2024/01/29

隔絶の小島に寄せる荒波を包んで夕陽西方に帰す 田端明 「今週のことば」中日新聞より  尾畑 文正

隔絶の小島に寄せる荒波を包んで夕陽西方に帰す


田端明



今週のことば 尾畑 文正


11月、4年ぶりに岡山県瀬戸内市の国立療養所長島愛生園を訪問した。現在、愛生園在住者は95 人、平均年齢は90歳と聞く。かつて酒を酌み交わした方々の多くは 命終された。前掲の言葉は、三重県出身の田端明さん(1919~ 2017年)の歌である。 

 田端さんは21歳で発症し、強制隔離を掲げた「らい予防法」(96年廃止)により、故郷との関係を断たれた。それ以来、「隔絶の小島」から、園外の私たちに向かい共生を呼びかけ、人間回復を願い続けた。らい予防法の廃止から7年のある日、田端さんから電話があった。「1分1秒でも長生きして、ハンセン病を正しく伝えたいと歩んできたけど、まだまだやなあ」と言われた。それが最後のメ ッセージとなった。

 田端さんの悲しみは「天井のない監獄」と呼ばれるパレスチナ自治区ガザで慟哭(どうこく)する人々の姿と重なる。世界は、人を踏みつける不正と矛盾にあふれている。


(同朋大名誉教授)


田端明 『石蕗の花咲く: 詩歌に刻むハンセン病回復者の人生』

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Envolvendo as ondas bravias que se dirigem à ilhota isolada, o sol poente retorna ao oeste


Por Akira Tabata


Palavra da semana 

por Bunsho Obata


Em novembro, após quatro anos, visitei o Sanatório Nacional Nagashima Aiseien na cidade de Setouchi, prefeitura de Okayama. Atualmente, há noventa e cinco residentes em Aiseien, com idade média de 90 anos, soube eu. Muitos dos que uma vez compartilharam bebidas comigo já faleceram. As palavras acima são de um poema de Akira Tabata (1919-2017), nascido na prefeitura de Mie. 

Tabata, que manifestou sintomas aos 21 anos, foi isolado compulsoriamente sob a "Lei de Prevenção da Lepra" (abolida em 1996), perdendo o contato com sua terra natal. Desde então, da "ilhota isolada", ele continuou a apelar por coexistência para nós, fora do sanatório, desejando a recuperação humana. 17 anos após a abolição da lei, Tabata me telefonou. "Vivi cada minuto e segundo querendo viver mais para transmitir corretamente sobre a Hanseníase, mas ainda há muito a ser feito", ele disse. Essa foi sua última mensagem.

A tristeza de Tabata se assemelha às dos que choram na Faixa de Gaza, na Autoridade Palestina, chamada de "prisão sem teto". O mundo está cheio de injustiças e contradições que pisoteiam as pessoas.


(Professor Emérito da Universidade Dōbō)


この文章には、深い悲しみと共に、人間の尊厳と回復の力が込められています。隔絶の小島に置かれた田端明さんの体験は、孤独と絶望の中でさえ、人間の精神がどのように共生と理解を求め続けるかを示しています。彼の詩は、荒波に包まれながらも夕陽に向かって帰る、希望と再生の象徴として読むことができます。


田端さんの言葉、「1分1秒でも長生きして、ハンセン病を正しく伝えたい」という願いは、彼が直面した苦難を超えて、世界に対してより深い理解と共感を促すメッセージです。彼の経験は、パレスチナ自治区ガザの人々の苦悩と重ね合わせることで、世界中の不正と矛盾に立ち向かう人々の普遍的な闘いを反映しています。


この文章から、人間の精神が直面する試練と、それにもかかわらず保持できる希望と尊厳の力を感じ取ることができます。田端明さんの生涯と彼の詩が、困難な状況にある人々に対する理解と共感を深め、世界の不正に対してより良い理解を促すきっかけになることを願います。


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2024/01/23

人間、この問われるもの  - ガブリエル·マルセル - 今週のことば - 尾畑 文正 ポルトガル語翻訳あり

中日新聞より


人間、この問われるもの  

- ガブリエル·マルセル - 


今週のことば -

尾畑 文正


 幼い頃の正月はただ待ち遠しかった。青春の正月は「異議あり」と危機に立ち向かった。壮年の正月は危機を傍観し、老年の今は危機の真只中にいると痛感する。 気候変動が世界を覆い、ロシアのウクライナ侵攻は泥沼化。イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃は大量殺人の場となる。ミャンマーでは軍事政権が民衆の声を抑える。いずれも「強きもの弱きを伏す」(釈迦)危機である。

 足元では、沖縄の民意を無視し、名護市辺野古での新基地建設が進む。昨年暮れ、国会審議もなく武器輸出緩和との報道にも接した。日本は憲法で武力なき平和を世界に宣言した。武器輸出は国是に反する。日本の危機である。

 仏教では人間を「機」と表す。機は法(真理)との関係で人間を捉える言葉である。そこからいえば、危機とは危ない存在、あるいは存在が危ないとなる。哲学者マルセルの論題通り、今、人間それ自体が危機として問われている。


(同朋大名誉教授)





Ser humano, esse ser questionado 

- Gabriel Marcel - 


A palavra desta semana 


 Bunsho Obata


Quando era criança, eu apenas ansiava pelo Ano Novo. No Ano Novo da minha juventude, enfrentei crises com um "objeção". Na minha maturidade, observei as crises à distância, e agora na velhice, sinto-me profundamente no meio delas. 

As mudanças climáticas estão cobrindo o mundo, e a invasão da Ucrânia pela Rússia se tornou um atoleiro. Os ataques de Israel à Faixa de Gaza, na Palestina, tornaram-se um palco de massacre em massa. Em Mianmar, o regime militar suprime a voz do povo. Todos são crises de "o forte dominando o fraco" (Buda Syakyamuni). 

Aos nossos pés, a vontade do povo de Okinawa é ignorada, e a construção de uma nova base em Henoko, Nago, está avançando. No final do ano passado, também me deparei com notícias de relaxamento das exportações de armas sem debate parlamentar. O Japão declarou ao mundo uma paz sem força militar em sua Constituição. A exportação de armas é contra os princípios nacionais. É uma crise para o Japão.

No Budismo, o ser humano é expresso como "máquina". Máquina é uma palavra que captura o ser humano em relação à ensinamento Buda (verdade). Portanto, uma crise pode ser vista como uma existência perigosa ou como a existência em perigo. Conforme argumentado pelo filósofo Marcel, agora, o próprio ser humano é questionado como uma crise.


(Professor Emérito da Universidade Dōhō)





視点


この文章では、人間の生涯を通じて異なる時期における危機の認識と対応が述べられています。また、現代の様々な社会的·政治的問題が「強きものが弱きを伏す」という形で提示され、これらの問題が仏教の「機」の概念、特に法(真理)との関係での人間の位置づけと結びつけられて、ここから、「人間それ自体が危機として問われている」という考え方をどのように受け止めるかを考察しています。


Este texto contém profundas reflexões sobre a existência humana e a crise, demonstrando considerações sob perspectivas religiosas e filosóficas. Especificamente, a expressão "humano = máquina" do ponto de vista budista sugere a relação entre a verdade no Budismo e o ser humano, carregando um significado profundo. Além disso, aborda a situação mundial atual, oferecendo insights sobre como estas circunstâncias se relacionam com os ensinamentos do Budismo.




  仏教における「機」という概念は、人間が真理に対する自己の位置を自覚し、それに応じて行動する能力を含意します。

現代の危機は、人間がこの能力を失った、あるいは誤用していることを示唆しているかもしれません。つまり、人間は自らの行動がもたらす結果に対して深く自省し、より良い選択をする「機」を持っていますが、現在はその機会を逸していると言えます。 現代社会における多くの危機、例えば気候変動や政治的抑圧などは、人間の欲望や無知、権力の乱用に根ざしています。これらの危機は、人間の倫理的·道徳的な側面が問われている状況を反映しています。仏教の教えに照らすと、これらの問題は「悪人正機」の概念に通じるものであり、つまり、人間それ自体が危機に陥っているという自覚が、真の救済への道を開く機会となる可能性があります。この文脈では、現代の危機は、人類が自己の行動を見直し、より持続可能で平和な社会を築くための教訓と変革の機会を提供しているとも解釈できます。仏教の観点から、これらの危機は煩悩や無明から離れ、慈悲と智慧をもって行動する機会となり得るのです。


以上のように、この文章は、個々人や社会全体が直面している危機を、仏教の教えと関連付けながら深く考察し、自己と社会の変革のための「機」としての可能性を示唆しています。



「悪人正機」の教えは、人間が自己の罪や煩悩を深く自覚することが、真の救済への道であると説いています。これは、自己の不完全性を認識し、自力での救済ではなく、阿弥陀仏の願力に依ることを意味します。この教えは人間が直面する危機の本質と深く関連しています。


現代社会における様々な危機は、人間の欲望、無知、権力の乱用といった、我々の内面に根ざした問題から生じています。これらの危機に対峙することは、我々自身の「悪人」としての性質、すなわち無知や誤った欲望に気づき、それを乗り越える機会を提供します。この意味で、「悪人正機」の教えは、個人としても社会としても、現在直面している問題を超えるための道を照らしています。「悪人正機」という言葉は、現代の危機においても深い意味を持ちます。これは、自己の不完全性を認め、より良い道を歩むための変革の機会として危機を捉えることを促します。真の変革は、自己の内面から始まり、自らの限界を認識し、それを超える呼びかけに応えることから生じるのです。


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2024/01/22

「夢の中のタイムトラベル - 懐かしの大学と予期せぬ再会」 ブラジル散歩





YouTube「ブラジル散歩」で夢の話をしています。




「昨晩、私は早めに眠りについて、朝早く目覚めた。ふとした瞬間、久しぶりに大学時代へとタイムスリップしたような夢が訪れた。

夢の中で、私はかつて通っていた大谷大学の尋源館にいた。そこでは、すでにこの世を去ったはずの白土先生とリモートでの発表を控えているという、不思議で緊張感あふれるシナリオが展開されていた。私は、いつも通りの予習不足に焦りながら、尋源館へと急いでいたのだ。

道すがら、三晴先生とすれ違い、「ボンジーヤ!」と軽妙な挨拶を交わす。先生の嬉しそうな返事が、夢の中でさえも心地よい安堵感を与えてくれた。

尋源館の受付に到着すると、そこには桜庭さんが!彼女に「久しぶりですね」と声をかけ、握手を交わしたその瞬間、驚くべきことに、彼女は実はアサイの門徒だった。まるで夢の中の夢、現実と幻想が交錯する瞬間だった。

そして、そんな不思議な出来事の連続の中、突然夢は終わりを告げた。

この夢は、何を意味しているのだろうか?大学時代の懐かしさ、そして予期せぬ再会。夢と現実の狭間で、私は今も思いを馳せている。」

実は日々勉強していない時に見る定番の大学時代の夢なのであった・・・・・

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