過ぎて、 世界あり、名づけて極楽と曰(のたま)う。」  『阿弥陀経』


 この経言を私は「ここから西方 に、無数の悲しみに出遇(であい)い、真実の平和と幸福を見出した願いの国がある」と超訳する。コロナ蔓延(まんえん)の頃、争いで片目を失った猫が私の 家に来た。猫は映画『天空の城ラピュタ』のモデルと噂されるイタリアの街名から「チビッタ」と呼んでいる。チビッタは夕方になるといつも庭の縁石に手をかけ西方の山々を見つめる。私はその姿からチビッタには帰る世界、歩む方向があると想像する。私にあるのは戦争には戦争、武器には武器と、繰り返す暴力の連鎖に座する日常ばかりである。この現実を超えて平和への方向を歩んではいない。傷ついたチビッタから問われている。

 今、「西方に」向かうとは戦争を準備することではない。過去の侵略戦争に慚愧(ざんぎ)する戦争放棄の憲法を活かす道を歩むことである。 暴力 (武器・核)では世界の平和は生まれない。この大原則を私たちは世界に発信する使命があるのではないか。


(同朋大名誉教授) 





Palavras da Semana 
Bunsho Obata



"A oeste daqui, depois de cem mil bilhões de Budas, existe um mundo, que se chama Terra Purra".


"Sutra de Amida"


    Eu traduzo este sutra como "A oeste daqui, existe a Terra dos Desejos, onde inúmeras tristezas são encontradas e a verdadeira paz e felicidade são encontradas". Durante a epidemia de Corona, um gato veio à minha casa que tinha perdido um olho em uma luta. Eu chamo a gata de 'Civitta', depois do nome da cidade italiana que se diz ser o modelo para o filme Laputa: Castelo no Céu. À noite, 'Civitta' sempre coloca sua mão no passeio no jardim e olha para o oeste, em direção às montanhas. Imagino por sua aparência que a 'Civitta' tem um mundo para voltar, uma direção a ser seguida. Tudo o que tenho é guerra contra guerra, arma contra arma, e a rotina diária de estar sentado através do ciclo repetido de violência. Eu não estou caminhando na direção da paz além desta realidade. A pergunta está sendo feita pelos 'Civitta' feridos.

    Ir "para o oeste" agora não é preparar-se para a guerra. Significa tomar o caminho para utilizar a Constituição, que renuncia à guerra e se envergonha das guerras de agressão do passado. A violência (armas e armas nucleares) não criará a paz mundial. Temos a missão de transmitir este princípio ao mundo.


(Professor Emérito, Doho-Universidade) 


「ブラジル・シュウちゃんねる」


2022/11/02

「たとえ朝咲いて 夜散る花であっても、 その中には 無限のいのちがある」"Mesmo a flor que desabrocha no amanhecer e se extingue ao entardecer, abriga a Vida Infinita".

 11月 法語  Novembro Mensagem do Dharma





たとえ朝咲いて

夜散る花であっても、

その中には

無限のいのちがある


金子大栄



ポルトガル語

Mesmo a flor que desabrocha no amanhecer e

se extingue ao entardecer, abriga a Vida Infinita.


直訳

暁に咲く花が夕暮れ時に消えたとしても、無限の生命を宿している。


スペイン語

Incluso la flor que florece al amanecer y

se extingue al anochecer alberga la Vida Infinita.


直訳

夜明けに咲いて夕暮れに散る花も

無限の生命を抱いている。


Daiei Kaneko






 ブラジルの東西連合のカレンダーです。毎年ブラジルの東本願寺と西本願寺が共同で作っている法語カレンダーです。


ポルトガル語とスペイン語の翻訳付きで大変人気があります。来年のカレンダーもそろそろここマリリアに届きそうです。

 

 

金子大栄はわたしの生まれ故郷の広島にも縁のある真宗大谷派、東本願寺の僧侶です。ウィキペディアにもあるように一時期広島に滞在しておいでだったのです。

その時期にわたしの実家の法正寺にもよく呼ばれて法話をしてくださっていたそうです。ひいおじいちゃんの泉原寛海が呼んでいたと聞いています。
 もちろんわたしはその頃生まれていませんから直接の思い出はありませんが、いまこうやって思い出を辿ればご縁があったことを嬉しく思います。

金子大栄



無限の命に支えられていることを知ると、この有限の命が無限の命に支えられていることに感謝する瞬間があると思います。その一瞬に無限が宿っているのではないでしょうか。



「ブラジル・シュウちゃんねる」



2022/10/24

仏像の裏書の解読をお願いします

 どなたかこの文字読める方解読をお願い致します。


現在90歳代のブラジルに移民されたおばあちゃん結婚の時に父親から形見分けされた仏像の裏書です。

日本のルーツを忘れない様にと託され、現在息子さんがその文字意味を知りたくてクリチーバの酒井先生にお尋ねしたものです。

パラナ州のクリチーバから100キロのカストロ在住の方です。


おそらく寄進した人の名前と住所と日付さらに仏師の名前が書いてあるのかな? と思うのですがいかがでしょうか?




「ブラジル・シュウちゃんねる」



2022/10/11

「争いのない世界」が彼岸。「差別する楽しみ」を超える。 ブラジル・マリリア彼岸法要 法話 浦西真人 開教使 ポルトガル語翻訳付き 動画もあります。

マリリア真宗本願寺 お彼岸 

法話 浦西真人 開教使










 みなさんはじめまして。ブラジル別院から参りました浦⻄真人と申します。ブラジルに来て、 今は3年と3ヶ月になります。 

今日は、少しだけお時間をいただいて「お彼岸」についてのお話をさせていただきます。 「お彼岸」というのは、ご存知の方も多いかと思いますが、お浄土のことです。お浄土を彼岸、 そして、今、私達が生きている娑婆世界を此岸と言います。 

そんなお浄土とは、どういう世界だと思いますか? お浄土は、極楽浄土とも言います。みな さんは、お浄土にはどんな楽しみがあると思いますか。想像してみて下さい。私が持つ楽しみの イメージですが、おいしい食べ物があって、おいしいお酒もあって、空気がきれいで、仕事をす ることもせず、いつも休みで旅行に行って温泉に入って。というのが、私が持つ楽しみのイメー ジです。 

ただ、お浄土の世界というのは、もちろんそういう世界ではありません。お浄土とは、端的に 言えば、「争いのない世界」です。それが、私達にとっての本当の楽しみでなければならないんで す。 

三つの楽しみ

昔、曇鸞大師というお坊さんが中国におられました。皆さんも何度も聞いたことのある「正信偈」の中に出てきます。その曇鸞さんが、私達には3つの「楽しみ」があると教えてくれていま す。 

1つ目は、「五感による楽しみ」です。きれいな景色を見たり、心地よい音楽を聞いたり、フカ フカの布団に触れたり、美味しいものを食べたり、良い匂いを嗅いだりするような楽しみです。 私が想像する楽しみも大体がこんなものです。皆さんの中でも、今日の法要の後に食べる「ぼた 餅」が楽しみな方がおられると思います。そういう楽しみが1つ目の楽しみになります。 

次に2つ目の楽しみですが、この2つ目の楽しみがとても心に刺さります。それは「差別する 楽しみ」です。差別することが楽しみだと聞くと「頭がオカシイのではないか」「そんなものが楽 しいわけがないだろう」と思う人がほとんどだと思います。しかし、みなさん、少しだけゆっく りと考えてみて下さい。日本には、「他人の不幸は蜜の味」という言葉があります。嫌いな人が、 誰かに怒られていたら「ざまあみろ」と、楽しくなってしまうことはありませんか?私達は気づ いていないだけで、いつの間にか、他人の不幸が楽しみになってしまっていることはあるのでは ないでしょうか。 

実は、私達の生活の中で最も深刻に根付いていのが、この「差別する楽しみ」なんだと思いま す。私自身もそうですが、日常生活のことを思い返すと、差別をしたり、人をバカにすることで 知らず知らずのうちに、満足したり、楽しんでいる自分がいます。 

そんな私たちを悲しんでいるのが仏様なのです。人をバカにしたり、差別することで楽しもう としている私達を悲しんで、「本当にあなたが願っていることは、何ですか?」と問いかけてくだ さるのが、阿弥陀仏のはたらきです。それが実は言うと、3つ目の楽しみなんです。「仏様の功徳による楽しみ」です。それが、私達にとっての本来の楽しみであり、先程言いました浄土という争いのない世界の楽しみです。

ゴミがあるから綺麗 

浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人は、お浄土の世界を海に例え、人間を川に例えられます。 

川には色んな川がありますね。きれいな川があったり、汚れた川があったり、温かい川や冷たい 川、流れが速い川やゆっくり流れる川。いろいろあると思います。そして、私たち人間も、様々 な違いがあります。私たちは、必ず生まれと育ちが違います。生まれで言えば、男と女で違って きます。育ちで言えば、私自身、まだまだブラジルのことが詳しくありませんが、ブラジルの中 でも環境や文化が違うと思います。そういった、違いの中で生きていますので、誰もが全く違っ た人生を歩んでいます。そして、その違いのなかで争ってしまったり、差別してしまったりして います。 

そんな川のようなバラバラな存在である私たちに対して、親鸞聖人は争いが無い世界である浄 土を海に例えられました。海と聞くと皆さんは、どういうイメージを持ちますか?私は綺麗だな あというイメージを持っています。しかし、よく見ると海にはたくさんのゴミが落ちてます。日 本ですと、ペットボトルのゴミがとてもたくさん落ちています。海はきれいだという風なイメー ジを持ちますが、実はたくさんのゴミが落ちていて汚いんです。 

ただ、ある人は、ゴミがあるからこそ奇麗なのだとおっしゃいました。なぜだか皆さん分かり ますか?その人は、ゴミなど色んなものを包むからこそ海はきれいなのだ、とおっしゃいました。 これは、汚いから入れないということがないんです。そういった、なんでも包み、受け入れるの が海であり、だからこそ綺麗なんです。日本では、海のことを「母なる海」と言います。それは、 母親というのは、いくら我がままな子供であっても、やんちゃで悪さばかりしてしまう子供でも 受け入れてくれるんです。私自身、母親が苦手ですが、だからといって、母親は私を見捨てるこ とはありませんでした。ですので、親鸞聖人が、浄土を海に例えられたということは、一人たり とも見捨てないという事なんです。浄土に入れない人なんていないということなんです。私たち が川であれば、川は必ず海にまで流れますから。人間同士、様々な違いがありますが、それでも、 何があっても見捨てない仏様の功徳こそが私達にとっての楽しみになるんです。 

最後になりますが、どんな人も争いが好きな人はいないと思います。喧嘩した後などは、後悔 することの方が多いです。それでも、些細なことで私達は争って傷つけ合ってしまっています。 そんな私達に「あなたの本当の願いに気づきなさい、本当の楽しみに気づきなさい」と呼びかけ、 「あなたが本当の願っていること、本当の楽しみは、争いなどせず色んな人と一緒に生きていく ことでしょう」と教えてくださっているのが仏様です。回りくどい話になったかも知れませんが、 その願いを改めて聞いていくのが、彼岸会法要です。 

今日は、ご清聴いただきありがとうございました。 

              



Prazer em conhecê-los. Meu nome é Masato Uranishi, e vim do Betsuin em São Paulo. Já estou no Brasil a três anos e três meses.

Hoje, eu gostaria de falar sobre a "Ohigan". Como muitos de vocês devem saber, "Ohigan" refere-se à Terra Pura. A Terra Pura é chamada a outra margem, e o mundo atual em que vivemos é chamado de o esta margem.

Que tipo de mundo você acha que é a Terra Pura? A Terra Pura também é chamada da Terra Pura da Paz e Alegria. Que tipo de Alegria você acha que existe na Terra Pura? Imagine isso. Tenho esta imagem de Alegria: boa comida, bom álcool, ar puro, sem trabalho, sempre de férias, viajando e me banhando nas fontes termais. Essa é a imagem que eu tenho de Alegria.

Mas o mundo da Terra Pura, é claro, não é assim. Em poucas palavras, a Terra Pura é um mundo sem conflitos. Esse deve ser a verdadeira Alegria para nós.


No passado, havia um monge na China chamado Mestre Tanluan. Ele é mencionado nos “Shoshinge“(poema de verdadeiro fé) que você já ouviu muitas vezes. Ele nos ensinou que temos três tipos de Alegria.

O primeiro é "o Alegria através dos cinco sentidos". 

A primeira é "desfrutar através dos sentidos", como ver belas paisagens, ouvir música agradável, tocar a roupa de cama fofa, comer comidas deliciosas e sentir bons cheiros. Estes são os tipos de Alegrias que eu imagino que a maioria de nós desfruta. Tenho certeza de que alguns de vocês estão ansiosos pelos Botamochi (bolos de arroz) que comeremos após o serviço cerimonial de hoje. Esse é o primeiro tipo de Alegria.

A segunda Alegria é realmente que se mantém na minha mente. É o "divertimento da discriminação". A maioria das pessoas que ouvem que é divertido discriminar pensam que não é verdadeiro ou que tais coisas não podem ser divertidas. No entanto, por favor, reserve um momento para pensar sobre isso. 

No Japão, há um ditado: "O infortúnio humano tem gosto de mel". Se alguém de quem você não gosta está com raiva de você, você não se sente às vezes feliz ? Podemos nem perceber isso, mas antes de sabermos, estamos desfrutando da desgraça dos outros.

Na verdade, acho que foi este "gozo da discriminação" que mais seriamente se enraizou em nossas vidas. Quando penso em minha própria vida cotidiana, dou por mim inconscientemente desfrutando e ficando satisfeito por discriminar e fazer troça dos outros.

O Buda tem compaixão e tristeza por nós como tal. Ele se entristece com nossas tentativas de nos divertir fazendo pouco e discriminando os outros, e nos pergunta: "O que é que você realmente deseja? A ação de Amitabha Buda é nos perguntar: "O que é que você realmente deseja? Esse é na verdade o terceiro tipo de diversão. É "o gozo através dos méritos do Buda". Esta é a Alegria original para nós, a Alegria da Terra Pura, um mundo sem conflitos, como mencionei anteriormente.



Mestre Shinran que revelou Jodo Shinshu, comparou o mundo da Terra Pura com o mar e as pessoas com os rios.


Há muitos tipos de rios, há rios limpos e rios sujos, rios quentes e rios frios, rios de fluxo rápido e rios de fluxo lento. Existem muitos tipos diferentes. Nós, humanos, também somos diferentes em muitos aspectos. Todos nascemos e fomos educados de maneira diferente. Em termos de nascimento, homens e mulheres são diferentes. Em termos de educação, eu mesmo ainda não estou familiarizado com o Brasil, mas acho que, mesmo dentro do Brasil, o meio ambiente e a cultura são diferentes. Vivemos em um ambiente e uma cultura tão diferentes, portanto, a vida de cada um é completamente diferente. E por causa dessas diferenças, as pessoas lutam e discriminam umas contra as outras.

Mestre Shinran comparou a Terra Pura, um mundo onde não há conflito, com o mar. Que imagem você tem quando ouve a palavra 'oceano'? Eu tenho uma imagem de como é bonito ,entretanto se você olhar com atenção, verá que há muito lixo no mar. No Japão, há muito lixo de garrafas plásticas. As pessoas têm uma imagem de que o mar está limpo, mas na verdade, há muito lixo na praia e está sujo.

No entanto, uma pessoa disse que é por causa do lixo que o mar está limpo. Você sabe por quê? Ele disse que o mar está limpo porque aceita muitas coisas, inclusive lixo. Isto significa que você não pode deixar nada entrar porque está sujo. É o oceano que envolve e aceita tudo, e é por isso que ele está limpo. 

No Japão, o mar é chamado de "mar-mãe". Isto porque uma mãe aceita uma criança, não importa o quão egoísta ele seja, não importa o quão malicioso ou maliciosa ele seja, mas isso não significa que mãe abandona o filho.                 

Portanto, quando Mestre Shinran compara a Terra Pura ao oceano, significa que ele não abandonará nem mesmo uma pessoa. Não há ninguém que não possa entrar na Terra Pura. Se formos um rio, o rio sempre fluirá para o mar. Nós humanos temos muitas diferenças, mas ainda assim, o mérito e a virtude do Buda, que não nos abandonará aconteça o que acontecer, é o que temos que esperar ansiosamente.

Por último, mas não menos importante, não acho que ninguém goste de lutar. Depois de uma briga, muitas vezes nos arrependemos. Mesmo assim, ainda lutamos e nos magoamos uns aos outros por coisas triviais. O Buda nos chama para "realizar seu verdadeiro desejo, realizar sua verdadeira Alegria" e nos diz que “seu verdadeiro desejo, sua verdadeira Alegria, é viver junto com várias pessoas sem lutar". Pode parecer uma forma rotunda de dizer isto, mas o Rito Cerimonial do Higan-e (Equinócio de primavera ) é um momento para ouvir este desejo mais uma vez.

Muito obrigado por sua atenção de hoje.





17504-010 Rua 24 Dezembro, 1587 Marilia Sao Paulo Brasil Bairro Alto Cafezal Organização Budista Sinsyu Honganji em Marília Higashi Honganji マリリア真宗本願寺 東本願寺 Tel templo 3301-6230 / Cel monje 99731-5598 Monge Shu Izuhara facebook https://www.facebook.com/higashi.marilia




「ブラジル・シュウちゃんねる」




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