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2021/10/23

樹齢100年のブラジルのキン台 マリリア真宗本願寺 (東本願寺)のキン台を作りました。

 無いものは現地で作る

 ブラジルのお寺を見ていると、日本から輸入したものと現地で作ったものが混在しています。割合では8−2で現地で作ったものが多いのです。私が初めてブラジルのサンパウロ別院に着任した時も、ご門徒の古山さんに本尊前の内敷の骨組みを作っていただいたのを覚えています。その後は蝋燭の穴あけの機械も作ってくださったり、須弥壇収骨も作っていただきました。

 ここ、マリリアのお寺でもお寺が立つ前の阿弥陀仏や経卓などが残っています。
そもそもこの木造建築のお寺自体が現地の木で建てられています。おそらく移民でおいでになった大工さんが建立したと言われています。現在は森林保護の為使えないシロアリなどに侵されない堅い木で建っています。もう70周年になりますが、屋根は雨漏りで困っていますが、他の部分は全く問題がありません。屋根も日本式屋根の仕組みを知らない人が改修を行なった為不完全になっていると想像しています。ブラジルの屋根と構造が違うので仕方がないのです。

現地の職人に作ってもらう

 かつては移民の中に日本家屋に詳しい大工がいましたが、今はその巧みの技は日本でさえ宮大工しか知らないのです。ブラジルにいないのはもっともなことです。

 しかし、ブラジルにも優れた技術者がいます。そういった人を探すのはかなり難しいと痛感しています。しかし、妻のファビアのおかげで使い古された木をリノベーションするJesséさんを見つけてきてくれて彼に今回キン台を作ってもらいました。

 大変ありがたいことに、現ブラジル別院輪番、塚本先生の計らいで先生の自坊の等運寺様よりキン(おつとめの時に鳴らす鐘)とキン台を今年いただいたのです。 ブラジルは椅子に座ってのお勤めなのでさらに台を追加してJesséさんに作ってもらいました。

真宗大谷派  等運寺 三条教区 第18組 http://www.winpal.net/~341-2/



樹齢100年の木!

動画の中で語っていますが、今回Jesséさんが作ってくれた台の気は樹齢100年ものブラジルのperoba rosa (ペロバ ホーザ)という木で作ってくださったのです!
 動画の中では木肌が見えますが、後でファビアが他の仏具に合わせて黒く塗ってくれました。結構時間とお金もかかりましたが、ブラジルのお寺ではこのようにして日本の物とブラジルの物と人の力でお寺が成り立っていることを肌で感じました。
 思えば日本の仏教も中国・韓国との交流の中100年単位の時間をかけて、教えとともに建築や絵画などの匠の技がたくさんの人の志のおかげで形成されたのでした。

 そのお披露目動画です。  撮影したのは数ヶ月前の動画になります。   


「ブラジル・シュウちゃんねる」

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#budismo #shino #キン台 #ブラジル #お寺

2021/10/20

Noteより、毎日ブラジルより、お朝勤と仏教のお話 ポルトガル語、原文、現代文比較 朗読あり

 仏教のポルトガル語のテキストと日本語の原文、そして日本語の現代語訳や語句の意味を掲載しています。

 今日のブログは、いつもは私のもう一つのブログnoteに書いている内容です。

本職はブラジルで僧侶をしているので、毎朝のお勤めのお今日のリンクとその後のお話のノートをnoteにシェアしています。

 noteのいい点はとてもシンプルで名前の通りテキストが読みやすい点です。こちらにもアクセスしてください。毎朝(ブラジル時間)お勤めと法話をしています。下手ではありますが、ポルトガル語でも話させてもらっています。テキストもあるので、特殊ではありますが、ポルトガル語の勉強にも役立つと思います。

https://note.com/izushu/n/ne7aadeb5043a

2021/10/15

仏教のポルトガル語のテキストと日本語の原文、そして日本語の現代語訳や語句の意味を掲載しています。私の完全仏教系ブログ、noteの宣伝です。 

 今日のブログは定期的に行っているもう一つのブログnoteの宣伝です。

https://note.com/izushu

仏教のポルトガル語のテキストと日本語の原文、そして日本語の現代語訳や語句の意味を掲載しています。


 もうブラジルに来て14年目になりますが、現在ブラジルのマリリア市という場所のマリリア真宗本願寺という場所で僧侶として働いています。

 この世がコロナになる少し前からYouTubeで毎朝のお勤めを生中継しているのですが(このブログの最下部に今日の内容を表示させておきます)お勤めの後の法話の代わりに、ポルトガル語に翻訳されたテキストを読んで感想を述べるのを日課にしています。その時にネットで見ている人にもテキストを配れたらいいという思いで作ったのがnoteのブログです。このブログは広告が一切ないのでまさにノートのように見やすく参照しやすいのが特徴です。

 たまにこちらのブラジル日記にもその内容をアップしつつ、noteの宣伝を兼ねさせてもらっています。ちょっと難しいかもしれませんが、日本の仏教の教えがこうやってポルトガル語になってるなんてすごいことだと思います仏教の教えは人間の迷いや苦しみを解決する教えで、現代の私たちにも通用する大切な教えです。ここブラジルはカトリックやキリスト教の教えが大勢を占めていますが、仏教の教えに惹きつけられる人も年々増えています。

 毎日少し仏教の言葉に触れることが、人生の糧となるでしょう。毎日水を飲み、食事をするように一緒に仏教の教えに触れてみてはいかがでしょうか?

ポルトガル語の勉強にもなると思います。


口伝鈔 第九章.    Capítulo 10 


Capítulo 10

 Uma explanação a respeito do Décimo Oitavo Voto 



"Este Buda atualmente permanece na Budeidade44". Esta declaração em uma edição popular diz: "(Este Buda) está neste mundo", No entanto, os professores de Kurodani e Honganji45 omitem o ideograma para "mundo" ao citar esta passagem. Depois de deliberar sobre isso, eu também decidi omitir tal palavra. 


Qual é a justificativa? Primeiro, o Sutra Mahāyāna Abhisamaya diz: "Todos os Budas da budeidade na Terra Pura são corpo de recompensa46 e todos os Budas da budeidade que habitam esta terra contaminada são corpos de transformação47." Esta passagem revela que o grande Mestre Shan-tao não usou o ideograma “mundo" que apareceria para tornar este princípio superficial e vulgar, ao esclarecer o princípio do corpo recompensa e Terra da Recompensa. 


É provavelmente porque não faria muito sentido se Tathagata Amida na Budeidade na Terra Pura for expressa como "(Amida) agora neste mundo." Entretanto, como a Terra Pura é muitas vezes interpretada como o mundo da suprema alegria, algumas pessoas podem perguntar-me como é que o ideograma "mundo" contradiz o significado do corpo da recompensa e da Terra da Recompensa. Na verdade, é uma das teorias que nossa escola usa para explicar a Terra Pura em palavras simples. Outras escolas também parecem aplicar o ideograma "mundo" para explicá-lo em termos mundanos. O Abhidharma-kośa, capítulo de Loka diz, "o mundo receptáculo é suportado pelo disco do vento." Isto mostra quando o mundo material é discutido, o ideograma ("mundo") é usado. É, sem dúvida, bem fundamentado porque o Bodhisattva Vasubandhu escreveu isso.

No entanto, no Verdadeiro Ensinamento baseado no entendimento de Mestre Shan-tao, a teoria do corpo de recompensa e Terra da Recompensa já foi estabelecida como uma orientação normativa. Ao recordar a passagem do Tratado de Vasubandhu, "Quando contemplamos esse mundo, ele ultrapassa os caminhos do mundo triplo48", para expor o Tathagata Amida cuja verdadeira realização que torna a Terra do "mundo" ser usado? Isso sugere razões para omitir este ideograma. Em vez de lê-lo como, "Este Buda está agora presentemente na budeidade", claramente soa melhor, e de um ponto de vista da lógica e da ideia-chave expressa, este ideograma "mundo" literalmente não tem lugar. Ao discutir este ponto defendido por ambos os patriarcas, Mestre Hônen o mais sábio de todos os nomes famosos das Oito Escolas (especialmente aquelas que tomam a posição dos Três Tratados), disse: "Embora nenhuma linhagem exponha o Voto desta forma, a interpretação do Verdadeiro Ensinamento da Terra Pura faz mais sentido para mim." 





44 

Da obra Hinos de Louvor do Ir-Nascer [Ojöraisan]do Mestre Shan-tao “


45

Respectivamente Hōnen e Shinran



46

Em sânscrito,[Sambogakaya], é a manifestação da verdade em forma absoluta, para além da necessidade de discriminação em conceitos. Representa a Verdade que está além da forma e da ideia. 



47

 Em sânscrito, [Nirmanakaya], é a mais concreta das manifestações, que adquire um corpo, aparecendo em benefício dos seres. Corresponde ao corpo manifestado de Buda. 


48

"Em sanscrito, [Triloka] - O Mundo Tríplice são os mundos dos desejos, da forma e sem-forma. 



原文


第十八願取意の文

(10)

一 十八の願につきたる御釈の事。

 「彼仏今現在成仏」(礼讃)等。この御釈に世流布の本には「在世」とあり。しかるに黒谷·本願寺両師(源空·親鸞)ともに、この「世」の字を略して引かれたり。

 わたくしにそのゆゑを案ずるに、略せらるる条、もつともそのゆゑあるか。まづ『大乗同性経』にいはく「浄土中成仏悉是報身(ほうじん) 穢土中成仏悉是化身」(意)[文]。この文を依憑(えひょう)として、大師(善導)、報身報土の義を成ぜらるるに、この「世」の字をおきてはすこぶる義理浅近(せんごん)なるべしとおぼしめさるるか。そのゆゑは浄土中成仏の弥陀如来につきて、「いま世にましまして」とこの文を訓ぜば、いますこし義理言はれざるか。極楽世界とも釈せらるるうへは、「世」の字いかでか報身報土の義にのくべきとおぼゆる篇(へん)もあれども、さればそれも自宗におきて浅近(せんごん)のかたを釈せらるるときの一往の義なり。

 おほよそ諸宗におきて、おほくはこの字を浅近(せんごん)のときもちゐつけたり。まづ『倶舎論』の性相[「世間品」]に、「安立器世間風輪最居下(こげ)」と等判ぜり。器世間を建立するときこの字をもちゐる条、分明なり。世親菩薩(天親)の所造もつともゆゑあるべきをや勿論(もちろん)なり。しかるにわが真宗にいたりては善導和尚の御こころによるに、すでに報身報土の廃立をもつて規模とす。しかれば、「観彼世界相勝過三界道」(浄土論)の論文(ろんもん)をもつておもふに、三界の道に勝過せる報土にして正覚を成ずる弥陀如来のことをいふとき、世間浅近(せんごん)の事にもちゐならひたる「世」の字をもつて、いかでか義を成ぜらるべきや。

 この道理によりていまの一字を略せらるるかとみえたり。されば「彼仏今現在成仏」とつづけてこれを訓ずるに、「かの仏いま現在して成仏したまへり」と訓ずれば、はるかにききよきなり。義理といひ文点(もんてん)といひ、この一字もつともあまれるか。

 この道理をもつて、両祖の御相伝を推験して八宗兼学の了然上人(りょうねんしょうにん)[ことに三論宗]にいまの料簡を談話(たんかい)せしに、「浄土真宗におきてこの一義相伝なしといへども、この料簡もつとも同ずべし」と[云々]。



現代文

第十八願に関するご解釈のこと。「彼の仏は今現(いまげん)に仏と成って在(おわ)します」などと(『往生礼讃』に)(注1 詠われている。このご解釈について、世の流布本では「世に在します」とある。ところが黒谷の法然上人と本願寺の親鸞聖人の両師ともに、この「世」の字を省略して引用された。わたし一個の考えをもってこの理由を考えてみると、省略されたことは、確かにその理由があるのではないか。まず 『大乗同性経』(注2)には、「浄土で仏となっておられる方は、すべて報身(注3)であって、この穢土(注4)で仏となっておられる方はすべて化身(注5)である」と言っている。この文をよりどころとして、善導大師は(注6)阿弥陀仏の報身・報土の義を成立されるには、この「世」の字をそのまま文中に置いたのでは、はなはだしくこの文の意味するところや筋道が浅薄になるだろう、とお考えになったものであろうか。その理由は、「浄土の中にあって仏と成」っておられる阿弥陀如来について「いま世においでになって」と、この文を読むならば、いま少し意味や筋道が成りたたないからではないか。「極楽世界」とも解釈しておられる以上は、(注7)「世」の字がどうして報身・報土の義にそむくようなことになろうか、と考えられるふしもあるけれども、しかしこうした考え方もわが宗ではわかりやすく常識的解釈をされるときに立てる一往の説である。


 おおよそ諸宗においては、多くはこの「世」の字を常識的な説明のときに用いる習慣になっている。まず 『倶舎論』(注8)へ世間品には「器世間をささえて、風輪はもっとも下に居る」と判じているように、器世間をたてる場合にこの字を用いていることが明白である。世親菩薩の著書〔にしめすところ〕であるから、もっとも理由があることはいうまでもない。もちろんのことである。ところがわが真宗においては、善導和尚のお考えによって、すでに阿弥陀仏の報身・報土を自説と立てて、他説を廃することを手本とする。したがって「かの世界の相を観ると、(注9)三界(注10)の道に勝れ過っている」という 『浄土論』の文をもって考えあわせると、三界の道に勝れまさっている真実の浄土にあってさとりを完成した阿弥陀仏のことをいう場合に、世間の常識的な事を説明するのに用いてきた「世」の字をもって、どうして報身・報土の義を成立することができようか、できないのである。この理由によって、いまの一字を省略せられたものか、と考えられる。だから「彼の仏は今現に仏と成って在します」と続けて、この文をよむときに「かの仏はいま現においでになって仏と成っておられる」とよめば、遥かに聞き易いわけである。意味内容からも、文章の構成からも、この一字はもっとも不必要ではないか。この道理によって両祖師の伝えられたお考えを推しはかって、八宗兼学の了然上人(とくに三論宗〔を学ばれたひと〕)にいまのような理解をお話ししたところ、「このことについて教えを受け伝えてはいないが、浄土真宗において理解されたところが、わたしには一番同意できる」と言われた。




 『往生礼讃』にこの文は善導の 『往生礼讃』の文で、そこには「彼仏今現在世成仏」(真宗聖教全書一。六八三)とあるが、いまそのなかの「世」を除いた文を掲げて、その理由を論ずるのである。法然はこの文を 『選択集』に引用(同一。九四〇)し、親鸞自身もこれを 『教行信証』行巻に引用している(同二・二〇ー1)。 


『大乗同性経』ここに掲げる 『大乗同性経』(大正大蔵経一六)の文は「浄土中成仏、悉是報身。穢土中成仏、悉是化身」とあるが、これは同経下巻の意を取ったもので、この文は、道綽の 『安楽集』上巻に同経の文として引用しているもの(同一・三八三)と一致する。したがって覚如はこの文を 『安楽集』から孫引きしたものである。 『往生要集』第一〇章、第一にもこの 『安楽集』の文を引用している(石田瑞麿(みずまろ)」訳 『往生要集』 2、二四八ページ。東洋文庫所収)。 


『敷異抄』第一章注一参照。一ニページ。


穢土

煩悩にけがれているところという意で、われわれのすむ、この姿婆世界である。浄土に対する。


化身

仏が姿をかえてあらわれたもので、権化などともいう。親鸞がいう方便報身はこれと同じではない。


善導大師は

善導は 『観経疏』玄義分で、みずから問答を設けて、阿弥陀仏の浄土は報土か化土か、と論じて、『大乗同性経』に説くように、「西方の安楽の阿弥陀仏はこれ報仏・報土」(同一・四五七)と答えている。


極楽世界と解釈しておられる

主として善導を考えてよいが、かならずしも善導だけがこの表現を用いるのではない。


『倶舎論』


 第十一巻分別世品に説かれる詩である(大正大蔵経二九。五七上)。これは仏教世界観の一端を示すもので、われわれの住む山河、大地などの器世間をささえる、基盤を構成しているものに風・水・金の三輪があって、風輪は最下部にある、という考え方である。


かの世界の相……世親の 『浄土論』の詩に見られる(同一・三六九)。


10

三界

欲界・色界・無色界の三であるが、生を享けるものが生れかわり、死にかわる流転輪廻の迷いの世界を階位の上から三っに分けたもの。


11

了然

 『最須敬重絵詞』第六巻によれば、光明寺の自性房了然は三論宗のひとで、京極中納言定家の嫡子光家の子である。禅を道隆に学んだという(同三。八四八)。


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親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)




2021/10/14の朝のお勤めの様子


「ブラジル・シュウちゃんねる」


2021/10/07

(動画付き) 直綴(じきとつ・黒衣)の着方、脱ぎ方、畳み方


(動画付き) 直綴(じきとつ・黒衣)の

着方、脱ぎ方、畳み方








直綴(じきとつ・黒衣)はひだが繊細で崩れやすいのでハンガーにかけたらすぐにダメになってしまします。正しく畳むと、綺麗に長持ちします。お試しください。


 今回は新品の衣をしつけた後に、最初に4っつの紐を取り付けるところから始まります。次に着方、(着衣)そして、脱ぎ方(脱衣)引き続いてたたみ方になります。


 脱ぐ時の動作はそのまま畳み方の動作になっています。本山や日本の小松時代に習ったことを思い出しながら説明させていただきました。毎日使う衣で特に直綴は繊細な衣なので、大切に扱う必要が出てきます。


 正直、不器用で大雑把な性格の私は苦労しましたが、毎日やっているおかげで少しはできるようになりました。毎日同じことを繰り返すことの大切さを思います。



それでは動画をご覧ください、参考になれば幸いです。




第一回目はこちら

直綴(じきとつ・黒衣)のしつけ方 直綴を開封して初めにするといいこと。

https://youtu.be/PDPzZ0X9a4g



1回目の方、ブログにも書いています。

https://www.brasilsanpo.com/2021/10/blog-post_6.html







「ブラジル・シュウちゃんねる」

2021/10/06

ブラジルの僧侶、ジアンさんからのメッセージ 「宗教と差別」2  “Religião e Discriminação” Rev. Jean Tetsuji 2

今回はブラジルのお坊さんジアン哲慈さんのコラム第二弾を紹介いたします。
彼はレインボーサンガという宗派を超えて連帯し、差別をなくす運動をここブラジルで展開しています。 とても柔和な方で、イケメンでもあります。
 僧侶になる前からエアーフランスの客室乗務員をなさっています。そのジアンさんが、サンパウロ別院の発行しているお便りに、差別と宗教というテーマで連載を始めました。

 ブラジルの現在のお坊さんは、この現代社会においてどのように仏教を学び、それを発信しているのでしょうか? 
その一つがこのコラムを読めばわかると思います。
ポルトガル語の勉強にもなると思います。ぜひ読んでみてください。 
連載です。

ブラジルの別院サイト・オフィシャル

(過去の別院だよりも、このサイトにあります)

Rainbow Sangha - Budismo LGBT+

ブラジルの差別に反対するサイトです


 Religião e DiscriminaçãoRev. Jean Tetsuji  2

Olá a todos, espero que se encontrem bem e seguros! Nas outras edições refleti um pouco sobre a origem da discriminação apontando possíveis causas - medo, comparação, julgamento - como parâmetros da intolerância e da discriminação. E hoje seria pensar no ambiente religioso. Ouvimos muito a expressão Budismos no plural, conforme nosso saudoso e querido prof. rev. Ricardo Mário, como fossem coisas discordantes. E na ânsia de querer o melhor, procuramos selecionar o mais correto e legítimo. Costumo dizer que as escolas budistas não concorrem entre elas. Elas são expressões de um mesmo tronco por ramos diversos. 

E lembremos que Buda Shakyamuni ensinou por formas adequadas às pessoas com capacidades espirituais diferentes, e sobretudo para eras distantes, quando um Buda não estaria mais presente. Nesse sentido, o Budismo não pode ser entendido como um produto acabado, engessado, como diz rev. Nobuo Haneda em um de seus artigos*. As diferenças de pensamentos podem ser saudáveis quando bem conduzidas, mas trazem no pacote a possibilidade da soberba e da discórdia, e isso ocorre nas comunidades religiosas, inclusive budistas. Os possíveis desafetos desestabilizam a comunidade. Por isso a importância de escutar o Dharma (prática de monpô), estudar, debater e elucidar pontos incompreendidos e sobretudo se permitir à reflexão, à humildade e à reconciliação. 

Uma das cinco perversidades excludentes no 18o Voto de Amida é a cisão no Sangha (os outros quatro são: matar um pai, matar uma mãe, matar um asceta e derramar o sangue de um Buda). E por sua compaixão incondicional, uma característica da Terra Pura é ser uma terra onde todos são iguais. Vemos esta equalização no 3o Voto ao falar que todos possuirão a cor de ouro. Gosto muito ainda da explanação do Rev. Haneda quando entende a Terra Pura como uma inspiração ao Sangha e um local de transformação. A Terra Pura sendo aqui e agora. Não estamos em competição, estamos juntos no Caminho. A Luz do Buda opera em nós como somos, sem pedir que mudemos. Porém, essa interpretação pode ser mal recebida se recortada de um pensamento maior. 

Entretanto, não cabe uma comodidade de se fazer e ser como se bem entende, em atitude soberba, detratora e intolerante. Para isto existe um termo, Hongan Bokori, o qual o verbo hokoru significa ser orgulhoso, vangloriar-se, no caso do Voto Original por saber que será salvo como seja você como for. Ao ser tocado pelo Voto do Buda, nossas ações paulatinamente tendem a ser mais compassivas e humanas, e não o contrário. Creio ser esse o significado da Terra Pura como local de transformação e a reflexão que rev. Masato tenha nos trazido. Nosso espaço aqui é curto, merece ser desdobrada em boas conversas! E como está a saúde, a harmonia, do seu Sangha? Um abraço e até a próxima e última coluna. 

*site www.maida-center.org 





「宗 教と差別 ジェアン 哲慈  2


みなさん、こんにちは。お元気のこととお 喜 申し上ます。 前号は、「恐れ、比較、判断」不寛容と差別の要因として指摘きるのはないかと申 しました。 今回は、 宗 教 的な問題について 考 えていきたいと思います。 

 私たちのよき師あったリカル先生によると、仏 教 複数の教えあるよ うに誤解され、その上、それれの教え意見合わないとよくおっしゃってい ました。 私たちはのようなものに対しても最高のものを欲しる中、残念 なら、教えに対しても 最 も正確合法的なものを選択しようとしてしまいます。

 私はよく同仏 教 の教えは互いに 競 争しないと言っています。 それらは、同幹を持ついくつかの枝のようなものす。お釈迦様は、異なった思考や能 、逆 にそれらは相手を軽蔑したり、不仲を生む可能性あります。このようなことは仏 教 徒を含む 宗 教 コミュニティー発生します。 起こりうる不満はコミュニティーの信頼を失いさせます。

からこそ、教えに耳を 傾 け、勉 強 し、理解きていない部分について議論 し、解明し、そして何よりも自分自身反省し、謙虚に、そして互いを認め合うこと 重 要あると思います。 

 阿弥陀様の第18願救いから除かれる五 逆 の中の 1 つに、サンの分裂あります。(他の 4 つは、父親の殺害、母親の殺害、阿羅漢の殺害、仏陀を傷つけて 出 血させることす。) しかし、 浄 土は無 条 件の慈悲あり、誰も 平 等 す。 誰も金色 輝 いているという 3番目の願い教えられていて、それをもって 平 等なのす。 

浄土をサンへのはたらきと変容の場として理解している羽田先生の説明とても好きす。 浄土は今ここにあります。 私たちは競争していません。同道を歩んいます。
仏の光 は、私たちに変化を求めることなく、私達を有りのまま照らしてくれています。 しかし、この解 釈 は、本来の意図から切り離された場合、異なった受け止め方可能となります。 それは、傲慢、 中 傷 的、不寛容な態度、好き勝手な行動をとることはありません。 これには、弥陀の本願を、あなたがどんな人も救われると自慢し、誇りに思うことを意味する「本願こり」という用語あります。 

仏の本願に心打たれたら、 私 たちの行動には徐々に思いやり、 人間的になる傾向見られ、その 逆 はないはずです。これ、変容の場としての 浄 土の意味あり、このようなことの反省を浦西先生は提案されたのはないかと思っています。 このスースは限られています、これをきっかけに 沢山の話し合いをされることを願っています! あなたのサンの 調 和はすか? それは、アラッソ、次回最後の記事となります、それま、お元気! 

 *ウェサイトwww.maida-center.org 


「ブラジル・シュウちゃんねる」

 

(動画付き)直綴(じきとつ・黒衣)のしつけ方 直綴を開封して初めにするといいこと。

 直綴(じきとつ・黒衣)はひだが繊細で崩れやすいので最初に、アイロンをかけて折り目をつけるといいと思います


毎朝お朝の勤行で着衣する直綴を10年ぶりくらいに新調しました。直綴は動画でも解説していますようにひだが特徴で、乱れやすいので使う前にアイロンで折り目をしっかりつけておくと、畳みやすいです。結果長く綺麗に使用できるのです。

今回は、開封してアイロンを当てる方法を動画にしてみました。小松時代に教わったことを思い出しながらやってみました、細かいところは動画では伝えにくい部分もありましたが、参考になれば幸いです。


特に直綴はハンガーにかけると裾のひだが広がってしまい一気にダメになってしまうので、毎回畳むひつようがあります。最初は手間に思うかもしれませんが、毎日やっていると素早くできるようになりますのでぜひお試しください。



それでは動画をご覧ください




「ブラジル・シュウちゃんねる」





いま、注目の投稿はこちら

ブラジルの冷凍マグロを解凍して刺身にして食べるまで (解説動画あり)

ブラジルの冷凍マグロを解凍して刺身にして食べるまで解説動画です。  日本から来た人は(特に海沿いで美味しいお魚を食べてきた方は)ブラジルの刺身はイマイチと思われるかもしれませんが、わたしはもうかなり美味しくいただけるようになってきました。  北陸に住んでいた頃は地元の方は日本の他...

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