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2023/02/15

2023年 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 2022年はコロナが徐々に緩やかになり

ここブラジルのマリリアのお寺にも、法要や法事が戻ってきた一年でした。元通りになった以上に法事を行う方々が増えた一年でもありました。

私自身は良くて以前の状態に戻ればいいという考えでしたが、逆に増えることになるとは思ってもみませんでした。

ところが実際には増え、今年2023年も増え続けている傾向にあります。その理由を尋ねてみると。 ChatGPTに聞いてみると・・・・


コロナ後にお寺の法事の件数が上がった理由は、以下のようなものが考えられます。

  1. コロナ禍での死者数の増加 コロナ禍において、感染症のために亡くなる方が増えたことが、お寺の法事の件数の増加につながった可能性があります。 この答えは私にはあまり関係がありませんでした。ブラジルでは亡くなった人はほとんど葬儀に僧侶を呼びませんし、ましてや仏式の葬儀を求める人はもともと少ないのです。  ただし、コロナ後、以前よりは葬儀に僧侶を呼ぶ人が増えたような気がします。

  2. 葬儀の制限 コロナ禍での葬儀において、参列者の制限や密集を避けるための措置がとられることが多かったため、葬儀に参列できなかった人々が、お寺での法事に参列する機会を求めた可能性があります。 これは実際にそういう方がおいでになりました。一理あると思います。

  3. 緊急事態宣言の影響 緊急事態宣言の発令により、人々が外出自粛することが求められたため、自宅で法事を行うことができなかった人々が、お寺での法事を希望するようになった可能性があります。

私もこの動機はあると思います。コロナでの悲惨な体験が法事の大切さを教えてくれたと思います。

  1. 身内への思い コロナ禍により、命の危険を感じるようになった人々が増えたことから、身内を大切に思う気持ちが強まったことが、お寺での法事の需要増加につながった可能性があります。

これは実際にそのようなことをおっしゃった人はないですが、私自身が法事の大切さを再認識しました。きっとご門徒方もそういう人が多かったと思います。

以上のような理由が考えられますが、地域によっては法事の件数が減少する傾向にあるところもあります。また、宗派や地域によっても状況は異なるため、一概には言えません。

以上がChatGPTのこたえです。

最後のまとめが秀逸ですね。ここマリリアのお寺では(今のところ)増えているのですが、今後はどうなるかは実際わかりません。 法話会の要望も増えているので今のところお寺はまだ地域の役割があるということを感じて嬉しく思っています。


なにより地元の役員やご門徒がコロナでの自粛中も頻繁にお寺に来てくれて世話をしてくださったのが嬉しかったです。 今後ともよろしくお願いいたします。













「ブラジル・シュウちゃんねる」

2022/06/21

ブラジル日本移民114周年 開拓先没者追悼法要および開拓先亡者追悼法要 の法話 ポルトガル語付き

 私はブラジルに来て15年になります。ブラジルでは職業柄もあって6月18日の移民法要が毎年の習慣になりました。コロナで2年間見送られていた行事が行われて嬉しかったです。




 今年初めてポルトガル語でお話しをすることできました。これも毎朝youtubeの生配信でShu channel・ブラジルのシュウちゃんねるでポルトガル語の本を読み続けているからだと思います。 

やはり目の前の多くの人の前でお話しするといろいろ課題が見えてきました。ありがたい久しぶりの経験になりました。 人と人とが交わることはいいことばかりではありません、摩擦が起こって不都合な気持ちに苛まれる時もありますがその不都合が実は人生を磨いてくれる機会であるということも改めて感じました。

以下に日本語とポルトガル語の法話を掲載します。この2年間コロナで感じたことです。






 マリリア日系

ブラジル日本移民114周年

開拓先没者追悼法要および開拓先亡者追悼法要

Marília Nikkei

Dia Nacional da Imigração Japonesa

Culto Budista em Memória dos Imigrantes Japoneses




 現在ブラジルでは200万人もの日系ブラジル人がブラジルを様々な分野で支え、その発展に寄与しています。また日本にいる21万人のブラジル人の方々の存在は日伯両国の関係が良好であることの証です。また全伯各地に住み、農業分野などで活躍しいています。文化的な活動も続け、400以上もの文化団体が存在し、若者へも積極的に日本文化の継承を行っているそうです。

その働きの根源を訪ねてみます。

 コロナでお寺の活動が中止になっていたとき、どうしてスーパーは空いていてもお寺は活動してはいけないのか?と言ったら、ある人がガソリンスタンドは生活に必要だから空いている、病院も生活に必要だから空いている、スーパーも生活に必要だから開いている。と言われました。

という事はお寺は生活に必要がないからしまっているのだろうかと自問自答しました。

しかし実際はコロナ中も幾人かの方がお寺を心配してきてくださったり相談に乗ってくれたりしてくださいましたまたコロナが収束しかかってきた現在では多くの人がまたお寺を活用して手を合わせてくださっています。

コロナに必要なのは経済や予防注射も大事ですけれども精神的な注射が宗教が果たす役割だと教えてくださいました。

人間には食べ物やお金そして健康も必要ですが、もう一つ大事な精神的な助け必要で、それがお寺の役割だということをコロナによって教えられました。

マリアのお寺も70周年を迎えました。日系社会の長い歴史の中のご苦労に感謝し手を合わせることが1つ私たちにもう一つ必要な精神的な営みなんだと言うことを改めて教えてくれた先祖と歴史に改めて感謝したいと思います。

手を合わせて感謝する心が人間のエゴと言う病気を治す唯一の注射なのだと思います。逆に言えばいくら食べ物があって健康があっても、感謝をし手を合わせることを知らない人間は幸せにならないという事実がはっきりしました。

しかしこのことは既に先人が伝えてくれていたことです。その文章と詩の一部を紹介して終わりたいと思います。

ひとりごと


金子秀雄


序文にかえて より 抜粋 ー安良田 済 (あたら すむ)ー


コロニア文芸界を牽引したかたです。2019年に104歳でお亡くなりになっています。 山口県出身です、


 いま、この短歌、詩、民謡、随想、版画などの作品集に目をとおしてみると、経済的にも精神的にも切羽つまった、極限に立つ作者が如実に語られている。多くの人が語るのを避けたい屈辱、絶望、挫折のうめきの声にみちている。最近は「もう舊(きゅう)移民の苦労話はたくさんだ」という声をときおり耳にする。こういう人たちは、人間が生きるということは何か、と自問したことのない、いわゆる飽食時代の経験しかないからであろう。この人たちのいう苦労など、金子さんが生きた苦労とは次元がちがうのである。 たとえば、次の短歌はどうであろうか


高くないものであったら蜂蜜を一本ほしいと ながく病む妻 

病む妻のためにはるばる借りてきた金盗まれた日巻いた玉菜よ 

死ぬことがなんでもなかったよべの夢 起きて静かにコーヒーを飲む


このような極限の状況に生きながら、金子さんが自暴自棄、自己喪失しなかったのは、「愛」という支えをもっていたからと思われる。童話を読んだり、書いたりするときに安らぎを得た。民謡をつくる行為は愛のひとつの表現である、と私は感じとっている。だから人生の苦悩を経てきて到達したのは、


悲しみは

なお悲しみて

かみしめて

其をうなづきて 

業を尽くさん


南無阿弥陀仏 

南無阿弥陀仏


の境地であった。いわゆる立命を悟ったということであろうか。


先日金子秀雄さんの娘さん智恵子さんから大好きなお父さんの詩が送られてきました。
古山建二さんの翻訳です。


ランプつけソブレメーザは一郎の 昼間さがせし 甘きマモンよ


Lampião aceso. Sobremesa é a doçura do mamão que o menino Itiro encontrou de dia.




妻の居る九ヶ月ぶりの夕飯の 味噌汁吸いつつふくらむこころ


Depois de 9 meses hospitalizada, em casa janto com a esposa, sorvo misoshiru com o peito irriquieto.


Poema retirado do Livro de Poesias de Hideo Kaneko traduzido por Kenji Furuyama.


 苦しい時でも小さな幸せに感謝する力がこれからも日系社会、ブラジルを支え、私たち一人ひとりの人生を支えてくれていることを先人は教えてくださっています。そのことにこれからも感謝して手を合わしてまいりましょう。

ありがとうございました。



 Hoje, dois milhões de brasileiros de ascendência japonesa apóiam o Brasil em vários campos e contribuem para o seu desenvolvimento. A presença de 210.000 brasileiros no Japão é uma prova das boas relações entre os dois países. Eles vivem em todas as partes do país e são ativos no setor agrícola, entre outros. Eles também são ativos em atividades culturais e existem mais de 400 organizações culturais que transmitem ativamente a cultura japonesa para os jovens. Aqui em Marília também crescer. 

Qual é a base deste trabalho?

 Quando as atividades do templo foram canceladas pela Corona, perguntei por que os supermercados estavam abertos, mas os templos não tinham permissão para abrir? Alguém disse que os postos de gasolina estão abertos porque são necessários para a vida, os hospitais estão abertos porque são necessários para a vida, e os supermercados estão abertos porque são necessários para a vida. Ele disse.

Eu me perguntei se isto significava que os templos estão fechados porque não são necessários para a vida?

Mas na verdade, durante a Corona, algumas pessoas vieram ao templo e nos os ajudamos e agora que a Corona está quase terminando, muitas pessoas estão vindo ao templo novamente e juntam as suas mãos em gashô.

Ele nos disse que embora a economia e a imunização sejam importantes para a Corona, as injeções espirituais são o que a religião tem um papel necessário.

A corona me ensinou que as pessoas precisam de alimento, dinheiro e saúde, mas também precisam de ajuda espiritual, importante papel do templo.

O templo de Marília também comemorou seu 70º aniversário. Gostaríamos de agradecer a nossos ancestrais e a história da comunidade Nikkei por nos ensinar mais uma vez que unir as mãos em gratidão por seu trabalho árduo ao longo da longa história da comunidade é mais uma atividade espiritual que precisamos fazer.

Um coração grato com as mãos unidas é a única injeção que pode curar a doença chamada ego humano.

Por outro lado, ficou claro que não importa quanta comida e saúde haja, as pessoas não ficarão felizes se seus egos estiverem sendo violados.

Mas isto já nos foi dito por nossos antecessores. Eu gostaria de terminar com alguns de seus escritos e poemas.

Hideo Kaneko  

   Nascido na Província de Niigata

Nascido em 1912.  que chegaram a Santos, Brasil, na Maru brasileira em 1934.

“Um solilóquio”


Trechos do prefácio de Sumu Atara


Uma figura de destaque no mundo literário de Colônia, faleceu em 2019, aos 104 anos de idade. Ele nasceu na Prefeitura de Yamaguchi.


 Olhando através desta coleção de tanka, poesia, canções populares, ensaios, gravuras e outras obras, podemos ver que o autor estava em um estado de extremo esgotamento financeiro e espiritual. Eles estão imbuídos dos gemidos de humilhação, desespero e frustração dos quais a maioria das pessoas preferiria não falar. Hoje em dia, às vezes ouço as pessoas dizerem que estão fartas das dificuldades dos migrantes de Jiuzhou. Isto provavelmente porque estas pessoas nunca se perguntaram o que significa ser humano e apenas experimentaram a chamada idade da saciedade. As dificuldades de que estas pessoas falam são de uma dimensão diferente das dificuldades pelas quais Kaneko-san passou. 


“Uma esposa que está doente e anseia por uma garrafa de mel se ela não for muito cara.”


“Morrer não era nada, um sonho de duro trabalho, acordar e beber café em silêncio”


 A razão pela qual Kaneko não se desesperou ou se perdeu enquanto vivia em uma situação tão extrema é porque ela tinha o apoio do "amor". Ela encontrou conforto na leitura e na escrita de histórias infantis. Eu percebo o ato de fazer canções populares como uma expressão de amor. Então, tendo passado pelas dores da vida, cheguei ao próximo poema.


Luto.

Mais tristeza

Aceite-o. 

Abrace a vida.


Namu Amida butsu

Namu Amida butsu


O estado de espírito do Buda era "Namu Amidabutsu". Isto pode ser chamado de realização da vida na Terra. 



No outro dia, a filha de Hideo Kaneko Chieko me enviou um poema de seu pai favorito.
É uma tradução de Kenji Furuyama.



ランプつけソブレメーザは一郎の 昼間さがせし 甘きマモンよ


Lampião aceso. Sobremesa é a doçura do mamão que o menino Itiro encontrou de dia.




妻の居る九ヶ月ぶりの夕飯の 味噌汁吸いつつふくらむこころ


Depois de 9 meses hospitalizada, em casa janto com a esposa, sorvo misoshiru com o peito irriquieto.


Poema retirado do Livro de Poesias de Hideo Kaneko traduzido por Kenji Furuyama.


Nossos predecessores nos ensinaram que o poder de ser grato pela pequena felicidade mesmo em tempos difíceis continuará a apoiar a comunidade nikkei, o Brasil e a vida de todos e cada um de nós. Continuemos a dar as mãos em gratidão por isto.

Muito obrigado.



「ブラジル・シュウちゃんねる」

2022/01/10

明けましておめでとうございます㊗️ 今年もよろしくお願い致します。

2022年、今年もよろしくお願いします。



 今年ももう9日ですね。おかげさまで昨年末から今年初めまで色々お仕事やイベントがあり、忙しくしていました。コロナでずっと寂しい日々が続いていたので忙しいのがありがたいと、今までの自分には起こり得なかった感情が出てきたことに驚いています。歳をとったせいもあるのかもしれません。何かしらのイベントがあって、皆で協力しあって何かを作り上げることのめんどくささよりも、ありがたさの方が優ったのはコロナのおかげかもしれません。


 しかし、またコロナが終わって以前の生活が戻ってくるとそのありがたも忘れてしまうのでしょうか? いやきっとそれは起こらないのでしょう。このコロナ体制の世の中は引き続き起こり続けて、まるで今までの地球を飛び出した宇宙船の中にいるような新しい規則の世の中になるのだと思っています。


それも悪くないのかもしれません。



自分としてはぼちぼちと人生の後半を、無理せずでも何かいい方向に歩いていこうと虫のいいことを、でも若い頃と違った意味で真剣に思っています。



 今年も普段のブラジルの風景や、ちょっと珍しいことなどをシェアしていきます。

ブラジルで僧侶を生業としている生活の目線です。

またちょっと違って面白がってもらえたらと思っています。


動画の中で言葉が思い浮かばず詰まっていますが、その一つは「フルロナ」インフルとコロナ同時感染の造語でした。もう一つは私が2回打ったワクチンの名前で「アストロゼネカ」でした。



それでは動画を見てください。



チャンネル登録、いいねをよろしくお願いいたします。

「ブラジル・シュウちゃんねる」




Esperamos que volte a juntar-se a nós este ano de 2022.


Vamos compartilhar com vocês as cenas habituais do Brasil e algumas coisas inusitadas. Esta é a perspectiva de uma vida como monge no Brasil. Espero que o ache interessante e um pouco diferente.


Estou sem palavras neste vídeo, mas gostaria de dizer que tomei duas doses da gripe Flurona e da vacina Corona. Eu tomei duas doses de astrozeneca.



 

2021/10/03

ブラジル医学生にコロナワクチン2回目を打ってもらいました。日本語で「ありがと」って言ってくれました。

コロナワクチンの2回目を打った時の動画



今回は早朝の8時にマリリア市の国立大学までいきました。たくさんの人が既に並んでいてびっくりしました。かなり長い列だったので、これは相当時間がかかると覚悟を決めました。病院は日本でもそうですがブラジルもすごく待たされますもんね。


時間ぴったり!あっという間に終わる


 それが予告通り8時に受付が始まり、その後あっという間に長蛇の列が会場に飲み込まれ、30分後にはもう全て終わっていました。時間通りに始まったのにびっくりして、その後の受付の速さにさらに驚きました。素晴らしさに感動でした。時間に寛容なブラジルですが、ブラジルの他の面を知りました。



可愛いい医学部の学生が日本語を

今回も1回目に続きこの大学の研修医学生がテキパキと愛想もよく丁寧に対応してくれました。最後に日本語で「ありがとう!」と声をかけてくれてびっくりしました。

 なんとマリリア日系スポーツでソフトボールを習っているとのことでした。それで少し日本語がわかるのですね。ちなみにここマリリアの日系スポーツクラブの野球部はブラジルの中でも大きなクラブです。プロ野球選手も生み出した場所です。


それでは動画を見てください。




まとめ

 ブラジルでのコロナワクチンの二度目の摂取の様子です。アストロゼネカです。今回も国立大学の医学部生徒に打ってもらいました。時間通りに始まり、あっという間に終わり、また対応の方もとても親切で気持ちよく終えることができました。副作用も二日ほどで大事に至ることはありませんでした。


無事2回打ちましたが、今後も健康管理に気をつける生活を心がけます、皆さんもお大事に!
それではまた! チャオチャオ!!!


「ブラジル・シュウちゃんねる」


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