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2022/06/21

ブラジル日本移民114周年 開拓先没者追悼法要および開拓先亡者追悼法要 の法話 ポルトガル語付き

 私はブラジルに来て15年になります。ブラジルでは職業柄もあって6月18日の移民法要が毎年の習慣になりました。コロナで2年間見送られていた行事が行われて嬉しかったです。




 今年初めてポルトガル語でお話しをすることできました。これも毎朝youtubeの生配信でShu channel・ブラジルのシュウちゃんねるでポルトガル語の本を読み続けているからだと思います。 

やはり目の前の多くの人の前でお話しするといろいろ課題が見えてきました。ありがたい久しぶりの経験になりました。 人と人とが交わることはいいことばかりではありません、摩擦が起こって不都合な気持ちに苛まれる時もありますがその不都合が実は人生を磨いてくれる機会であるということも改めて感じました。

以下に日本語とポルトガル語の法話を掲載します。この2年間コロナで感じたことです。






 マリリア日系

ブラジル日本移民114周年

開拓先没者追悼法要および開拓先亡者追悼法要

Marília Nikkei

Dia Nacional da Imigração Japonesa

Culto Budista em Memória dos Imigrantes Japoneses




 現在ブラジルでは200万人もの日系ブラジル人がブラジルを様々な分野で支え、その発展に寄与しています。また日本にいる21万人のブラジル人の方々の存在は日伯両国の関係が良好であることの証です。また全伯各地に住み、農業分野などで活躍しいています。文化的な活動も続け、400以上もの文化団体が存在し、若者へも積極的に日本文化の継承を行っているそうです。

その働きの根源を訪ねてみます。

 コロナでお寺の活動が中止になっていたとき、どうしてスーパーは空いていてもお寺は活動してはいけないのか?と言ったら、ある人がガソリンスタンドは生活に必要だから空いている、病院も生活に必要だから空いている、スーパーも生活に必要だから開いている。と言われました。

という事はお寺は生活に必要がないからしまっているのだろうかと自問自答しました。

しかし実際はコロナ中も幾人かの方がお寺を心配してきてくださったり相談に乗ってくれたりしてくださいましたまたコロナが収束しかかってきた現在では多くの人がまたお寺を活用して手を合わせてくださっています。

コロナに必要なのは経済や予防注射も大事ですけれども精神的な注射が宗教が果たす役割だと教えてくださいました。

人間には食べ物やお金そして健康も必要ですが、もう一つ大事な精神的な助け必要で、それがお寺の役割だということをコロナによって教えられました。

マリアのお寺も70周年を迎えました。日系社会の長い歴史の中のご苦労に感謝し手を合わせることが1つ私たちにもう一つ必要な精神的な営みなんだと言うことを改めて教えてくれた先祖と歴史に改めて感謝したいと思います。

手を合わせて感謝する心が人間のエゴと言う病気を治す唯一の注射なのだと思います。逆に言えばいくら食べ物があって健康があっても、感謝をし手を合わせることを知らない人間は幸せにならないという事実がはっきりしました。

しかしこのことは既に先人が伝えてくれていたことです。その文章と詩の一部を紹介して終わりたいと思います。

ひとりごと


金子秀雄


序文にかえて より 抜粋 ー安良田 済 (あたら すむ)ー


コロニア文芸界を牽引したかたです。2019年に104歳でお亡くなりになっています。 山口県出身です、


 いま、この短歌、詩、民謡、随想、版画などの作品集に目をとおしてみると、経済的にも精神的にも切羽つまった、極限に立つ作者が如実に語られている。多くの人が語るのを避けたい屈辱、絶望、挫折のうめきの声にみちている。最近は「もう舊(きゅう)移民の苦労話はたくさんだ」という声をときおり耳にする。こういう人たちは、人間が生きるということは何か、と自問したことのない、いわゆる飽食時代の経験しかないからであろう。この人たちのいう苦労など、金子さんが生きた苦労とは次元がちがうのである。 たとえば、次の短歌はどうであろうか


高くないものであったら蜂蜜を一本ほしいと ながく病む妻 

病む妻のためにはるばる借りてきた金盗まれた日巻いた玉菜よ 

死ぬことがなんでもなかったよべの夢 起きて静かにコーヒーを飲む


このような極限の状況に生きながら、金子さんが自暴自棄、自己喪失しなかったのは、「愛」という支えをもっていたからと思われる。童話を読んだり、書いたりするときに安らぎを得た。民謡をつくる行為は愛のひとつの表現である、と私は感じとっている。だから人生の苦悩を経てきて到達したのは、


悲しみは

なお悲しみて

かみしめて

其をうなづきて 

業を尽くさん


南無阿弥陀仏 

南無阿弥陀仏


の境地であった。いわゆる立命を悟ったということであろうか。


先日金子秀雄さんの娘さん智恵子さんから大好きなお父さんの詩が送られてきました。
古山建二さんの翻訳です。


ランプつけソブレメーザは一郎の 昼間さがせし 甘きマモンよ


Lampião aceso. Sobremesa é a doçura do mamão que o menino Itiro encontrou de dia.




妻の居る九ヶ月ぶりの夕飯の 味噌汁吸いつつふくらむこころ


Depois de 9 meses hospitalizada, em casa janto com a esposa, sorvo misoshiru com o peito irriquieto.


Poema retirado do Livro de Poesias de Hideo Kaneko traduzido por Kenji Furuyama.


 苦しい時でも小さな幸せに感謝する力がこれからも日系社会、ブラジルを支え、私たち一人ひとりの人生を支えてくれていることを先人は教えてくださっています。そのことにこれからも感謝して手を合わしてまいりましょう。

ありがとうございました。



 Hoje, dois milhões de brasileiros de ascendência japonesa apóiam o Brasil em vários campos e contribuem para o seu desenvolvimento. A presença de 210.000 brasileiros no Japão é uma prova das boas relações entre os dois países. Eles vivem em todas as partes do país e são ativos no setor agrícola, entre outros. Eles também são ativos em atividades culturais e existem mais de 400 organizações culturais que transmitem ativamente a cultura japonesa para os jovens. Aqui em Marília também crescer. 

Qual é a base deste trabalho?

 Quando as atividades do templo foram canceladas pela Corona, perguntei por que os supermercados estavam abertos, mas os templos não tinham permissão para abrir? Alguém disse que os postos de gasolina estão abertos porque são necessários para a vida, os hospitais estão abertos porque são necessários para a vida, e os supermercados estão abertos porque são necessários para a vida. Ele disse.

Eu me perguntei se isto significava que os templos estão fechados porque não são necessários para a vida?

Mas na verdade, durante a Corona, algumas pessoas vieram ao templo e nos os ajudamos e agora que a Corona está quase terminando, muitas pessoas estão vindo ao templo novamente e juntam as suas mãos em gashô.

Ele nos disse que embora a economia e a imunização sejam importantes para a Corona, as injeções espirituais são o que a religião tem um papel necessário.

A corona me ensinou que as pessoas precisam de alimento, dinheiro e saúde, mas também precisam de ajuda espiritual, importante papel do templo.

O templo de Marília também comemorou seu 70º aniversário. Gostaríamos de agradecer a nossos ancestrais e a história da comunidade Nikkei por nos ensinar mais uma vez que unir as mãos em gratidão por seu trabalho árduo ao longo da longa história da comunidade é mais uma atividade espiritual que precisamos fazer.

Um coração grato com as mãos unidas é a única injeção que pode curar a doença chamada ego humano.

Por outro lado, ficou claro que não importa quanta comida e saúde haja, as pessoas não ficarão felizes se seus egos estiverem sendo violados.

Mas isto já nos foi dito por nossos antecessores. Eu gostaria de terminar com alguns de seus escritos e poemas.

Hideo Kaneko  

   Nascido na Província de Niigata

Nascido em 1912.  que chegaram a Santos, Brasil, na Maru brasileira em 1934.

“Um solilóquio”


Trechos do prefácio de Sumu Atara


Uma figura de destaque no mundo literário de Colônia, faleceu em 2019, aos 104 anos de idade. Ele nasceu na Prefeitura de Yamaguchi.


 Olhando através desta coleção de tanka, poesia, canções populares, ensaios, gravuras e outras obras, podemos ver que o autor estava em um estado de extremo esgotamento financeiro e espiritual. Eles estão imbuídos dos gemidos de humilhação, desespero e frustração dos quais a maioria das pessoas preferiria não falar. Hoje em dia, às vezes ouço as pessoas dizerem que estão fartas das dificuldades dos migrantes de Jiuzhou. Isto provavelmente porque estas pessoas nunca se perguntaram o que significa ser humano e apenas experimentaram a chamada idade da saciedade. As dificuldades de que estas pessoas falam são de uma dimensão diferente das dificuldades pelas quais Kaneko-san passou. 


“Uma esposa que está doente e anseia por uma garrafa de mel se ela não for muito cara.”


“Morrer não era nada, um sonho de duro trabalho, acordar e beber café em silêncio”


 A razão pela qual Kaneko não se desesperou ou se perdeu enquanto vivia em uma situação tão extrema é porque ela tinha o apoio do "amor". Ela encontrou conforto na leitura e na escrita de histórias infantis. Eu percebo o ato de fazer canções populares como uma expressão de amor. Então, tendo passado pelas dores da vida, cheguei ao próximo poema.


Luto.

Mais tristeza

Aceite-o. 

Abrace a vida.


Namu Amida butsu

Namu Amida butsu


O estado de espírito do Buda era "Namu Amidabutsu". Isto pode ser chamado de realização da vida na Terra. 



No outro dia, a filha de Hideo Kaneko Chieko me enviou um poema de seu pai favorito.
É uma tradução de Kenji Furuyama.



ランプつけソブレメーザは一郎の 昼間さがせし 甘きマモンよ


Lampião aceso. Sobremesa é a doçura do mamão que o menino Itiro encontrou de dia.




妻の居る九ヶ月ぶりの夕飯の 味噌汁吸いつつふくらむこころ


Depois de 9 meses hospitalizada, em casa janto com a esposa, sorvo misoshiru com o peito irriquieto.


Poema retirado do Livro de Poesias de Hideo Kaneko traduzido por Kenji Furuyama.


Nossos predecessores nos ensinaram que o poder de ser grato pela pequena felicidade mesmo em tempos difíceis continuará a apoiar a comunidade nikkei, o Brasil e a vida de todos e cada um de nós. Continuemos a dar as mãos em gratidão por isto.

Muito obrigado.



「ブラジル・シュウちゃんねる」

2021/07/15

第113回 日本人ブラジル移民追弔法要 2021年6月18日 マリリア墓地 慰霊碑前にて

 第113回 日本人ブラジル移民追弔法要 2021年6月18日 マリリア墓地 慰霊碑前にて






昨年に引き続き、今年もコロナのためにマリリア日系会館で行われる移民法要は中止になりました。しかし、お墓の慰霊碑前の午前のお勤めは行われました。

今年は西本願寺の僧侶、菅尾健太郎さんが導師を務めることになりました。かれはブラジル仏教のドキュメンタリー映画Três Joiasも撮っている異色の僧侶で、ポルトガル語も流暢に話します。

実は彼も広島出身で、誕生日の月日も私と一緒という偶然の一致があります。他のところは似てないのですが・・・・ ^_^

日本人ブラジル移民法要はブラジル日系社会で一番大切な法要と言っても過言ではないでしょう。それが今年は少人数ながらもお勤めできたことはありがたいご縁でした。

サンパウロ市にいた頃は仏教連合合同で移民法要をお勤めしていました。そして各地の慰霊碑や、拓魂碑前で法要を行っています。100年過ぎた今でも昨日のことのように先祖の苦労を述べ、感謝を捧げる姿に私自身も何度も出会ってきました。

その度にブラジル日系社会の歴史と伝統にたくさんのご苦労とたくさんの愛情のつながりが現在も脈々と受け継がれていることに感動させられてきました。

菅尾さんの法話も収録しております。ビデオ内ではポルトガル語ですがその要約を下記に記しているので読んでください。





以下 西本願寺 本派本願寺の僧侶 菅尾健太郎さんの法話の概要です。 6月18日、ブラジルでは日本人移民の日が祝われます。当時、移民として海を渡り、ブラジルの土となった私たちの両親や祖父母、曽祖父母たち祖先への敬意を示すためです。 私たちが生きることのできる時は今この現在しかありませんが、頂いた命の起源を忘れることはありません。そして移民として、ブラジル開拓の先駆者として生きた先祖たちの偉大さや彼らへの感謝の念は今更言うまでもない事でしょう。 彼らは勇気や尊厳、謙虚さ、連帯、生ける者、死せる者への敬意、真面目、献身、誠実、忍耐と知恵をもたらした人々です。 相田みつをさんの言葉を思い出します。 「尊いものは遺産ではなくて そのために流された先人の汗である」 親や家族、地域社会から受けてきた精神的、物質的遺産に思いを馳せる中で、そこから私たちは何を認識し、実践してゆくべきでしょうか。すべての親は愛情を込めて子供を育てる中で、子供が社会で貴重な役割を果たす立派な大人に成長することを願うものです。私たち一人一人は、そうした親や先祖のかけてくれる願いや希望、期待に応えてゆく必要があります。 これまで受けてきた恩恵に感謝するために、何か特別なことをする必要はありません。大切なことは一人一人、それぞれの与えられた場所で、日々御恩を思いつつ、励んでゆくことでしょう。私たちがそのように生き、歩むことができているなら、祖先たちは私たちの記憶や思い、言葉、行動の中で常に生きているのです。 マリリア市の墓地内にある慰霊塔はマリリア日本人会の日本移民50周年記念事業として設置されたものです。マリリアは勝ち組・負け組紛争が始まった場所ともいわれており、日本人同士で対立し、殺し合うといった悲劇があちこちで繰り広げられました。当時のマリリア日本人会の役員名簿には、ある年には勝ち組の人ばかりで役員が構成されたり、他の年には負け組の人たちばかりで構成されていたりと、勝ち組・負け組の対立が戦後の長きに渡ってマリリア地域の日本人たちへ及ぼした影響の深さが刻まれています。そうした苦難の経て1958年の移民50周年記念事業に慰霊塔の設営が選ばれたことを思うとき、そこには亡き先駆者を悼むと共に、日本人会、日系社会の統一、調和への願いが込められていたことが憶われます。お墓は私の命の起源と同時に行き先を教える場所です。現在の日系社会の起源を思いを馳せると同時に、今後の展望や行き先を考えてみる必要もあるでしょう。



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