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2021/07/30

ブラジルのお寺もインターネット配信の波が。時と場所を超えて会える

ブラジルのお寺もネット時代がやってきた

マリリア真宗本願寺


私はブラジルのマリリア市のお寺に来て8年目になります。その前は6年間サンパウロ氏のお寺にいました。

私自身はコンピューターとかインターネットとか新しいものが好きなので、ブラジルに来る前からお寺の様子をインターネットで配信していましたが、コロナ騒動が始まってからは、インターネットに批判的だった人までネット配信に力を入れるような時代になってきました。

今回は私が兼務しているバウル市のバウル南米本願寺の28日の親鸞聖人のご命日の様子です。これは地元のお寺の会議でネット配信をしようと決定されて行っています。それまではお寺に来る人数人でお勤めしていました。コロナ前も集まる人数は少なかったのですがコロナになってからは激減!一時期はもう法要自体をやめようか?という話にもなったのですが、続いてきました。先月の会議で会長のアイルトンがWhatsAppグループを作ってそこに法事の映像を流せばコロナが怖くてお寺に来ることができない人も参加できるということで始めることになりました。


SMSのメリットは時間や場所を超えて出会えること


WhatsAppとはブラジルで主流の日本でいるところのLINEのようなアプリです。ブラジルではフェースブックと同じくらいかそれ以上に使っている人は多いと思います。お寺の会員の平均年齢は高いですが、多くの人が使っているのです。そこに録画した動画をYouTubeにアップしてリンクをシェアしています。閲覧するのは今のところ20人から50人程度ですが、もしお寺に20人50人の人が来るということになればそれは多いのです。 普段のリアルの人数は5人ですから数倍の人数になります。

 さらに時間を気にせず閲覧しますし、何度でも見ることができます。実際に会えないのが残念ですが、これをきっかけに実際にお寺に行こうと思う人も出てくると思います。

実際今日はここマリリアのお寺にリオ在住の方が見学においでになりましたよ。これも私が地元ママリアのお寺でも毎日YouTubeに配信したり、フェースブックやGoogleマップにも、お寺の情報を流しているので興味のある人が検索して問い合わせてくださるのです。

というわけで模索しながら配信の内容なども考えていきたいと思っています。是非ご覧ください。

 


「ブラジル・シュウちゃんねる」





Google mapa https://goo.gl/maps/Vy3byseZagNmqXSf8 Templo Nambei Honganji de Bauru Av. Castelo Branco, 7-50 Vila Independência Bauru SP CEP 17052-000 Responsável: Rev. Shu Izuhara (14) 99731-5598 Contatos: Sra Fábia (14) 98834-9950 Ritos mensais e palestras, confira nosso calendário.

バウル南米本願寺

2021/07/28

ー戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ 遠い他国でひょんと死ぬるや 竹内浩三「骨のうたう」ー 尾畑文正 同朋大名誉教授

 中日新聞より 今週のことば


戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ 遠い他国でひょんと死ぬるや

竹内浩三「骨のうたう」


尾畑文正


夏の日は戦争を想起する。私の叔父は二十三歳でニューギニア·クレチン沖にて戦死した。私の家族は夏になると岐阜県大垣市にある軍人戦死者の共同墓地にお参りに行っていた。母に「なぜ叔父は死んだのか」「なぜ戦争が起こるのか」と尋ねても応えはなかった。

時を経て、私は叔父たち戦死者を英霊として称え、政治に利用する現実を知った。戦死した叔父たちのほんとうの姿、その思いは何か。それに応えてくれたのが叔父と同じく南方のフィリピン·ルソン島にて二十三歳で戦死した竹内浩三の残した「骨のうたう」である。そこには「戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ」と、圧倒的な国の力で死を強いられていった竹内浩三、そして叔父たちの思いがある。その向こう側には日本の軍靴で理不尽に命奪われた無数のアジアの人たちがいる。この歴史をありのままに直視して、戦死者の声なき声に「非戦平和のいのり」を聞く夏の日でありたい。

(同朋大名誉教授)






骨のうたう(原型)

竹内浩三




戦死やあわれ

兵隊の死ぬるやあわれ

とおい他国で ひょんと死ぬるや

だまって だれもいないところで

ひょんと死ぬるや

ふるさとの風や

こいびとの眼や

ひょんと消ゆるや

国のため

大君のため

死んでしまうや

その心や


苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや

こらえきれないさびしさや

なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ

白い箱にて 故国をながめる

音もなく なにもない 骨

帰っては きましたけれど

故国の人のよそよそしさや

自分の事務や 女のみだしなみが大切で

骨を愛する人もなし

骨は骨として 勲章をもらい

高く崇められ ほまれは高し

なれど 骨は骨 骨は聞きたかった

絶大な愛情のひびきを 聞きたかった

それはなかった

がらがらどんどん事務と常識が流れていた

骨は骨として崇められた

骨は チンチン音を立てて粉になった


ああ 戦場やあわれ

故国の風は 骨を吹きとばした

故国は発展にいそがしかった

女は 化粧にいそがしかった

なんにもないところで

骨は なんにもなしになった





底本:「竹内浩三全作品集 日本が見えない 全1巻」藤原書店

   2001(平成13)年1130日初版第1刷発行

   2002(平成14)年830日初版第5刷発行

入力:坂本真一

校正:雪森

2014719日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



(青空文庫)より


https://www.aozora.gr.jp/cards/001675/files/54814_54034.html






ポルトガル語への翻訳です。

グーグルの翻訳機能を使って私が築いた間違いを直しただけなので、間違っている部分もあるかもしれませんが、ご了承ください。




Palavras da semana


Morte na guerra, misericórdia, morte de soldados, misericórdia, morte em um outro país distante

Kozo Takeuchi "Bone Song"

               Obata Bunsho


    Os dias de verão nos lembram a guerra. Meu tio morreu na costa de Cretín, Nova Guiné, aos 23 anos. No verão, minha família foi visitar o cemitério militar na cidade de Ogaki, província de Gifu. Quando perguntei a minha mãe: “Por que meu tio morreu?” E “Por que a guerra acontece?”, Não houve resposta.

Com o tempo, aprendi sobre a realidade de celebrar a morte de meus tios como espíritos e usá-los na política. Quais são as verdadeiras aparências e sentimentos dos tios que morreram na guerra?Em resposta a isso, Kozo Takeuchi, que morreu aos 23 anos na Ilha de Luzon nas Filipinas, como seu tio, deixou para trás "Bone Song".Há pensamentos de Kozo Takeuchi, que foi forçado a morrer pelo poder esmagador do país, e seus tios, dizendo: "Morte na guerra e misericórdia quando os soldados morrem." Além disso, há incontáveis ​​asiáticos que foram mortos sem razão por botas militares japonesas. Eu gostaria de ver essa história como ela é, e ouvir as vozes sem voz dos mortos na guerra como "o nori da paz sem guerra" em um dia de verão.


                 (Professor Emérito da Dobo University)

 



Guerra, morte e misericórdia

Assim que os soldados morrerem

Ei, vou morrer em outro pais

Pare em um lugar onde ninguém está

eu vou morrer

O vento da minha cidade natal

Olhos namorados

Talvez desapareça

Para o país

Para o príncipe

eu vou morrer

Aquele coração


Musgo bagunçando, misericórdia e soldados morrendo

A solidão que não pode ser parada

Não Chorando, sem latir, segurando uma arma com seriedade

Olhe para sua terra natal em uma caixa branca

Sem som, sem ossos

eu voltei

A estranheza das pessoas em sua terra natal

É importante ter seu próprio trabalho de escritório e ter a aparência de uma mulher.

Ninguém ama ossos

Osso recebe uma medalha como um osso

Altamente adorado e muito elogiado

Mas ossos são ossos Eu queria ouvir ossos

Eu queria ouvir o som de um amor imenso

Não foi

O trabalho de escritório e o bom senso fluíam cada vez mais

Osso era adorado como osso

Os ossos fizeram um barulho de formigamento e se transformaram em pó


Oh, o campo de batalha e misericórdia

O vento no meu país de origem explodiu meus ossos

Homeland estava ocupada desenvolvendo

A mulher estava ocupada com maquiagem

Onde não há nada

Os ossos se foram



Livro de fundo: "Obras completas de Kozo Takeuchi: I Can't See Japan, Volume 1" Fujiwara Shoten

Emitida a primeira edição da primeira edição em 30 de novembro de 2001

30 de agosto de 2002 (Heisei 14) Primeira edição 5ª edição emitida

Entrada: Shinichi Sakamoto

Calibração: Yukimori

Criado em 19 de julho de 2014

Arquivo criado pelo Aozora Bunko:

Este arquivo foi criado na Aozora Bunko (http://www.aozora.gr.jp/), uma biblioteca da Internet. Os voluntários foram responsáveis ​​pela entrada, revisão e produção.


「ブラジル・シュウちゃんねる」



2021/07/22

日本に出稼ぎに行って本当にあった話。大村テルオさん。言葉でバカにされ、一生懸命働いて認められ、優しくもされ、でも、時には妬まれた。すべてがいい経験だった。マリリア真宗本願寺 建立70周年 インタビュー

マリリア真宗本願寺 建立70周年 インタビュー 大村テルオさん



テルオさんは私が務めているブラジルのマリリア市に建立されているお寺のご門徒です。お寺の毎月の理事会や催し物がある時には必ずお手伝いに来てくださいます。

人気のカラオケ

 動画でも少し話していますが、その他に、これも毎月、カラオケの音源や歌詞を求めてお寺においでになっています。 日系社会ではカラオケが大人気で、そのなかでも演歌が人気です。NHKののど自慢でも時々ブラジル出身のプロ級の人が登場しますが、それはブラジルのカラオケ大会で勝ち抜いた人が出ているのです。 ちょっと古いですが「マルシア」もブラジル出身です。

つまり、ブラジルでは心血をあげてカラオケに熱中する人は多くいます。マリリアにもカラオケ大好きで、プロ級に上手い人がたくさんおいでになります。 この2−3年前からカラオケを歌い始めた大村さんは熱心に次々と新しい歌に挑戦しています。 その際、歌詞が日本語の表記のままだと読めないため。ローマ字に直して欲しい、とか、楽曲をネット上からダウンロードしてCDにコピーして欲しいとの依頼で毎月おいでになるのです。

youtubeに登場!

その際いろいろ会話をしながら作業をするのですが、ふとこの大村さんの話をシェアしたら、ブラジルの日系人の今や昔を皆さんに届けることができるのではないか?と思いつき急遽許可をとって撮影させていただくことになりました。

大村さんは演劇も趣味でやっているかたなので、語り口も上手です。是非日系ブラジル人2世ならではの、ブラジルでの経験や日本での出稼ぎの経験をお聞きください。

楽しかったり、辛かったり、優しさに触れたり、人を思いやったり。いろんな人生模様に触れることができると思います。


 



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2021/07/20

6万キロ走った! 愛車Toyota Etios ブラジルのブリヂストンタイヤをファイヤーストーンに履き替える。

 ブラジルは広い!そしてでかい!

日本より。。。 いや世界的に見てもですね。

ですから僧侶のお参りする範囲もひろいのです。私がブラジルに来て最初に買った車はマーチの中古車、これは3年くらいで買い替えました。なぜならここマリリア市から350キロ先のお参りを月に数回行く必要が生じたからです。往復700キロ。。。。それを月に数回ですから。

どんだけ運転しても大丈夫!

という方もいますが、私は狭い?日本にいるときでも運転が苦手で、すぐに眠たくなるのでなる体質なので避けていました。それでも学生の時は50ccのバイクで京都から実家の広島まで帰ったり。石川県小松から実家の広島まで車で帰ったりしたことがあります。運転は楽しいのですが、しかしやはり眠たくなるので苦手意識がありました。

しかし、ブラジルに来てから否応なく鍛えられました。いまでは以前に比べて運転も平気になってきました。

とはいえマーチはいわゆる重ステで手動のうえエンジンも不調に陥っていたので、今はブラジルではもう販売していない、トヨタの世界戦略車エチオスのハッチバックを購入しました。それはオートマチック車を思い切って買いました。日本ではオートマが当たり前かもしれませんが、ブラジルではマニュアルよりオートマは値段が高いのです。 (しかし2021年の動向を見るとオートマが増えてきました。)

トヨタはブラジルでも故障がすくない良質な車として人気があります。でもちょっと他に比べて高いです。でもメンテナンス代修理が少なくて済むので長い目で見ると安いんだよという信頼性で飼われていると思います。

実際3年乗ってきて一回だけエンジンプラグが焼き切れただけで、あとは故障はなりません。プログも交換時期が来ていたのでした。(そこはトヨタのメンテナンスの時に指摘して欲しかったという思いはあります)


本題のタイヤの話

大陸のブラジルではタイヤの交換もはやくなります。私も3年で6万キロを走り交換時期になりました。価格も日本に比べて高いですが命に関わる大切な部分なので少し早めの交換をしました。 前輪二つを変えて800レアル日本円で一万六千円くらいです。15インチタイヤにしては高いのではないでしょうか?

ブラジルにもブリヂストンタイヤがありますが少し高いので、ファイヤーストーンというメーカーのにしました。

その様子を動画にしましたので是非ご覧ください。ブラジルでもブリヂストンは人気ですよ。





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2021/06/02

南米で宮沢和史「島唄」がヒットし続けている理由  (中日新聞より 今週のことば くり返す悲しみは島渡る波のよう ) 

今回は中日新聞からの記事を引用させてもらいます。

 記事を書かれた尾畑文正 同朋大学名誉教授はここブラジルで3年半開教監督を勤めた方でわたしもその時を境に先生とひたしくさせてもらっています。先生は私が日本にいた時から存じ上げていましたが、一度もお会いすることはありませんでした。そういった意味でブラジルの地が尾畑先生に合わせてくださったのだと感じています。

 その先生が日本に帰ってからもブラジル(南米)のことをよく取り上げて法話やこのような記事を書いてくださることはとっても嬉しいです。 日本語の記事の後にポルトガル語の翻訳を書いていますが、これは私がGoogle翻訳を利用して貼り付けたものですので不正確だと思いますが、ニュアンスが少しでも伝わったらと思い掲載しました。

歌詞が実際の記事より多く書いてあるのは記事の文字数や著作権の問題によって掲載できなかったものを本来の先生の希望通りの歌詞を付け足したものです。


中日新聞より

今週のことば


くり返す悲しみは島渡る波のよう


           宮沢和史「島唄」


            尾畑文正


一九四五年四月一日、連合軍は沖縄島上陸。二日から日本軍との織烈な戦いが始まり、六月二十三日に組織的な戦闘は終わった。この沖縄戦の地獄絵図を語る体験者の言葉に宮沢和史氏は身を据え、非戦平和の願いを込め「島唄」を作詞作曲した。やがてこの歌は海を越え南米社会でも大ヒットする。なぜ南米で「島唄」なんだろうか。私は宗教関係の仕事でプラジルに三年半いた。そこで南米に「島唄」を受け入れる土壌があることを知った。


 南米での日系移民の中、沖縄出身者はアルゼンチンで約70%。ペルーで約65%。ポリビアで約60%プラジルで約10%である。それら沖縄出身者が五年に一度、那覇などに集まり、世界のウチナーンチュ大会を開く。沖縄への思いは強く、きっと沖縄戦の悲劇がうずくまり、その心が「島唄」に共鳴し大ヒットをもたらした。


でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た

くり返す悲しみは 島渡る波のよう

ウージの森で あなたと出会い

ウージの下で 千代にさよなら


どこにあっても果てることはない。


(同朋大名誉教授)









Palavras da semana


 “A tristeza repetida é como uma onda que atravessa a ilha”


 Kazufumi Miyazawa      "Canção da Ilha"  “SHIMA UTA”


                                                                 Escritor    Bunsho Obata


 Em 1º de abril de 1945, os Forças aliadas desembarcaram na Ilha de Okinawa.  Uma batalha feroz com o exército japonês começou no dia 2, e a batalha organizada terminou em 23 de junho.  Kazufumi Miyazawa estabeleceu-se nas palavras do experimentador que falou sobre o quadro infernal da Batalha de Okinawa e escreveu e compôs "Shima Uta" com o desejo de uma paz sem guerra.  Eventualmente, essa música cruzou o mar e se tornou um grande sucesso na sociedade sul-americana.  Por que é uma "canção da ilha" na América do Sul.  Passei três anos e meio em brasil para trabalho religioso.  Lá, aprendi que há solo na América do Sul que aceita "canções de ilha".

 

 Entre os imigrantes japoneses na América do Sul, cerca de 70% são de Okinawa, na Argentina.  Cerca de 65% no Peru.  Cerca de 60% para a bolivia e cerca de 10% para o Brasil.  Os de Okinawa se reúnem em Naha e em outros lugares uma vez a cada cinco anos para realizar o torneio Uchinanchu em todo o mundo.  Tenho um forte sentimento por Okinawa, e a tragédia da Batalha de Okinawa certamente se abateu, e aquele coração ressoou com "Shima Uta" e trouxe um grande sucesso.


 "As grandes flores estão em plena floração, o vento chama e a tempestade está chegando.

DEIGO GA SAKIMIDARE, KAZE WO YOBI ARASHI GA KITA


A tristeza repetida é como uma onda que atravessa a ilha

KURIKAESU KANASHIMIWA SHIMA WATARU NAMI NO YOU

 

Te encontro na floresta ūji

UJI NO MORI DE ANATA TO DEAI


 Adeus a eterno sob  ūji ", 

UJI NO SHITADE TIYO NI SAYONARA


não importa onde você esteja.


 (Professor Emérito da Dobo University)



2021/04/21

ブラジル生活で必須かも。泥棒よけにもなる夜中に自動点灯するLEDを再び設置しました

安全対策は毎年バージョンアップ 

もう約2年前に庫裡の出入り口に設置したLEDが切れてしまったので付け替えました。

 ブラジルでの防犯は常に進化させてそれをアピールするのが重要だと思います。 コソ泥もめんどくさい仕事をしたくないので、常に注意をしている場所は選ばれにくくなります。 それに見合うお金やモノがあればまた違います。でもその点なら私たちは安心なのです・・・・ブラジルライフもコツを掴めば必要以上に恐れずに過ごせます。そこは日本と同じだと思います。
 ブラジルの防犯について発言するとブラジルを恐れて人が来なくなるという方もいますが、わたしは逆に対処法をきちんとシェアする方がブラジルのためにも、ブラジルに来る人のためにもなるとの思いで発信しています。今回の情報も役立つと嬉しいです。 日が暮れて出入りする時にあかりがつくのも大変役に立ちます。お試しください。

モノや取り付け手数料の値段
 お店でセンサーと動画に出てくるライトを購入したら100レアルくらいです。(2010年現在で1レアル約20円だと2000円くらいです)
ちなみに手数料は50レアルから100レアルです。現在のレートで1000円から2000円ということになります。さらに取り付けの時の電線など必要なものはさらに料金がかかりますが大きな金額にはなりません。

予定した日時に来ないーブラジルならではの苦労ー
 取り付けは街の電気屋さんに頼みますが、これがなかなか気まぐれな人が多く、日時通りに来てくれないことが多いのです。なぜだろう? 悩ましい問題です。これはブラジルに住む人なら必ずぶち当たる壁ですがその対処法は未だ見出せていません。特に電気屋さんだからというわけではないのです。事前の連絡もなく来ないばあいがよくあります。商売だから来てもいいモノだし、見積もりはこちらが値段を提示しているわけではなく相手が決めるのだから多めに見積もれば不満もないだろうに、見積もりの後音沙汰がなくなるということがあるのです。
 私のポルトガル語対応がまずいのならわかるのですが、対応は妻のファビアがやってくれているので問題ないはずです。ファイアの知り合いであったとしても同じことが起こります。そうなるともうブラジル人気質としか言いようがありません。
しかしなにか対応にコツがあるのではないか?と思っています。粘り強く学んでいくしかないでしょう。もしくはテクニックを学び簡単なものなら自分で取り付けできるようにするしかないでしょう。


というわけで動画をご覧ください。


「ブラジル・シュウちゃんねる」

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ブラジルのお寺もインターネット配信の波が。時と場所を超えて会える

ブラジルのお寺もネット時代がやってきた マリリア真宗本願寺 私はブラジルのマリリア市のお寺に来て8年目になります。その前は6年間サンパウロ氏のお寺にいました。 私自身はコンピューターとかインターネットとか新しいものが好きなので、ブラジルに来る前からお寺の様子をインターネットで配信...