2009年09月07日 08時36分06秒 アメブロ
私は今、ブラジルのマリリア市に住んでいますがアントニオ猪木はここマリリア市の近郊に住んでいました。日本から来た力道山がその才能を見初めて日本へ連れて行ったそうです。
マリリアのお寺の会長の中村善雄さんは猪木の家の隣に住んでいたそうです。
先日ご門徒さんに源信僧都とその母親のエピソードについて質問を受けた。
調べているうちに、源信僧都の子供の頃の名前と、一休禅師のそれが全く同じ、「千菊丸」であることがわかって、びっくりした。
一休禅師つながりで、検索結果に猪木の引退試合の言葉で有名になった。
「この道をいけばどうなるものか」のエピソードが出ていて、さらにその隅に清沢哲夫 が原本と書かれていてビックリ!
それでどんどん検索したら、猪木のこの言葉は一休禅師の言葉として流布していたが、実は清沢哲夫の『無常断章』の中に記載されているということがわかって驚いた。
なぜなら私はこの本を高校か大学のとき読んだからだ。
その本は実家にあった。
でも、この詩の事はまったく覚えてなかった(-。-;)
私は清沢哲夫さんに何度かあっている。しかも親戚にあたる事を親から聞いてかなりビックリした。
清沢哲夫さんに初めてあったのは大学生のクラブの合宿で石川県の明達寺に行った時の事だった。私が入学していた大谷大学のもと哲学科の先生だったということもあり、その当時清沢満之批判が盛り上がっていた時期でもあり、私の入っていた「伝道部」はたぶんそれをテーマにして、暁烏哲夫さんのお宅明達寺に行ったはずだ。
お会いして白髪で、老齢に達していたけれど体が大きく迫力があったのを覚えている。
ゆっくりと話し、ゆっくりと迫力のある風貌の先生が私にある質問をされた。
先生のお部屋でお茶を頂いている時に哲夫さんが話し始めた。
「いいですか、これから一つの話をします。 よく聞いてこたえて下さい。 これは真剣勝負ですよ。」
「ここに洗面器がある。そして水が張ってある。それは丁度顔を付けると息が出来なくなるくらいの分量で、あなたはその洗面器に顔を浸す、鼻も口も浸かるくらいに・・・・
十秒が過ぎ三十秒が過ぎ、一分経つ。 それでもしゅう君は洗面器に顔を浸している。
さらに時間が経つ・・・・・ そして二分たつ、 それでもそのまま付けている
それが〇〇○です。
この話をどう思う?これで話はおしまい。と言われた。
全くわからず、今思うと禅問答のようなお話でちんぷんかんぷんという体で哲夫さんの顔を見ていると。
にこっりと笑って
「しゅう君。 いま時代が武士の時代だったらあなたの首はもう胴体についてないよ。 そのに転がってる」
・・・だから真剣勝負だと言ったでしょう。
といわれて、私はなんとも答えていないのに首が落ちてると言われてたので。
「わたしなら、洗面器から顔を上げますけれど・・・」
と言ったら。
「死体が話しとる、もう首は落ちてる」
といわれた。 \(*`∧´)/(怒)
先生は野武士のように迫力のあるので、ムッとした顔も態度も出来ず、せめてもの抵抗でムッツリしていたら。
「しゅう君、まあゆっくり考えてくれればいい」
と言ってくれたように思う。
ちなみに 「それが です」の白紙の部分を思い出せない。たぶん「仏教」か「生死」かだと思う。
洗面器の話は哲夫さんの本かコラムにも載っていたと思うので、わかったら報告します。
しかし未だに洗面器の話で何が言いたかったのか。わからないままです。
仏法が身にしみてわかるかわからないかそういう責際が実は只今いつも突きつけられている命を頂いているのだ、ということかな? どうでしょうか?皆さんはどう思われますか?
哲夫さんは清沢満之 の孫、清沢家のお寺を継いだが、ご門とお寺の経営で対立し、寺を出る。一時親子ともども掘建て小屋ぐらし、托鉢で暮らしていた。その頃の事が本に載っている。この道を・・・ の詩は仏教の教えだけではなく、まさに本人の実体験がこもっているから猪木の心も打ったし、またこれを聞いた人々の心にも届いたのだと思います。
それにしても猪木はどうしてこの詩を知ったのでしょうか? ブラジルへの日系移民の中には沢山の真宗門徒がいます。その中には暁烏敏や清沢満之の教えの薫陶を受けた方々もおいでになります。
もしかしたら、猪木の両親かおじいちゃんおばあちゃんは真宗のご門とだったのかもしれません。 しかし、まさか猪木の故郷の町近郊にこうやって住むことになるとは思ってもいませんでした。不思議なものです。
それでは最後に両氏の詩を掲載します。
道(猪木バージョン)
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けば分かるさ
道(清沢哲夫 正式バージョン)
比の道を行けばどうなるのかと危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
ふみ出せば
その一足が道となる
その一足が道である
わからなくても歩いて行け
行けばわかるよ