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2022/11/19

ブラジルの東西合同の法語カレンダーがマリリア真宗本願寺に届きました!

 今年も終わりですね。来年のカレンダーが届くとそういう思いを抱きます。

ブラジルのこのカレンダーは大人気です。毎年画家の挿絵が街つき入っている上に、日本語、ポルトガル語、スペイン語と3カ国語でわかりやすい法語が書いてある上に、カレンダーに書き込みがしやすく、値段もリーズナブルだからです。
 挿絵は日本の東西本願寺のカレンダーに則っていますが、法語はブラジル独自に決められています。ブラジルの方が仏法に馴染みのない方々全般にわかりやすく言葉を伝える工夫が凝らしてあると思います。


今年から値上がりしました


わたしがブラジルに来てから14年目ですが今回初めて値上がりしました。今までは一つ三レアルで購入(仕入れ値)していたのですが、一つ四レアルになったのです。
 現在ブラジルのインフレは凄まじくついに値上がりしたか!という感じです。それでもだいぶ安いのです。逆に15年余り値段が変わらなく、値上がりも一レアルと小幅のは本山の助成金のおかげです。 15年前はマックのソフトクリームは一レアルでした。現在四レアルです。

 ということもあり、今まで五レアル程度でお渡ししていたのですが、七レアル程度の寄付でお配りすることになりました。一レアル値上がりしたのに二レアル多めに値付けしているのは将来またすぐ仕入れ値が上がってもそのままを維持するためです。


 とはいえお寺のこういう配布は全てお布施なので、実際はその値段でないとお渡ししないというわけではありません。普通のお店でもカレンダーを配っているところもあるように。お寺が原価を負担して普段おせになっている方に配ることもあります。その時その時で臨機応変に対応しています。わたしも毎年50冊くらいは自腹で配っています。一年のお礼にもなりますし、今年もよろしくお願いしますの気持ちにもなるのです。ともかくお寺全体で赤字にならないようにお配りできれば成功だと思っています。

というわけでみなさんぜひ持って行ってください。




「ブラジル・シュウちゃんねる」

2022/11/11

「『天空の城ラピュタ』と猫のチビッタの使命」 中日新聞より 今週のことば -尾畑文正-  ポルトガル語あり

 今週のことば      尾畑文正

「これより西方に、 十万億の仏土を過ぎて、 世界あり、名づけて極楽と曰(のたま)う。」  『阿弥陀経』


 この経言を私は「ここから西方 に、無数の悲しみに出遇(であい)い、真実の平和と幸福を見出した願いの国がある」と超訳する。コロナ蔓延(まんえん)の頃、争いで片目を失った猫が私の 家に来た。猫は映画『天空の城ラピュタ』のモデルと噂されるイタリアの街名から「チビッタ」と呼んでいる。チビッタは夕方になるといつも庭の縁石に手をかけ西方の山々を見つめる。私はその姿からチビッタには帰る世界、歩む方向があると想像する。私にあるのは戦争には戦争、武器には武器と、繰り返す暴力の連鎖に座する日常ばかりである。この現実を超えて平和への方向を歩んではいない。傷ついたチビッタから問われている。

 今、「西方に」向かうとは戦争を準備することではない。過去の侵略戦争に慚愧(ざんぎ)する戦争放棄の憲法を活かす道を歩むことである。 暴力 (武器・核)では世界の平和は生まれない。この大原則を私たちは世界に発信する使命があるのではないか。


(同朋大名誉教授) 





Palavras da Semana 
Bunsho Obata



"A oeste daqui, depois de cem mil bilhões de Budas, existe um mundo, que se chama Terra Purra".


"Sutra de Amida"


    Eu traduzo este sutra como "A oeste daqui, existe a Terra dos Desejos, onde inúmeras tristezas são encontradas e a verdadeira paz e felicidade são encontradas". Durante a epidemia de Corona, um gato veio à minha casa que tinha perdido um olho em uma luta. Eu chamo a gata de 'Civitta', depois do nome da cidade italiana que se diz ser o modelo para o filme Laputa: Castelo no Céu. À noite, 'Civitta' sempre coloca sua mão no passeio no jardim e olha para o oeste, em direção às montanhas. Imagino por sua aparência que a 'Civitta' tem um mundo para voltar, uma direção a ser seguida. Tudo o que tenho é guerra contra guerra, arma contra arma, e a rotina diária de estar sentado através do ciclo repetido de violência. Eu não estou caminhando na direção da paz além desta realidade. A pergunta está sendo feita pelos 'Civitta' feridos.

    Ir "para o oeste" agora não é preparar-se para a guerra. Significa tomar o caminho para utilizar a Constituição, que renuncia à guerra e se envergonha das guerras de agressão do passado. A violência (armas e armas nucleares) não criará a paz mundial. Temos a missão de transmitir este princípio ao mundo.


(Professor Emérito, Doho-Universidade) 


「ブラジル・シュウちゃんねる」


2022/11/02

「たとえ朝咲いて 夜散る花であっても、 その中には 無限のいのちがある」"Mesmo a flor que desabrocha no amanhecer e se extingue ao entardecer, abriga a Vida Infinita".

 11月 法語  Novembro Mensagem do Dharma





たとえ朝咲いて

夜散る花であっても、

その中には

無限のいのちがある


金子大栄



ポルトガル語

Mesmo a flor que desabrocha no amanhecer e

se extingue ao entardecer, abriga a Vida Infinita.


直訳

暁に咲く花が夕暮れ時に消えたとしても、無限の生命を宿している。


スペイン語

Incluso la flor que florece al amanecer y

se extingue al anochecer alberga la Vida Infinita.


直訳

夜明けに咲いて夕暮れに散る花も

無限の生命を抱いている。


Daiei Kaneko






 ブラジルの東西連合のカレンダーです。毎年ブラジルの東本願寺と西本願寺が共同で作っている法語カレンダーです。


ポルトガル語とスペイン語の翻訳付きで大変人気があります。来年のカレンダーもそろそろここマリリアに届きそうです。

 

 

金子大栄はわたしの生まれ故郷の広島にも縁のある真宗大谷派、東本願寺の僧侶です。ウィキペディアにもあるように一時期広島に滞在しておいでだったのです。

その時期にわたしの実家の法正寺にもよく呼ばれて法話をしてくださっていたそうです。ひいおじいちゃんの泉原寛海が呼んでいたと聞いています。
 もちろんわたしはその頃生まれていませんから直接の思い出はありませんが、いまこうやって思い出を辿ればご縁があったことを嬉しく思います。

金子大栄



無限の命に支えられていることを知ると、この有限の命が無限の命に支えられていることに感謝する瞬間があると思います。その一瞬に無限が宿っているのではないでしょうか。



「ブラジル・シュウちゃんねる」



2022/10/04

恨みは 恨み返さないことに よって鎮まるのです 大谷光真 (おおたに こうしん)ポルトガル語 O ódio só se extingue quando o abandonamos.

 10月の法語

ブラジルでの法語を紹介します。2022年はコロナそして戦争が世界規模につづいている、そういう世の中です。





恨みは

恨み返さないことに

よって鎮まるのです


大谷光真 (おおたに こうしん)


ポルトガル語

O ódio só se extingue quando o abandonamos.


スペイン語

El odio sólo se extingue cuando lo abandonamos.



Koshin Ohtani


直訳


憎しみは、それを捨てた時に初めて消えるものです。



この言葉には原文があります。



怨(うら)みに報(むく)いるに怨(うら)みを以(もっ)てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む。



「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われから強奪した。」

という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。



    (『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳 岩波文庫より)



『ダンマパダ』法句経 (『真理のことば・感興のことば』岩波文庫P.10)



お釈迦様の言葉は時代と国境を超えて多くの人々の心を打ちますが、今の時代はこの言葉が虚しく聞こえたりまたは力を持たないかもしれません。


しかしこの言葉の解釈も多くあります。心の持ちようや視点を変えるテクニックの教えではなく、体丸ごと方向転換させてくれる力を秘めている言葉なので、2000年以上語り継がれているのでしょう。


恨みを捨てることできないこの人間に「雑行をすてて本願に帰す」という絶対他力の本願が自力無効の私を捨てずに仏道に立たしめてくださる教えを明らかにしてくださったのが親鸞聖人なのです。





大谷大学 読むページ


「ブラジル・シュウちゃんねる」




2022/07/28

南米で、歌を通して文化や言葉を伝える 日本人で僧侶の父、日系2世の母ブラジルで生まれ育った私  楮本・浦部・恵美・エミリアさん 東本願寺同朋雑誌より

ブラジルの僧侶恵美先生が東本願寺オフィシャル『同朋雑誌』に掲載されたので。それを転載します。ポルトガル語の翻訳はアプリを使って私がわかる範囲で訂正しました。

南米ブラジルに来て15年になりますが、ここ数年の間に本山が多くブラジルを取り上げてくれるのは嬉しいことです。

 私もブラジルに来たばかりの時は恵美先生のお父さんに「君のひいおじいさん泉原寛海さんが日本に帰ってきた時に迎えに行ったのだよ」と教えてくれた上で「ブラジルに君がくるのを待っていたよ!」とおっしゃってくれた嬉しい思い出があります。

 恵美先生自身も特にここマリリア真宗本願寺に駐在してからは毎月コーラスの指導に来ていただいたり、法話(ポルトガル語でも)をしていただいたり、私とファビアの結婚式で演奏してくださったり、また先のこのお寺の建立70周年記念法要でも仏教讃歌を演奏してくれたりと、大変お世話になっている方なので、嬉しさもひとしおです。 ぜひ読んでください。


東本願寺同朋雑誌

https://higashihonganji-shuppan.jp/dobo/




50

あなたのとなりの僧侶(おぼうさん)


今月紹介する憎侶は

楮本・浦部・恵美・

南米開教使


エミリア

プラジル別院南米本願寺 僧侶





南米で、歌を通して文化や言葉を伝える



日本人で僧侶の父、日系2世の母ブラジルで生まれ育った私



 地球儀で見ると、日本のほぼ反対側に位置するブラジル。この地にも真宗大谷派僧侶がいます。日系ブラジル3世の楮本・浦部・恵美・エミリアさん(6)。ブラジル南東部に位置するサンパウロ市で生まれ育ち、現在、ブラジル別院南米本願寺の開教使(海外で布教に従事する僧侶)として活動しています。1954年に開教本部が設置された南米には、現在30近くの真宗寺院・布教所があり、12名の開教使が伝道活動に取り組んでいるのです。

「父も開教使でした。1955年に熊本県からサンパウロ別院に単身で赴任し、日系ブラジル2世の母と出会い、私が生まれたのです。幼い頃から別院で門徒さんと一緒にお参りして、仏教や真宗の教えの中で育ちました」。


 別院の日曜学校やコーラス活動にも参加し、いつしか教師に憧れるようになった恵美さん。大学で教育学と音楽(指揮科)を学び、その後、コーラス仲間だった日

系ブラジル2世の楮本秀安さんと結婚。日伯文化協会が運営する幼稚園や日本語

学校で教師として働きながら、ブラジル別院などでのコーラス指導をはじめ、結

婚式や卒業式などで演奏する音楽グループ「Fascinasom(ファシナソン)」で、キー

ボード兼指揮者として20年間にわたり活動してきました。


息子の死と僧侶としての歩み


そんな恵美さんですが、僧侶になるつもりは全くなかったそう。しかし今から7年前、28歳の若さで息子さん(次男)がに大きな変化をもたらしました。突然事故で亡くなったことが、恵美さんに大きな変化をもたらしました。

 

 「これまで真宗の教えに包まれて生きてきたはずなのに、息子の死が受け入れられず、この教えは一体何だったのかと疑い始めるようになっていました。でも、

時が経つにつれ、自分を支えてくれているのは「南無阿弥陀仏」だったのだと、改めて気づかされたんです」。

 その思いから本格的に真宗の教えを学びたいと、僧侶になる決心をした恵美さんは、東本願寺で得度(僧侶になるための儀式)後、大谷専修学院(京都市)に入学。

1年間の寮生活を経て、「親鸞聖人の教えは生活の中で生かさなければならない」

ことを学んだと言います。


 現在は開教使として真宗の教えを人々に伝えるほか、1980年にブラジル別院に設置された南米真宗教学研究所で、お聖教や書籍などをボルトガル語に翻訳する仕事に従事し、コーラスの指導も継続して行っています。

 「正信偈」の中に「如衆水人海一味」(衆水、海に入りて一味なるがごとし)という言葉がありますが、文化や言語の違いを超えて、共に「正信偈」をうたい、「南

無阿弥陀仏」を称える喜びを感じています。思えばこの地に念仏の教えを運んでくださったのは日本移民の皆さん。 各地で聞法会を開き、苦しい生活の中でもお寺を建ててくださいました。 その感動が今の私の原動力。お念仏を伝えてくださっ 皆さんのご恩に報いるためにも、これからも私なりに教えを伝えていきたい。 共に楽しく仏教讃歌を歌いながらね」。


 海を越えた南米大陸で、自身が出会った念仏の教えを喜び伝える恵美さんの姿

がありました。





Parte 50.

O monge (obo-san) ao seu lado


Os monges que apresento este mês são...

Kajimoto, Urabe, Emi...

Missionário sul-americano


Emília.

Sacerdote, Templo Honganji na América do Sul, Brasil





Na América do Sul, ela compartilha sua cultura e idioma através de canções.



Nasci e fui criado no Brasil, com um pai japonês que é um monge budista e uma mãe japonesa americana de segunda geração.



 O Brasil está localizado quase em frente ao Japão no mundo. Aqui também há monges Shinshu Otaniha. Kajimoto, Urabe, Emi e Emilia (6), nipo-brasileiros de terceira geração. Na América do Sul, onde a sede da missão foi estabelecida em 1954, existem atualmente quase 30 templos e postos missionários Shinshu, onde 12 missionários estão engajados no trabalho missionário. Em 1954, foi estabelecida a Sede Central da Kaikyo.


Meu pai também era missionário, e em 1955 deixou a Prefeitura de Kumamoto para São Paulo Betsuin por conta própria, onde conheceu minha mãe, uma brasileira de segunda geração de ascendência japonesa, e eu nasci. Desde cedo, visitei o Betsuin com os monges e fui educado nos ensinamentos do budismo e do Shin Budismo".


 Emi também participou das atividades da escola dominical e do coral Betsuin, e gradualmente desenvolveu um desejo de se tornar um professor. Ela estudou pedagogia e música (regência) na universidade, e mais tarde se tornou membro do coro nipo-brasileiro.

Ela casou-se com Hideyasu Kozimoto, uma nipo-brasileira de segunda geração. Ela trabalhou como professora em jardins de infância e escolas de língua japonesa dirigidas pela Associação Cultural Japão-Brasil.

Ela também lecionou coral em templos brasileiros e outros lugares, e se apresentou em cerimônias de casamento e de formatura.

Ela atua há 20 anos como tecladista e regente do grupo musical Fascinasom, que se apresenta em cerimônias de casamento, cerimônias de formatura e outros eventos.

Ela trabalha como tecladista e condutora há 20 anos.


A morte de seu filho e sua carreira como monge


Emi nunca teve a intenção de se tornar um monge. Entretanto, há sete anos, aos 28 anos, seu filho (seu segundo filho) provocou uma grande mudança em sua vida. Sua morte súbita em um acidente provocou uma grande mudança em Emi.

 

 Pensei que tinha vivido minha vida rodeado pelos ensinamentos do Shin Budismo, mas não podia aceitar a morte de meu filho e comecei a duvidar do que se tratava estes ensinamentos. Mas.

Com o passar do tempo, percebi mais uma vez que era o ' Namu Amida Butsu' que estava me apoiando".

 Emi decidiu tornar-se monge e, após completar seu sacerdócio no Templo Higashi Honganji, matriculou-se no Otani Senshu Gakuin em Kyoto.

Após viver um ano em um dormitório, ela aprendeu que "os ensinamentos de Shinran Shonin devem ser utilizados na vida diária".



 Atualmente ele está trabalhando como missionário para difundir os ensinamentos de Shinshu para o povo, além de traduzir o Sermão e os livros para Bolgarian no Instituto para o Estudo do Budismo Shin na América do Sul, que foi estabelecido em 1980 no Betsuin brasileiro, e continua a ensinar o refrão.

 No Shoshinge, há uma frase: “NHO SHÛ SHI NYÛ KAI ITI MI" (Serão como as águas unidas em um só sabor, ao se misturarem no Oceano). Sinto a alegria de entoar juntos os cantos do Shoshinge e elogiar o  Namu Amidabutsu, transcendendo as diferenças culturais e lingüísticas. Olhando para trás, foram os imigrantes japoneses que trouxeram o ensino de Nembutsu para esta terra. Eles organizaram audiências em vários lugares e construíram templos apesar de suas vidas difíceis. Essa inspiração é a força motriz para mim hoje. A fim de retribuir a bondade de todos aqueles que nos levaram o Nembutsu, eu gostaria de continuar a compartilhar os ensinamentos à minha maneira. Quero continuar a compartilhar os ensinamentos à minha maneira, enquanto canto hinos budistas alegremente com vocês.


 No continente sul-americano, do outro lado do mar, havia Emi, compartilhando alegremente o ensinamento de Nembutsu que ela havia encontrado.

Quero continuar a compartilhar os ensinamentos à minha maneira e cantar hinos budistas alegremente com eles.


「ブラジル・シュウちゃんねる」




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