2020/07/06

体調30センチの巨大バッタ と シマシマの蛇

2008年06月03日 00時53分48秒 アメブロ


その方はかつて赤と黒の原色ストライプの蛇2匹が並んで進んで行く姿を見たといいなかなかポップな蛇でした。太めのストライプで。と言うことだった。 日本の話です。
さらに、「子供の頃、全長30cmはゆうにある巨大バッタが2mの塀を飛び越えて行く姿も見た 」
と言うことで、わたしはそのコメントに怪しく思うとともに子供の頃に夢想した巨大生物の事を思い出させてくれました。
子供の頃にはUFOにも出会いたかったし、そんな蛇やバッタにも遭遇したかったものです。子供の頃の夢はパイロットになるという夢の前に、ジャングルで恐竜を見つける事だったことも懐かしく思い出します。
その夢はやはり子供の頃トロイの木馬の遺跡を発見した人の物語を読んでからますます現実味をもっていました。トロイの木馬とは、今はやりのコンピューターウイルスの事ではなくて、本当にあった話しです。
しかし、その本当の話は当時遺跡が見つかるまでは村のおとき話だったのです。しかし、幼い時にその話を聞いていた主人公の子供は大人になってもそれが忘れられなく、発掘調査をした結果トロイの遺跡を発見するという話しです。

幼い頃母親が森英恵が大好きで、森英恵のシンボルである蝶のタオルにくるまりながら、巨大恐竜の夢想をしていました。そのタオルに描くほどでっかい蝶がジャングルには今も羽ばたいているに違いないと夢見ながら。

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そんな事を思い出したのです。それも私とほぼ同じ年代の人が私と同じ若き頃に巨大バッタや、シマシマの蛇を二匹も目撃しているなん羨ましいと思った次第です。

現在ブラジルにいるのでもしかしたらまだチャンスがあるかもしれませんね!(^o^)





この写真は偽物かな? でっかいバッタ本当にいるかもですね?

 



というブログで見つけた写真です。 ブルネイのバッタで南米のものではありませんし、私が撮影したものでもありません。

さらに、今日見つけたものですが、日本にもでっかいバッタはいるようです。

ブルネイにくれべれば小さいですが、8センチってやっぱりデカイですよね!?



「虫取り散策記」 

で発見したのが↓の写真です。


















綺麗ですね! 触覚とか足の長さを足したら8センチ以上に見えるかもしれません。
さらに子供の頃に見たなら、30センチくらいに見えるかもしれませんね。
ビヨーンと飛んでいる姿を見てみたいものです。


シマシマの蛇は「さんごへび」と言うそうです。

 


森林にすむ。赤、黄、黒の帯が輪になってつらなるはでな体色は、 有毒であることを相手に知らせるための警戒色(けいかいしょく)。個体によっては黄色の部分がないものもいる。 赤色の帯には黒色の斑点が入ることが多い。頭部は黒く、中央を幅の広い黄色の帯が横切る。 おもにトカゲやヘビなどの爬虫類を食べる。毒はかなり強い。卵を産む

有名なコブラより毒が強いそうです!

日本でもペットとして「ニセサンゴヘビ」がかわれているそうで、姿は似ているけれども毒は盛っていないそうです。もしかしたら日本でみたというのはこのヘビの事かもしれませんね。

というわけで、ひさびさに子供の頃夢中になった、ヘビや昆虫の話になりました。
いまは、あまり出会いたくないですが

( ̄Д ̄;;


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2020/07/05

思い出の夜の京都 ー烏丸通から五条通あたりー


昨年2019年の12月中旬の動画です。
iphone11で撮っています。夜ですが結構明るく撮れていますね。

京都の町は大学生時代に8年住んでいたので、来るたびに懐かしい気持ちと、変わったなー
と感じるところがあります。でも古都京都の町は独特の趣があっていいですね。
寒い季節でしたがその寒さの感じも懐かしいような気がしました。

 京都での研修が終わり最後の京都の夜を楽しい飲み会が終わった後に京都駅から烏丸五条のホテルまで歩いて帰っているところを撮影しています。途中京都のシンボル京都タワーと東本願寺の御影堂門が特に綺麗に写っています。
 何やら呟きながら歩いていますが、自分自身改めて聞き直すとあー そんなこと思ってたなー と記憶が蘇ります。ほかの人にはわかりにくいことを話しているかもしれませんが、私自身の記念にもなるのでそのままあまり解説も入れずに流しています。
時が経つと、2019年のこの映像も貴重な映像になるかもしれません。。。。

それにしても昨年の久しぶりの日本一人旅は久しぶりの友人にも会えたし、ハワイ、アメリカの開教使とも親睦を深めたし、お西の今井先生の計らいで西本願寺の立派な会館でお話をしてご門徒さんと親睦を深めることもできましたし、本当にありがたいことでした。

それでは一緒に散歩に付き合ってください。




そのほかの同じ時期の京都での動画はこちら 京都の智探閣寺 (チタン閣寺) https://youtu.be/Z3aJbASa4HE 京都・東本願寺の周りを仏教書を探しながらお散歩した https://youtu.be/P6nxMkJxSzs 京都・東本願寺境内参拝に行ったら銀杏の木の下がインスタ映えスポットになってた https://youtu.be/St9CTBJKMGI
紅葉の時期の東本願寺、渉成園〔しょうせいえん〕 -枳殻邸〔きこくてい〕にて https://youtu.be/hA4pUpANRyw
京都本山 東本願寺御影堂門に登る https://youtu.be/G29Y6MHZMto
東本願寺で研修、まずはホテルとお朝事へ 2019年12月上旬の頃の映像です。ブラジル散歩(サンバ・サンポシリーズ)日本編 https://youtu.be/IVH0csSueD0



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2020/07/03

アントニオ猪木の言葉の真相「この道をいけばどうなるものか」

2009年09月07日 08時36分06秒 アメブロ

私は今、ブラジルのマリリア市に住んでいますがアントニオ猪木はここマリリア市の近郊に住んでいました。日本から来た力道山がその才能を見初めて日本へ連れて行ったそうです。

マリリアのお寺の会長の中村善雄さんは猪木の家の隣に住んでいたそうです。




 先日ご門徒さんに源信僧都とその母親のエピソードについて質問を受けた。
調べているうちに、源信僧都の子供の頃の名前と、一休禅師のそれが全く同じ、「千菊丸」であることがわかって、びっくりした。

一休禅師つながりで、検索結果に猪木の引退試合の言葉で有名になった。
「この道をいけばどうなるものか」のエピソードが出ていて、さらにその隅に清沢哲夫 が原本と書かれていてビックリ!


 それでどんどん検索したら、猪木のこの言葉は一休禅師の言葉として流布していたが、実は清沢哲夫の『無常断章』の中に記載されているということがわかって驚いた。

なぜなら私はこの本を高校か大学のとき読んだからだ。
その本は実家にあった。
でも、この詩の事はまったく覚えてなかった(-。-;)



私は清沢哲夫さんに何度かあっている。しかも親戚にあたる事を親から聞いてかなりビックリした。

 清沢哲夫さんに初めてあったのは大学生のクラブの合宿で石川県の明達寺に行った時の事だった。私が入学していた大谷大学のもと哲学科の先生だったということもあり、その当時清沢満之批判が盛り上がっていた時期でもあり、私の入っていた「伝道部」はたぶんそれをテーマにして、暁烏哲夫さんのお宅明達寺に行ったはずだ。

 お会いして白髪で、老齢に達していたけれど体が大きく迫力があったのを覚えている。
ゆっくりと話し、ゆっくりと迫力のある風貌の先生が私にある質問をされた。

先生のお部屋でお茶を頂いている時に哲夫さんが話し始めた。
「いいですか、これから一つの話をします。 よく聞いてこたえて下さい。 これは真剣勝負ですよ。」
「ここに洗面器がある。そして水が張ってある。それは丁度顔を付けると息が出来なくなるくらいの分量で、あなたはその洗面器に顔を浸す、鼻も口も浸かるくらいに・・・・
 十秒が過ぎ三十秒が過ぎ、一分経つ。 それでもしゅう君は洗面器に顔を浸している。
さらに時間が経つ・・・・・ そして二分たつ、 それでもそのまま付けている
それが〇〇○です。

この話をどう思う?これで話はおしまい。と言われた。
全くわからず、今思うと禅問答のようなお話でちんぷんかんぷんという体で哲夫さんの顔を見ていると。
にこっりと笑って
「しゅう君。 いま時代が武士の時代だったらあなたの首はもう胴体についてないよ。 そのに転がってる」
・・・だから真剣勝負だと言ったでしょう。
といわれて、私はなんとも答えていないのに首が落ちてると言われてたので。

「わたしなら、洗面器から顔を上げますけれど・・・」
と言ったら。

「死体が話しとる、もう首は落ちてる」
といわれた。   \(*`∧´)/(怒)

先生は野武士のように迫力のあるので、ムッとした顔も態度も出来ず、せめてもの抵抗でムッツリしていたら。
「しゅう君、まあゆっくり考えてくれればいい」
と言ってくれたように思う。
ちなみに 「それが    です」の白紙の部分を思い出せない。たぶん「仏教」か「生死」かだと思う。
洗面器の話は哲夫さんの本かコラムにも載っていたと思うので、わかったら報告します。
しかし未だに洗面器の話で何が言いたかったのか。わからないままです。

 仏法が身にしみてわかるかわからないかそういう責際が実は只今いつも突きつけられている命を頂いているのだ、ということかな? どうでしょうか?皆さんはどう思われますか?




 哲夫さんは清沢満之 の孫、清沢家のお寺を継いだが、ご門とお寺の経営で対立し、寺を出る。一時親子ともども掘建て小屋ぐらし、托鉢で暮らしていた。その頃の事が本に載っている。この道を・・・ の詩は仏教の教えだけではなく、まさに本人の実体験がこもっているから猪木の心も打ったし、またこれを聞いた人々の心にも届いたのだと思います。

 それにしても猪木はどうしてこの詩を知ったのでしょうか? ブラジルへの日系移民の中には沢山の真宗門徒がいます。その中には暁烏敏や清沢満之の教えの薫陶を受けた方々もおいでになります。

もしかしたら、猪木の両親かおじいちゃんおばあちゃんは真宗のご門とだったのかもしれません。 しかし、まさか猪木の故郷の町近郊にこうやって住むことになるとは思ってもいませんでした。不思議なものです。



それでは最後に両氏の詩を掲載します。
 
道(猪木バージョン)

この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けば分かるさ


道(清沢哲夫 正式バージョン)

比の道を行けばどうなるのかと危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
ふみ出せば
その一足が道となる
その一足が道である
わからなくても歩いて行け
行けばわかるよ








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