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2022/12/21

ブラジル🇧🇷マリリア真宗本願寺 報恩講 法話 斎藤先生 日本語 2022年11月27日 Palestra de Rev. Benjamin Watanabe. Rito de ação de Graças de Hōonkō em ...

コロナで2年間先生を呼ぶことができなかった報恩講でしたが今年はきてもらうことができました。 その時に撮った動画をシェアさせていただきます。

真宗のお寺では法話がからなずと言っていいほどされます。大きな法要の時には他のお寺から先生にきてもらいお話をしてもらうのが通例です。




ここマリリア真宗本願寺では隣町のグアインベの齊藤先生にはよくきてもらうのですが、遠方の講師はここ数年来ていただくことができなかったのです。しかし今年はできました。
 いろんな人の話を聞くことによって同じ仏教の話でも全く違って聞こえたり、逆に人が違っても同じ大事な問題があることを発見できます。ですからいろんな人に来ていただき、いろんなお話を聞くのが大切なのです。コロナでいつも当たり前のようにきていただいていた先生のお話がいかに貴重なものであるかを思い知るきっかけにもなりました。

最初の動画が隣町の齊藤先生で次の動画はプレジデンテの渡辺先生の法話です。渡辺先生は日本語もペラペラですが、ポルトガル語でお話ししてもらっています。時々日本語を挟むのがブラジルの日系のお寺での一つの型でもあります。

どうぞお聞きください。




ベンジャミン先生のお寺にも私も何度も呼ばれて法話をさせていただいています。これも大変貴重な経験で、普段と同じことをお話ししても、場所が違い目の前の方々が違うとお話のテンションも内容も不思議と変わることがあり大変勉強になります。
 いろんなところでお話しさせていただき、またいろいろな方々のお話を聞くことがとても大切だということが最近身をもって感じることです。




仏教のお話や、お寺のお話はよっぽどお話の達人でも、テレビや映画の面白さには負けてしまいますが、そことはまた違う味わい、独特の大切なメッセージを受け取ることがあると思います。 ぜひ近くのお寺に立ち寄って聞いてみてください。



「ブラジル・シュウちゃんねる」

2022/11/02

「たとえ朝咲いて 夜散る花であっても、 その中には 無限のいのちがある」"Mesmo a flor que desabrocha no amanhecer e se extingue ao entardecer, abriga a Vida Infinita".

 11月 法語  Novembro Mensagem do Dharma





たとえ朝咲いて

夜散る花であっても、

その中には

無限のいのちがある


金子大栄



ポルトガル語

Mesmo a flor que desabrocha no amanhecer e

se extingue ao entardecer, abriga a Vida Infinita.


直訳

暁に咲く花が夕暮れ時に消えたとしても、無限の生命を宿している。


スペイン語

Incluso la flor que florece al amanecer y

se extingue al anochecer alberga la Vida Infinita.


直訳

夜明けに咲いて夕暮れに散る花も

無限の生命を抱いている。


Daiei Kaneko






 ブラジルの東西連合のカレンダーです。毎年ブラジルの東本願寺と西本願寺が共同で作っている法語カレンダーです。


ポルトガル語とスペイン語の翻訳付きで大変人気があります。来年のカレンダーもそろそろここマリリアに届きそうです。

 

 

金子大栄はわたしの生まれ故郷の広島にも縁のある真宗大谷派、東本願寺の僧侶です。ウィキペディアにもあるように一時期広島に滞在しておいでだったのです。

その時期にわたしの実家の法正寺にもよく呼ばれて法話をしてくださっていたそうです。ひいおじいちゃんの泉原寛海が呼んでいたと聞いています。
 もちろんわたしはその頃生まれていませんから直接の思い出はありませんが、いまこうやって思い出を辿ればご縁があったことを嬉しく思います。

金子大栄



無限の命に支えられていることを知ると、この有限の命が無限の命に支えられていることに感謝する瞬間があると思います。その一瞬に無限が宿っているのではないでしょうか。



「ブラジル・シュウちゃんねる」



2022/10/24

仏像の裏書の解読をお願いします

 どなたかこの文字読める方解読をお願い致します。


現在90歳代のブラジルに移民されたおばあちゃん結婚の時に父親から形見分けされた仏像の裏書です。

日本のルーツを忘れない様にと託され、現在息子さんがその文字意味を知りたくてクリチーバの酒井先生にお尋ねしたものです。

パラナ州のクリチーバから100キロのカストロ在住の方です。


おそらく寄進した人の名前と住所と日付さらに仏師の名前が書いてあるのかな? と思うのですがいかがでしょうか?




「ブラジル・シュウちゃんねる」



2022/10/14

お寺の猫住職、サラも菩薩なのでしょう  野川博之先生の漢詩 仏典には「菩薩は時として畜生に身を代えて相手を済度する」とある。  妙音菩薩の34種の分身の中に「畜生身」ありとするお経文(『法華経』妙音菩薩品)がそれだ。

たまに紹介しているまだ会ったことのない野川博之先生の漢詩を紹介します。


私もお寺にサラと名付けた道端で出会った猫がいます。おとなしくて可愛い雌猫です。一番お寺にいるのはサラなのでお寺の住職はサラなのです。
 サラは毎朝のお朝勤にも必ず参加します。野口さんの台湾の犬の漢詩が素晴らしいので転載させていただきます。

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 これは10数年以上も昔、もとの勤務先(台湾台南市の私立「立徳大学」。今の名称は「康寧大学台南校区」)で守衛さんに撮って頂いた校犬とのツーショットであります。


 このワンちゃんは2017年秋に死んでのち、
キャンパス内に葬られたと聞いておりますが、
草木の成長が東南アジア並みに早い台湾南部にあって、
そのお墓を探り当てるのは困難となっておりましょう。



9月11日夜
                      野川博之 敬上

       中秋憶立德大學校犬「小黃」(母狗,2006-2017)
(中秋に立徳大学の校犬・小黄〔シャオファン,♀,2006~2017〕を偲んで)
                  野川博之     
                                            2022.09.11
埋骨荒園垂五年,  ○●○○○●◎ 骨を荒園に埋(うず)めて 五年に垂(なんな)んとす
一生功就入西天;  ●○○●●○◎ 一生功(こう)就(な)って 西天(さいてん)に入(い)る
與君重會知何處,  ●○○●○○●  君と重ねて会(かい)す 知んぬ いずれの処(ところ)ぞ
不用臺南立墓前!  ●●○○●●◎ 用(もち)いず 台南にして墓前に立つを
  (仄起式,平聲先韻)


 君が荒れかけた校庭に骨をうずめてから、そろそろ丸五年になろうとしています
   (元の勤務先は、残り少ないすべての学生たちを送り出したら廃校と決定)。
 君は学園を守るという、今生での功績を成就して、遠く西方浄土へと赴いたことでしょう。
 君とどこで再会できるかはわかっております。
 それゆえ台南まで赴いて、荒れ果てた墓前に立とうとは思いません


    深謝「小黃」與「小黑」勵我良多

(「小黄」(前出)と「小黒」(シャオヘイ,♀,2011~2018)とが大いに私を励ましてくれたことを深く感謝して)
             野川博之                                                      2022.09.14

與我相親如善朋, ●●○○○●◎ 我と相(あい)親しむこと 善朋(ぜんぽう)の如し
悅他為樂發歡聲; ●○○●●○◎ 他を悦ばしむるを楽と為し 歓声を発す
經文有證君知否? ○○●●○○●  経文 証あり 君 知るや否(いな)や
卅四分身含畜生! ●●○○○●◎ 卅四(さんじゅうし)の分身(ふんじん) 畜生を含む
  (仄起式,平聲庚、蒸通韻)


 良き友人さながらに私と仲良くしてくれた君らよ。
 他者を喜ばせることに楽しみを見い出し、歓声をあげてくれたものだった。
 仏典には「菩薩は時として畜生に身を代えて相手を済度する」とある。
 妙音菩薩の34種の分身の中に「畜生身」ありとするお経文(『法華経』妙音菩薩品)がそれだ。



 詩題に出て来る「小黒」(シャオヘイ,♀,2011~2018)とは、雑種の台湾犬であります。
私を2011年9月以降2017年9月まで実に5年間も無料で置いてくださった「圓光仏学研究所」(台湾桃園市,国際空港そば)
で飼われておりました。

 番犬として大いに本分を尽くしてのち、2018年秋に死亡、
学校に隣接する庭園「智慧林」に葬られております。





       寵物度人,功不可沒
(ペットも人を救う。その功績は見落とせず)
                    野川博之                                               2022.09.15

菩薩分身數固多, ●●○○●●◎ 菩薩の分身(ふんじん) 数 もとより多し
萬機堪度績堪歌; ●○○●●○◎ 万機(まんき)度するに堪えたり績(せき)歌うに堪えたり
悲心不怕今生短, ○○●●○○●  悲心 怕(おそ)れず 今生(こんじょう)の短かきを
乘願重來志未磨! ○●○○●●◎ 願(がん)に乗じて重ねて来たり  志いまだ磨せず
   (仄起式,平聲歌韻)


 菩薩さまには何種類もの分身がおありで、
 だからこそさまざまな機根(きこん)の衆生を再度することができ
   その功績は謳歌するに値するのであります。
 その慈悲の心は、自己の今生での生涯が短いことを恐れず、
 誓願のままに再度この世へやって来ては、ペットの身で主人となった相手を済度するのだ、
   という意気に燃えていらっしゃいます。

9月16日午前
                        野川博之 合掌

「ブラジル・シュウちゃんねる」

2022/07/28

南米で、歌を通して文化や言葉を伝える 日本人で僧侶の父、日系2世の母ブラジルで生まれ育った私  楮本・浦部・恵美・エミリアさん 東本願寺同朋雑誌より

ブラジルの僧侶恵美先生が東本願寺オフィシャル『同朋雑誌』に掲載されたので。それを転載します。ポルトガル語の翻訳はアプリを使って私がわかる範囲で訂正しました。

南米ブラジルに来て15年になりますが、ここ数年の間に本山が多くブラジルを取り上げてくれるのは嬉しいことです。

 私もブラジルに来たばかりの時は恵美先生のお父さんに「君のひいおじいさん泉原寛海さんが日本に帰ってきた時に迎えに行ったのだよ」と教えてくれた上で「ブラジルに君がくるのを待っていたよ!」とおっしゃってくれた嬉しい思い出があります。

 恵美先生自身も特にここマリリア真宗本願寺に駐在してからは毎月コーラスの指導に来ていただいたり、法話(ポルトガル語でも)をしていただいたり、私とファビアの結婚式で演奏してくださったり、また先のこのお寺の建立70周年記念法要でも仏教讃歌を演奏してくれたりと、大変お世話になっている方なので、嬉しさもひとしおです。 ぜひ読んでください。


東本願寺同朋雑誌

https://higashihonganji-shuppan.jp/dobo/




50

あなたのとなりの僧侶(おぼうさん)


今月紹介する憎侶は

楮本・浦部・恵美・

南米開教使


エミリア

プラジル別院南米本願寺 僧侶





南米で、歌を通して文化や言葉を伝える



日本人で僧侶の父、日系2世の母ブラジルで生まれ育った私



 地球儀で見ると、日本のほぼ反対側に位置するブラジル。この地にも真宗大谷派僧侶がいます。日系ブラジル3世の楮本・浦部・恵美・エミリアさん(6)。ブラジル南東部に位置するサンパウロ市で生まれ育ち、現在、ブラジル別院南米本願寺の開教使(海外で布教に従事する僧侶)として活動しています。1954年に開教本部が設置された南米には、現在30近くの真宗寺院・布教所があり、12名の開教使が伝道活動に取り組んでいるのです。

「父も開教使でした。1955年に熊本県からサンパウロ別院に単身で赴任し、日系ブラジル2世の母と出会い、私が生まれたのです。幼い頃から別院で門徒さんと一緒にお参りして、仏教や真宗の教えの中で育ちました」。


 別院の日曜学校やコーラス活動にも参加し、いつしか教師に憧れるようになった恵美さん。大学で教育学と音楽(指揮科)を学び、その後、コーラス仲間だった日

系ブラジル2世の楮本秀安さんと結婚。日伯文化協会が運営する幼稚園や日本語

学校で教師として働きながら、ブラジル別院などでのコーラス指導をはじめ、結

婚式や卒業式などで演奏する音楽グループ「Fascinasom(ファシナソン)」で、キー

ボード兼指揮者として20年間にわたり活動してきました。


息子の死と僧侶としての歩み


そんな恵美さんですが、僧侶になるつもりは全くなかったそう。しかし今から7年前、28歳の若さで息子さん(次男)がに大きな変化をもたらしました。突然事故で亡くなったことが、恵美さんに大きな変化をもたらしました。

 

 「これまで真宗の教えに包まれて生きてきたはずなのに、息子の死が受け入れられず、この教えは一体何だったのかと疑い始めるようになっていました。でも、

時が経つにつれ、自分を支えてくれているのは「南無阿弥陀仏」だったのだと、改めて気づかされたんです」。

 その思いから本格的に真宗の教えを学びたいと、僧侶になる決心をした恵美さんは、東本願寺で得度(僧侶になるための儀式)後、大谷専修学院(京都市)に入学。

1年間の寮生活を経て、「親鸞聖人の教えは生活の中で生かさなければならない」

ことを学んだと言います。


 現在は開教使として真宗の教えを人々に伝えるほか、1980年にブラジル別院に設置された南米真宗教学研究所で、お聖教や書籍などをボルトガル語に翻訳する仕事に従事し、コーラスの指導も継続して行っています。

 「正信偈」の中に「如衆水人海一味」(衆水、海に入りて一味なるがごとし)という言葉がありますが、文化や言語の違いを超えて、共に「正信偈」をうたい、「南

無阿弥陀仏」を称える喜びを感じています。思えばこの地に念仏の教えを運んでくださったのは日本移民の皆さん。 各地で聞法会を開き、苦しい生活の中でもお寺を建ててくださいました。 その感動が今の私の原動力。お念仏を伝えてくださっ 皆さんのご恩に報いるためにも、これからも私なりに教えを伝えていきたい。 共に楽しく仏教讃歌を歌いながらね」。


 海を越えた南米大陸で、自身が出会った念仏の教えを喜び伝える恵美さんの姿

がありました。





Parte 50.

O monge (obo-san) ao seu lado


Os monges que apresento este mês são...

Kajimoto, Urabe, Emi...

Missionário sul-americano


Emília.

Sacerdote, Templo Honganji na América do Sul, Brasil





Na América do Sul, ela compartilha sua cultura e idioma através de canções.



Nasci e fui criado no Brasil, com um pai japonês que é um monge budista e uma mãe japonesa americana de segunda geração.



 O Brasil está localizado quase em frente ao Japão no mundo. Aqui também há monges Shinshu Otaniha. Kajimoto, Urabe, Emi e Emilia (6), nipo-brasileiros de terceira geração. Na América do Sul, onde a sede da missão foi estabelecida em 1954, existem atualmente quase 30 templos e postos missionários Shinshu, onde 12 missionários estão engajados no trabalho missionário. Em 1954, foi estabelecida a Sede Central da Kaikyo.


Meu pai também era missionário, e em 1955 deixou a Prefeitura de Kumamoto para São Paulo Betsuin por conta própria, onde conheceu minha mãe, uma brasileira de segunda geração de ascendência japonesa, e eu nasci. Desde cedo, visitei o Betsuin com os monges e fui educado nos ensinamentos do budismo e do Shin Budismo".


 Emi também participou das atividades da escola dominical e do coral Betsuin, e gradualmente desenvolveu um desejo de se tornar um professor. Ela estudou pedagogia e música (regência) na universidade, e mais tarde se tornou membro do coro nipo-brasileiro.

Ela casou-se com Hideyasu Kozimoto, uma nipo-brasileira de segunda geração. Ela trabalhou como professora em jardins de infância e escolas de língua japonesa dirigidas pela Associação Cultural Japão-Brasil.

Ela também lecionou coral em templos brasileiros e outros lugares, e se apresentou em cerimônias de casamento e de formatura.

Ela atua há 20 anos como tecladista e regente do grupo musical Fascinasom, que se apresenta em cerimônias de casamento, cerimônias de formatura e outros eventos.

Ela trabalha como tecladista e condutora há 20 anos.


A morte de seu filho e sua carreira como monge


Emi nunca teve a intenção de se tornar um monge. Entretanto, há sete anos, aos 28 anos, seu filho (seu segundo filho) provocou uma grande mudança em sua vida. Sua morte súbita em um acidente provocou uma grande mudança em Emi.

 

 Pensei que tinha vivido minha vida rodeado pelos ensinamentos do Shin Budismo, mas não podia aceitar a morte de meu filho e comecei a duvidar do que se tratava estes ensinamentos. Mas.

Com o passar do tempo, percebi mais uma vez que era o ' Namu Amida Butsu' que estava me apoiando".

 Emi decidiu tornar-se monge e, após completar seu sacerdócio no Templo Higashi Honganji, matriculou-se no Otani Senshu Gakuin em Kyoto.

Após viver um ano em um dormitório, ela aprendeu que "os ensinamentos de Shinran Shonin devem ser utilizados na vida diária".



 Atualmente ele está trabalhando como missionário para difundir os ensinamentos de Shinshu para o povo, além de traduzir o Sermão e os livros para Bolgarian no Instituto para o Estudo do Budismo Shin na América do Sul, que foi estabelecido em 1980 no Betsuin brasileiro, e continua a ensinar o refrão.

 No Shoshinge, há uma frase: “NHO SHÛ SHI NYÛ KAI ITI MI" (Serão como as águas unidas em um só sabor, ao se misturarem no Oceano). Sinto a alegria de entoar juntos os cantos do Shoshinge e elogiar o  Namu Amidabutsu, transcendendo as diferenças culturais e lingüísticas. Olhando para trás, foram os imigrantes japoneses que trouxeram o ensino de Nembutsu para esta terra. Eles organizaram audiências em vários lugares e construíram templos apesar de suas vidas difíceis. Essa inspiração é a força motriz para mim hoje. A fim de retribuir a bondade de todos aqueles que nos levaram o Nembutsu, eu gostaria de continuar a compartilhar os ensinamentos à minha maneira. Quero continuar a compartilhar os ensinamentos à minha maneira, enquanto canto hinos budistas alegremente com vocês.


 No continente sul-americano, do outro lado do mar, havia Emi, compartilhando alegremente o ensinamento de Nembutsu que ela havia encontrado.

Quero continuar a compartilhar os ensinamentos à minha maneira e cantar hinos budistas alegremente com eles.


「ブラジル・シュウちゃんねる」




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