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2024/05/02

南米佛教の先驅者 岡田英定氏 大舘誓

南米佛教の先驅者

岡田英定氏

大舘誓

 昨年八月南米同行から本山へ特使 派遣を要請したのが發端となり、途に九月末に至り本山より南米開教事情視察を命ぜられた。御法主台下の特別の思召で御本尊と御消息とを下附された。尚その上南米同行から先年來御法主台下及裏方の御渡伯招請運動が起きて居たので、その準備のため十一月中旬バークレーを出發空路ニューヨークを経て約八千哩を翔破してブラヂル國サンパウロ空港に無事到着したのは炎暑の激しい十一月二十六 日であつた。往路羅府(ロサンゼルス)に立寄った時、加州(カリフォルニア州)大學教授足利演正師から 南米に念佛行者岡田英定氏のある 事を聞いた。氏は二十余年前渡伯 する以前から真宗のみ教を深く信じ、渡伯後は益々熱心に教化して居らるゝ、との事で、自分もかゝる有難いお方に是非お会いしたいも のと思つた。
 着伯後ブラヂル第二位の大都市サンパウロに、同行の熱願によって南米本願寺を創建し近き將來駐在開發使を招く事に議決し、開教本部を設けて本由の正式認可を得て本格的南米開教の幕を切って落したのであつた。御法主台下より頂 いた御本尊と御消息とを捧持してバラナ。ソロカバナ。バウリスタ。 ノロエステ各鉄道沿線を町から村へ、村から村へ、或時は山間僻地まで巡講した。何分北半球と南半球とは気候が全然反對である。自分は十一月から三月迄の降雨期に着伯したのであるが、今年は割合に降雨が少く晴天の日が後くも炎烈続くが如く全く紅塵万丈の惡道路に随分悩まされた。交通狀態、衛生狀態は完全の域に達して居ないので全くの難行路であつた。四五百哩の處は同國自慢の航空路を利用した。全くみ佛と旅寝々々の 念佛行路であったのである。巡講の行程約五千哩、延回數百八十回に及んだが、開拓先亡者追悼法要 戦歿英霊追悼法要を勤め御消息披露、宗務総長暁烏欲師の在伯同朋へのメッセーヂ傳達、複演、青年講話、信仰座談會、御示談も開き深更まで蚊の群を追いつゝお同行と語り明した事は数限りなくあつた。此の巡講に於て御兩方様御渡伯準備の事を懇談したが何處に行つても快よく承諾してくれた。
 此の旅の先々で豫て羅府で足利教授からその高徳を聞いて居た岡田英定氏の御遺徳を細々と聞かせて頂いた事は誠に大きな収穫であつた。氏の業績は大きく強化の 跡は廣く、そして深いのに敬服した。全くの念佛行者で南米の妙好人、南米開数の先驅者と云っても決して過言では無い。自分は同氏より親しく法を聞かして頂き度いと思つて居たが、既に故人となつて居られた事は誠に残念至極であった。

 同氏は和歌山縣出身で大谷派門徒の家に生れ神戸高等商業學校(現在の商科大學)教授の要職に在つたが、大正十五年大いに志す所あつて開拓精神に燃えて家族同伴し渡伯されたのであつた。神戸高等商業學校在職時代より常時の知識階級が宗教無関心であつたに反して大谷派の耆宿で足利教授の實父足利瑩含師、蜂屋賢喜代師の御手厚い薫陶を受け途に入信して親鸞聖人のみ教を身を以って体験した熱烈な信仰家であつたのである。 遙々と一万二千理の波濤を越えて七十餘日の長航海を終えてブラヂルサントス港に御家族同伴して上陸された。上陸後一先づノロエステ線リンス驛近くバルボーサ耕地へ当事の渡伯の手続き上止むなく一介の農業移民として入植されたのであった。

 その當時一般在留邦人は布哇(ハワイ)北米の最初の移民が歩いたと同じ様に唯出稼根性一杯で、物質慾のみに走り唯働く一方で精神的教養に心掛ける者は極めて稀れで、宗教なんか無関心のものが大部分であつた。唯一家全部渡伯した一部の人 が日本に居る時からの先祖の宗風を守っつて佛像や先祖の位牌を飾り朝夕禮拝して居た程度であつた。 此は明治四十四年第一回移民着伯以来、日伯移民條約によつてカトリック教が國教として偉大な勢力を以って社會民衆に君臨して居たので、佛教開教使も基教牧師も正式に宗教家として渡航を禁ぜられて居たので精神的滿足を得る方法も無く又自然に宗教無関心になるといふ誠に氣の毒な狀態であったのである。

 唯當時在留邦人は日本から同伴した子女や同國で生れた二世に對する教育方面には関心を持つて居た。同國の官立學校は勿論ブラヂル語に依る教育であるが現今とても同じ様であるが小學一年生から四年生迄しか義務教育制度が無かつた。それで母國語を忘れない様にする計りでなく知的教育を補充 して大いに向上せしめる爲めに、 父兄の力で日本語學校を方々に建設して通學せしめたのであつた。 此には日本の出先官憲や日本の文部省も非常に力を入れて講師や指導者を送ったり、或處では建設資金さへ下附した處もあつた。又強育普及会が創立され研究や奨励に力を注いで居た。

 岡田氏は此の会の懇望(こんもう)によって購師として各植民地を巡回して教育奨励に大いに努力せられ、その功績は非常に大きいものがあつた。 然し同胞間には真の落付きのある宗教的方面は空白状態であった。 僅かに日本で少し經文を讀誦し御法話の出来る程度の人があると、 その方に頼んで法事や葬儀を行つて貰ふ狀態であつた。況んや深く信仰の世界を語る人とてなく一般の邦人は求めようともしなかつたのである。岡田氏は此を見るに忍びずして自ら各地に赴いて親鸞聖人の他力本願を語った。當時は此の尊い体験の告白にも馬耳東風の人が大部分であったが、氏の熱烈な捨身說法に耳を傾けるものが段々増加して来た。氏は常に遥々日 本から御伴して来た畏れ多くも明治天皇の御名のある如来様の御絵像を各地に捧持して、自らは僧の風姿を決してせず唯々洋服の上に御法主台下御下附の輪袈裟を掛け恩師足利瑩含師より頂いた聖典を持ち歎異鈔中心に淳々と法を説いて廻った。年月が経つにつれ渡伯前多少聽聞して居た者や全然無關心であつた者も、漸次(ぜんじ)氏の倦まず撓まざる傳導に敬服し聽聞する様になつて行つた。當時熱烈に法を求め途に入信して岡田氏の隨行まで志す中年の方があつた。此れが後年佛門に入りブディストダイゼスト誌に南米の親鸞とまで賞掲されるに至つた廣島縣出身伊藤空眞氏である。伊藤氏は岡田氏に隨喜渇仰し師事すると同時に自らも當時開拓に余念なかった平野運平氏を主班とする平野植民地及近郊の人々に法を語り法雨をそそいで行った。
 後年岡田氏の教化がノロエステ線及各線一帯に亘り浸み込んで行つて、氏はサンパウロ市に移転さるるに當りノロエステ線カフエランジャ驛近くトレスバレスの地に同行の懇念(こんねん)に依って一宇が建立せられ、此に伊藤助一氏(後の空眞)を 住せしめられた。伊藤氏は此の一宇の堂守となつて居られたが後年サントス港に上陸した計りの廣島縣出身で本派に借籍のあつた井上白道氏を住職として迎へ、井上氏他界後伊藤氏は住職代理を勤められた。此の一宇こそ終戦後約五百コントス(邦貨五百万圓)を投じて完成され全伯隨一の伽藍となつた現在の光明寺である。伊藤氏は七十二才の老軀を押して本年訪日し、正式に得度を受けて開教使に補せられたのであつた。

 岡田氏の教化は遂に寺を建て信を育てるに至ったと云へよう。 其後岡田氏はノロエステ線一帯の同行達に惜しまれつゝ遂にサンパウロ市に移った。氏はサンパウロ市に居を定め日本語普及の為め巡講の傍ら有縁の地に真宗を説いた。氏の教化を受け篤く他力本願の教えを頂いて居る同行達の追憶談によると、同行より一宇を建立せん事を度々申出たが氏はれを聞き入れず、飽迄一居士一念佛行者として進んで行かれた。各處で催された報恩講や家庭法話会は常に滿堂で あつた。當時カトリック教は国教として絶大な勢力があったが、 田氏の言動にしては格別厭迫(えんはく(えんぱく))を 加へる様な事はしなかったそうで ある。

 氏は又同行達の不便を見るに忍びず全く新しい型の真宗勤行聖典を編纂出版した。片假名の横書きであつて、いつも横書きの葡語を見つけて居る同行達への深い思ひやりであろう。十餘年前の出版聖典に佛教聖典数篇入れてあるのも新味があった事と思く。自分は未開の地で手垢のついた聖典を見て尊く思った。又氏は着伯後地方教化の傍ら同氏の恩師の一人たる蜂屋賢喜代師の信仰月刊雑誌成同を相當多量に送附を受けて同行に配布して信心のおすすめとせられ太平洋戦勃發迄続けられた。此は岡田氏の法徳を遥かに敬慕された大阪の製藥王武田長兵衛氏が、毎月相當な費用を投じて寄進された尊い報恩の行であつたのである。此が伯國開教史上文書傳道の嚆矢(こうし)と云へ よう。(つづく)

南米佛教の先驅者 岡田英定氏(讀)
大舘誓

 此の岡田氏の法態は年月と共に擴大(かくだい)し深化して、お念佛同行として 育て上げられたものは無限りなくある。
終戦後、憲法は改正されて信教の 自由が認められ、明治四十四年第 一回移民渡伯以來一人の正式な開教使も居ず、勿論、寺とてもなく蔭の如き存在であつた佛教、特に真宗が、公然と社会に浮び出て、 篤信の同行によつて御法の取持ちをなす様になり、新寺院も建立せ らる、に至つたが、これは全く岡田氏の不退轉の教化がその原動力 となり推進力となったといつても決して過言ではない。氏は全く南米開教、特に真宗發展の為めの大恩人、先驅者として、滿腔の感謝を捧げるものである。自分の過去六ヶ月間滞伯中の色々の経験から すれば、あの交通機関の不完全な衛生狀態も思はしくない土地で、常時は餘程文化の低い生活に甘んじて居た在留邦人間に、困苦缺乏(こんく けつぼう)に堪えて、よく名身命を賭して教化せられたものと、岡田氏の信仰力に感服せざるを得ない。信は力なりとは、全く氏の生活態度を 云ふものであらう。

 岡田氏は、日伯交断絶後、伯國官憲の指命によつて、止むなく夫人を同伴し子女を残し、又多年育て上げたお同行と別れて、常時の日本官憲と共に交換船で歸國された。當時既に在留邦人の旅行の自由も束縛されて居たが、少数の同行は涙と共にサントス港から同氏夫妻を見送った。交換船で歸國されたことを聞いた奥地の同行は、 泣いて別れを惜んだといふことである。

 同氏夫妻は歸國後、佐賀縣に疎開して居られたが、遂に病を得て往生の素懐を遂げられたとの事である。現在生存して居る岡田氏お育ての同行で現在開教本部顧問をして居る七十三才の富山縣出身の高田良藏翁から詳しく模様を聞き、 益々岡田氏に對する敬慕の念をあつくした次第である。

 同氏は、渡伯後數年にして先夫人に先立たれたが、六人の子女の事を思ひ、一度歸國して現夫人と再婚し同伴し再渡伯せられたのである。現在の岡田未亡人にも二人の子女があり、共々に成長して立派な農業家として成功して居られるのもあるし、又他家に嫁(か)して良き母となつて居られるのもある。岡田未亡人は二年前、子女に呼び寄せられて、現在サンパウロ市で静 かにお念佛の生活を送って居られるのである。    (完)



(掲載の写真は、交換船で歸國前の岡田氏夫妻のスナップで、 篤信の同行、高田良藏翁の秘蔵のものである。)

以上のお話は、今年ブラジルに来てくださった、現在ニューヨークで開教をしている、名倉幹(なくら みき)先生が送ってくださった資料を書き起こしました。先生ありがとうございます。

静坐会を開いておいでですので是非ご参加ください。


 ・静坐会:毎週水曜、土曜朝9時から1時間(日本時間)
 このリンクをクリックしてご参加ください。
https://us06web.zoom.us/j/6270065912?pwd=MUZmTVg0SHFFQVA4aGd1em1ZV0Vydz09
ミーティングID: 627 006 5912
パスコード: kikou

静坐とは、腰をしっかり立てて物理的に最も安定した姿勢を作り、長く鼻から息を吐き続け、同時に臍下丹田に力を入れていく坐・呼吸法です。座布団、または椅子に腰掛けて行います。毎回丁寧にお伝えします。

 会費:なし


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2024/04/19

「哀れ、生き物は互いに殺しあう」 今週のことば 尾畑文正 過去現在因果経 (意訳) 中日新聞コラムより ブラジルポルトガル語翻訳付き

「哀れ、生き物は互いに殺しあう」




今週のことば


尾畑文正


過去現在因果経 (意訳)


 この経典は釈迦が後に国を捨て 出家する動機を「樹下の思惟(しい)」として語る。ある日、少年釈迦が父王と閻浮樹(えんぶじゅ)の下で休息していた時、農作業で掘り起こされた虫を鳥が啄(ついば)むのを見た。経典の原文は「互いに相吞食(あいどんじき)す(食べる)」と あるが、意は「殺しあう」である。 その姿に少年は深く悲しみ、その場に留(とど)まり、樹下で瞑想(めいそう)する。


 やがて仏陀(ぶっだ)(目覚めた人)となる少年が自らも含む衆生の弱肉強食の現実に触れ、「生きるとは何か」の問いを抱えた場面である。

  少年が見た互いに殺しあう衆生の現実は現在、戦争のかたちで世界を覆っている。日本はどうなのか。憲法で不戦を誓い、武力なき平和を掲げながら、戦争の悲しみを忘れたかのように、武器輸出を閣議決定している。


 想像してみよう、戦闘機で命奪 われる人々の叫び、瓦礫の下で殺された命を。武器輸出で平和は創れない。少年の悲しみは今の私たちの愚かさを問うている。



(同朋大名誉教授)





"Piedade, os seres vivos matam-se uns aos outros"


A palavra desta semana


Por Bunsho Obata


Tradução interpretativa do Sutra das Causas e Condições Passadas e Presentes


Este sutra relata como o futuro Buda, ainda jovem, veio a renunciar ao seu reino e tornar-se monge, movido por uma reflexão sob uma árvore . Certo dia, enquanto descansava sob a árvore Jambu com seu pai, o jovem Siddhartha observou pássaros bicando insetos que foram desenterrados durante o trabalho agrícola. O texto original do sutra usa a frase "devorar uns aos outros", mas o significado é "matar-se uns aos outros". Profundamente triste com essa visão, ele permaneceu no local e meditou sob a árvore.


Eventualmente, o jovem que se tornaria o Buda (o Iluminado) confrontou a dura realidade do mundo, onde os fracos são presas dos fortes, levando-o a questionar "o que significa viver". A realidade de seres vivos matando-se uns aos outros que o jovem viu, hoje se manifesta na forma de guerras cobrindo o mundo. Como está o Japão? Apesar de jurar não guerra em sua Constituição e defender uma paz sem armas, o país parece ter esquecido a tristeza da guerra, decidindo pela exportação de armas em reuniões do gabinete.


Imagine os gritos das pessoas sendo mortas por caças, as vidas perdidas sob os escombros. A paz não pode ser criada com a exportação de armas. A tristeza do jovem questiona a nossa atual tolice.


(Professor Emérito Doho da Universidade)


---

上記のポルトガル語のテキストから重要な単語を10個選んで、それぞれの日本語訳を以下に示します。


1.Piedade** - 慈悲、哀れみ

2.Seres vivos** - 生き物

3.Matar-se** - 殺しあう

4.Sutra** - 経典

5.Rei** - 王

6.Monje** - 僧

7.Reflexão** - 思索、瞑想

8.Realidade** - 現実

9.Constituição** - 憲法

10.Armas** - 武器



重要な構文の解説


1."o futuro Buda, ainda jovem, veio a renunciar ao seu reino e tornar-se monge"**

   - 「未来の仏陀、まだ若い彼は、彼の王国を放棄し、僧侶になることなった」

   - この構文は、主語「未来の仏陀」に対して、二つの動詞「renunciar」(放棄する)と「tornar-se」(~になる)が使われています。これにより、彼の人生の重要な転換点が強調されます。


2."enquanto descansava sob a árvore Jambu com seu pai, o jovem Siddhartha observou pássaros bicando insetos"**

   - 「父と一緒に閻浮樹(えんぶじゅ)の木の下で休んでいる間、若いシッダールタは鳥が虫をつつくのを観察した」

   - ここでの「enquanto」(~する間に)は、ある行動が他の行動と同時に起こったことを示しています。この同時進行の構文は、物語のシーンに動きを加え、時間の流れを感じさせます。


3."o país parece ter esquecido a tristeza da guerra, decidindo pela exportação de armas em reuniões do gabinete"**

   - 「国は戦争の悲しみを忘れたようで、閣議で武器輸出を決定している」

   - 「parece ter esquecido」(忘れたようだ)は「parecer」(~のように見える)と完了形「ter esquecido」(忘れた)の組み合わせで、推測や可能性を表現しています。これにより、日本の行動に対する著者の批判的な視点が強調されます。


https://zh.wikipedia.org/wiki/閻浮樹


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2024/04/05

『凡夫』とは お経の鏡に映る 私の姿 "Ser tolo" é o meu verdadeiro reflexo no espelho dos Sutras.



『凡夫(ぼんぶ)』とは

お経の鏡に映る

私の姿



"Ser tolo" é o meu verdadeiro reflexo no espelho dos Sutras.




資料


腹立たば 鏡を出して 顔を見よ
 鬼の顔が ただで見られる

凡夫というは
今月のことばに出会い、親鸞聖人のことばを思い出しました。

「凡夫」は、すなわち、われらなり。 (中略)
凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、 ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと
(『一念多念文意』 真宗聖典544・545頁)

(試訳)
凡夫というものは、煩悩が我が身に満ち満ちています。欲も多くて、怒り、腹立ち、そねみ、ねたみ、それらのこころを多く持っています。しかも、それらのこころが時折顔をのぞかせるのではなく、一瞬の間もなく、臨終のそのときまで止まることがありません、消えることがありません、絶えることがありません。そんな凡夫とは、私のことですと(親鸞聖人は告白されました)



経は鏡なり

善導大師に、「経教(きょう)はこれを喩(たと)うるに、鏡のごとし」ということばがあります。「お経(お釈迦さまの教え)は、喩えるならば、私を映し出す鏡です」と。


「経といふは経〈たて〉なり。経よく緯〈ぬき〉を持ちて疋丈〈ひつじょう〉を成ずることを得て、

その丈用〈じょうゆう〉あり。経〈きょう〉よく法を持ちて理事相応し、定散〈じょうさん〉機に随ひて義零〈ぎれい〉落〈らく〉せず。」

『観経四帖疏』玄義分

「これ経教はこれを喩ふるに鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋〈たず〉ぬれば、智慧を開発す。」

『観経四帖疏』序分義


    経は教、鏡〈かがみ〉


お経は、悩み苦しみを取り除いて くれる有り難いことばではありません。あるがままを説いた当たり前のことばです。けれど、あるがままを受け容れることはなかなか難しいものです。

日常、鏡を見るとき、自分の良い面しか見ません。あるいは、良く見えるように体裁を整えます。鏡に映る自分の姿といっても、自分のお気に入りの所だけ見ていては、私の本当の姿を見ることはできません。

お経のことばに触れる、仏法聴聞するとは、私の本当の姿を映し出してもらうことです。耳障りの良いことばを聞くためでも、自分を正当化するためでもありません。あるがまま、そうなるようにしてなった、つまり、縁をいただいて成った私であることを聞くのです。

そしてもうひとつ。鏡は、光を集めて反射することによって、ものが映ります。同様に、鏡に喩えられる経を通して、阿弥陀如来の光明に照らされている私の姿が見えてきます。

煩悩は、自分で意識しているときだけ現われ出るのではありません。自分で意識していないときも常に煩悩は表出しています。臨終の一念まで煩悩のこころがなくなることがないという親鸞聖人の告白は、いつまでも阿弥陀如来の光明に照らされてある私ですという告白です。

腹が立ち、鬼の形相になったとき、本当は自分が一番つらいはずです。怒りのこころを持ち合わせる自分であるという気付きは、自分で自分に噛みつくような痛みを伴うものですから。とはいえ、怒りのこころを臨終の一念まで持ち合わせるのが私です。阿弥陀如来の支えと共に、私はあります。


わが心

  鏡に映るものならば

   さぞや姿の

    みにくかるらん

        田辺 親子




『凡夫』という言葉は、私たちが持つ無明や煩悩を指すものであり、これらは日々の行動や思考に深く根ざしています。お経、特に浄土真宗において重要視される教えでは、これらの煩悩が悟りへの道を阻む障害であるとされています。しかし、これらを認識し、受け入れることが、真の悟りへの第一歩となるのです。


お経は、まるで鏡のようなものです。この鏡には装飾もなく、ありのままの私たちを映し出します。日常生活で私たちが見る鏡は、時に自分の姿を良く見せようとしたり、欠点を隠そうとしたりします。しかし、お経の鏡は違います。お経の鏡は、私たちの内面、そして真実の姿を映し出します。私たちが持つ怒り、欲望、嫉妬などの煩悩は、この鏡を通じてはっきりと見えるのです。


親鸞聖人は、「凡夫」であることを自認しました。これは、自らの煩悩に満ちた存在であることを深く自覚し、それを受け入れることから始まります。私たちは、自らの煩悩を認め、それに直面する勇気が必要です。この勇気が、私たちを真の悟りへと導く鍵となります。


お経を聞くこと、仏法に触れることは、自己の真実を知ることです。耳障りの良い言葉を求めたり、自己正当化を目指したりするのではなく、自己の真実を受け入れることが重要です。そして、この過程で阿弥陀如来の光明に照らされることにより、私たちは自己の本質をより深く理解することができます。


煩悩は、私たちが意識しているときだけでなく、無意識のうちにも常に存在しています。親鸞聖人が語ったように、臨終の一念まで煩悩は消えることがありません。しかし、これを悲観するのではなく、阿弥陀如来の無限の慈悲と共に、私たちは存在するのです。怒りや憎しみを感じたとき、それは自己への苦痛でもありますが、同時に自己を深く理解する機会でもあります。


お経の鏡に映る「凡夫」の姿を通じて、私たちは自己の真実に目を向け、阿弥陀如来の慈悲の光に照らされることで、真の悟りへの道を歩み始めることができます。この道は容易なものではありませんが、お経と仏法の導きにより、私たちはその道を歩む勇気と希望を持つことができるのです。



A palavra "凡夫" refere-se às nossas ignorâncias e desejos incontroláveis, que estão profundamente enraizados em nossas ações e pensamentos diários. No ensinamento budista, esses desejos incontroláveis são considerados obstáculos no caminho para a iluminação. No entanto, reconhecer e aceitar essas paixões é o primeiro passo para a verdadeira iluminação.


Os sutras são como um espelho, sem adornos, refletindo-nos como realmente somos. Os espelhos que usamos no dia-a-dia podem, às vezes, ser usados para melhorar nossa aparência ou esconder nossas imperfeições. Mas o espelho dos sutras é diferente. Ele reflete nosso interior e nossa verdadeira forma. Através dele, nossas raivas, desejos e invejas, que são as paixões, ficam claramente visíveis.


Mestre Shinran reconheceu-se como um "凡夫". Isso começa com a profunda autoconsciência de ser um ser cheio de paixões e aceitá-lo. Precisamos ter a coragem de reconhecer nossas próprias paixões e enfrentá-las. Esta fé é a chave que nos leva à verdadeira iluminação.


Ouvir os sutras e entrar em contato com o Dharma é conhecer a verdade sobre nós mesmos. Não se trata de procurar palavras agradáveis ou tentar justificar nossos atos, mas de aceitar nossa verdadeira natureza. E, neste processo, ao sermos iluminados pela luz de Buda Amida, podemos entender mais profundamente nossa própria essência.


As paixões existem não apenas quando estamos conscientes delas, mas também inconscientemente, o tempo todo. Como Mestre Shinran disse, essas paixões não desaparecem até o momento de nossa morte. No entanto, em vez de desesperar, devemos reconhecer que existimos junto com a infinita compaixão de Buda Amida. Sentir raiva ou ódio pode ser doloroso para nós, mas também é uma oportunidade para um entendimento mais profundo de nós mesmos.


Através da imagem do "凡夫" refletida no espelho dos sutras, começamos a olhar para a verdade sobre nós mesmos e, iluminados pela compaixão de Buda Amida, podemos começar a caminhar no caminho para a verdadeira iluminação. Este caminho não é fácil, mas com a orientação dos sutras e do Dharma, podemos encontrar a coragem e a esperança para continuar nossa jornada.


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