2024/05/02

南米佛教の先驅者 岡田英定氏 大舘誓

南米佛教の先驅者

岡田英定氏

大舘誓

 昨年八月南米同行から本山へ特使 派遣を要請したのが發端となり、途に九月末に至り本山より南米開教事情視察を命ぜられた。御法主台下の特別の思召で御本尊と御消息とを下附された。尚その上南米同行から先年來御法主台下及裏方の御渡伯招請運動が起きて居たので、その準備のため十一月中旬バークレーを出發空路ニューヨークを経て約八千哩を翔破してブラヂル國サンパウロ空港に無事到着したのは炎暑の激しい十一月二十六 日であつた。往路羅府(ロサンゼルス)に立寄った時、加州(カリフォルニア州)大學教授足利演正師から 南米に念佛行者岡田英定氏のある 事を聞いた。氏は二十余年前渡伯 する以前から真宗のみ教を深く信じ、渡伯後は益々熱心に教化して居らるゝ、との事で、自分もかゝる有難いお方に是非お会いしたいも のと思つた。
 着伯後ブラヂル第二位の大都市サンパウロに、同行の熱願によって南米本願寺を創建し近き將來駐在開發使を招く事に議決し、開教本部を設けて本由の正式認可を得て本格的南米開教の幕を切って落したのであつた。御法主台下より頂 いた御本尊と御消息とを捧持してバラナ。ソロカバナ。バウリスタ。 ノロエステ各鉄道沿線を町から村へ、村から村へ、或時は山間僻地まで巡講した。何分北半球と南半球とは気候が全然反對である。自分は十一月から三月迄の降雨期に着伯したのであるが、今年は割合に降雨が少く晴天の日が後くも炎烈続くが如く全く紅塵万丈の惡道路に随分悩まされた。交通狀態、衛生狀態は完全の域に達して居ないので全くの難行路であつた。四五百哩の處は同國自慢の航空路を利用した。全くみ佛と旅寝々々の 念佛行路であったのである。巡講の行程約五千哩、延回數百八十回に及んだが、開拓先亡者追悼法要 戦歿英霊追悼法要を勤め御消息披露、宗務総長暁烏欲師の在伯同朋へのメッセーヂ傳達、複演、青年講話、信仰座談會、御示談も開き深更まで蚊の群を追いつゝお同行と語り明した事は数限りなくあつた。此の巡講に於て御兩方様御渡伯準備の事を懇談したが何處に行つても快よく承諾してくれた。
 此の旅の先々で豫て羅府で足利教授からその高徳を聞いて居た岡田英定氏の御遺徳を細々と聞かせて頂いた事は誠に大きな収穫であつた。氏の業績は大きく強化の 跡は廣く、そして深いのに敬服した。全くの念佛行者で南米の妙好人、南米開数の先驅者と云っても決して過言では無い。自分は同氏より親しく法を聞かして頂き度いと思つて居たが、既に故人となつて居られた事は誠に残念至極であった。

 同氏は和歌山縣出身で大谷派門徒の家に生れ神戸高等商業學校(現在の商科大學)教授の要職に在つたが、大正十五年大いに志す所あつて開拓精神に燃えて家族同伴し渡伯されたのであつた。神戸高等商業學校在職時代より常時の知識階級が宗教無関心であつたに反して大谷派の耆宿で足利教授の實父足利瑩含師、蜂屋賢喜代師の御手厚い薫陶を受け途に入信して親鸞聖人のみ教を身を以って体験した熱烈な信仰家であつたのである。 遙々と一万二千理の波濤を越えて七十餘日の長航海を終えてブラヂルサントス港に御家族同伴して上陸された。上陸後一先づノロエステ線リンス驛近くバルボーサ耕地へ当事の渡伯の手続き上止むなく一介の農業移民として入植されたのであった。

 その當時一般在留邦人は布哇(ハワイ)北米の最初の移民が歩いたと同じ様に唯出稼根性一杯で、物質慾のみに走り唯働く一方で精神的教養に心掛ける者は極めて稀れで、宗教なんか無関心のものが大部分であつた。唯一家全部渡伯した一部の人 が日本に居る時からの先祖の宗風を守っつて佛像や先祖の位牌を飾り朝夕禮拝して居た程度であつた。 此は明治四十四年第一回移民着伯以来、日伯移民條約によつてカトリック教が國教として偉大な勢力を以って社會民衆に君臨して居たので、佛教開教使も基教牧師も正式に宗教家として渡航を禁ぜられて居たので精神的滿足を得る方法も無く又自然に宗教無関心になるといふ誠に氣の毒な狀態であったのである。

 唯當時在留邦人は日本から同伴した子女や同國で生れた二世に對する教育方面には関心を持つて居た。同國の官立學校は勿論ブラヂル語に依る教育であるが現今とても同じ様であるが小學一年生から四年生迄しか義務教育制度が無かつた。それで母國語を忘れない様にする計りでなく知的教育を補充 して大いに向上せしめる爲めに、 父兄の力で日本語學校を方々に建設して通學せしめたのであつた。 此には日本の出先官憲や日本の文部省も非常に力を入れて講師や指導者を送ったり、或處では建設資金さへ下附した處もあつた。又強育普及会が創立され研究や奨励に力を注いで居た。

 岡田氏は此の会の懇望(こんもう)によって購師として各植民地を巡回して教育奨励に大いに努力せられ、その功績は非常に大きいものがあつた。 然し同胞間には真の落付きのある宗教的方面は空白状態であった。 僅かに日本で少し經文を讀誦し御法話の出来る程度の人があると、 その方に頼んで法事や葬儀を行つて貰ふ狀態であつた。況んや深く信仰の世界を語る人とてなく一般の邦人は求めようともしなかつたのである。岡田氏は此を見るに忍びずして自ら各地に赴いて親鸞聖人の他力本願を語った。當時は此の尊い体験の告白にも馬耳東風の人が大部分であったが、氏の熱烈な捨身說法に耳を傾けるものが段々増加して来た。氏は常に遥々日 本から御伴して来た畏れ多くも明治天皇の御名のある如来様の御絵像を各地に捧持して、自らは僧の風姿を決してせず唯々洋服の上に御法主台下御下附の輪袈裟を掛け恩師足利瑩含師より頂いた聖典を持ち歎異鈔中心に淳々と法を説いて廻った。年月が経つにつれ渡伯前多少聽聞して居た者や全然無關心であつた者も、漸次(ぜんじ)氏の倦まず撓まざる傳導に敬服し聽聞する様になつて行つた。當時熱烈に法を求め途に入信して岡田氏の隨行まで志す中年の方があつた。此れが後年佛門に入りブディストダイゼスト誌に南米の親鸞とまで賞掲されるに至つた廣島縣出身伊藤空眞氏である。伊藤氏は岡田氏に隨喜渇仰し師事すると同時に自らも當時開拓に余念なかった平野運平氏を主班とする平野植民地及近郊の人々に法を語り法雨をそそいで行った。
 後年岡田氏の教化がノロエステ線及各線一帯に亘り浸み込んで行つて、氏はサンパウロ市に移転さるるに當りノロエステ線カフエランジャ驛近くトレスバレスの地に同行の懇念(こんねん)に依って一宇が建立せられ、此に伊藤助一氏(後の空眞)を 住せしめられた。伊藤氏は此の一宇の堂守となつて居られたが後年サントス港に上陸した計りの廣島縣出身で本派に借籍のあつた井上白道氏を住職として迎へ、井上氏他界後伊藤氏は住職代理を勤められた。此の一宇こそ終戦後約五百コントス(邦貨五百万圓)を投じて完成され全伯隨一の伽藍となつた現在の光明寺である。伊藤氏は七十二才の老軀を押して本年訪日し、正式に得度を受けて開教使に補せられたのであつた。

 岡田氏の教化は遂に寺を建て信を育てるに至ったと云へよう。 其後岡田氏はノロエステ線一帯の同行達に惜しまれつゝ遂にサンパウロ市に移った。氏はサンパウロ市に居を定め日本語普及の為め巡講の傍ら有縁の地に真宗を説いた。氏の教化を受け篤く他力本願の教えを頂いて居る同行達の追憶談によると、同行より一宇を建立せん事を度々申出たが氏はれを聞き入れず、飽迄一居士一念佛行者として進んで行かれた。各處で催された報恩講や家庭法話会は常に滿堂で あつた。當時カトリック教は国教として絶大な勢力があったが、 田氏の言動にしては格別厭迫(えんはく(えんぱく))を 加へる様な事はしなかったそうで ある。

 氏は又同行達の不便を見るに忍びず全く新しい型の真宗勤行聖典を編纂出版した。片假名の横書きであつて、いつも横書きの葡語を見つけて居る同行達への深い思ひやりであろう。十餘年前の出版聖典に佛教聖典数篇入れてあるのも新味があった事と思く。自分は未開の地で手垢のついた聖典を見て尊く思った。又氏は着伯後地方教化の傍ら同氏の恩師の一人たる蜂屋賢喜代師の信仰月刊雑誌成同を相當多量に送附を受けて同行に配布して信心のおすすめとせられ太平洋戦勃發迄続けられた。此は岡田氏の法徳を遥かに敬慕された大阪の製藥王武田長兵衛氏が、毎月相當な費用を投じて寄進された尊い報恩の行であつたのである。此が伯國開教史上文書傳道の嚆矢(こうし)と云へ よう。(つづく)

南米佛教の先驅者 岡田英定氏(讀)
大舘誓

 此の岡田氏の法態は年月と共に擴大(かくだい)し深化して、お念佛同行として 育て上げられたものは無限りなくある。
終戦後、憲法は改正されて信教の 自由が認められ、明治四十四年第 一回移民渡伯以來一人の正式な開教使も居ず、勿論、寺とてもなく蔭の如き存在であつた佛教、特に真宗が、公然と社会に浮び出て、 篤信の同行によつて御法の取持ちをなす様になり、新寺院も建立せ らる、に至つたが、これは全く岡田氏の不退轉の教化がその原動力 となり推進力となったといつても決して過言ではない。氏は全く南米開教、特に真宗發展の為めの大恩人、先驅者として、滿腔の感謝を捧げるものである。自分の過去六ヶ月間滞伯中の色々の経験から すれば、あの交通機関の不完全な衛生狀態も思はしくない土地で、常時は餘程文化の低い生活に甘んじて居た在留邦人間に、困苦缺乏(こんく けつぼう)に堪えて、よく名身命を賭して教化せられたものと、岡田氏の信仰力に感服せざるを得ない。信は力なりとは、全く氏の生活態度を 云ふものであらう。

 岡田氏は、日伯交断絶後、伯國官憲の指命によつて、止むなく夫人を同伴し子女を残し、又多年育て上げたお同行と別れて、常時の日本官憲と共に交換船で歸國された。當時既に在留邦人の旅行の自由も束縛されて居たが、少数の同行は涙と共にサントス港から同氏夫妻を見送った。交換船で歸國されたことを聞いた奥地の同行は、 泣いて別れを惜んだといふことである。

 同氏夫妻は歸國後、佐賀縣に疎開して居られたが、遂に病を得て往生の素懐を遂げられたとの事である。現在生存して居る岡田氏お育ての同行で現在開教本部顧問をして居る七十三才の富山縣出身の高田良藏翁から詳しく模様を聞き、 益々岡田氏に對する敬慕の念をあつくした次第である。

 同氏は、渡伯後數年にして先夫人に先立たれたが、六人の子女の事を思ひ、一度歸國して現夫人と再婚し同伴し再渡伯せられたのである。現在の岡田未亡人にも二人の子女があり、共々に成長して立派な農業家として成功して居られるのもあるし、又他家に嫁(か)して良き母となつて居られるのもある。岡田未亡人は二年前、子女に呼び寄せられて、現在サンパウロ市で静 かにお念佛の生活を送って居られるのである。    (完)



(掲載の写真は、交換船で歸國前の岡田氏夫妻のスナップで、 篤信の同行、高田良藏翁の秘蔵のものである。)

以上のお話は、今年ブラジルに来てくださった、現在ニューヨークで開教をしている、名倉幹(なくら みき)先生が送ってくださった資料を書き起こしました。先生ありがとうございます。

静坐会を開いておいでですので是非ご参加ください。


 ・静坐会:毎週水曜、土曜朝9時から1時間(日本時間)
 このリンクをクリックしてご参加ください。
https://us06web.zoom.us/j/6270065912?pwd=MUZmTVg0SHFFQVA4aGd1em1ZV0Vydz09
ミーティングID: 627 006 5912
パスコード: kikou

静坐とは、腰をしっかり立てて物理的に最も安定した姿勢を作り、長く鼻から息を吐き続け、同時に臍下丹田に力を入れていく坐・呼吸法です。座布団、または椅子に腰掛けて行います。毎回丁寧にお伝えします。

 会費:なし


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2024/04/25

「ただいま工事中・お寺に車椅子用の通用口がつきます」









「ただいま工事中・お寺に車椅子用の通用口がつきます」


 この春、私たちのお寺では重要な改修工事が行われています。4月中旬に始まったこの工事は、すべての訪問者が安全で快適にお寺を訪れられるように、車椅子用の通用口を新設するプロジェクトです。このプロジェクトの発端は、お寺の創設時初代のお坊さん伊原善行僧侶のひ孫である妙子さんの強い要望と、彼女からの寄付がきっかけでした。

 妙子さんは、お寺がすべての人々にとって開かれた場所であるべきだという信念を元に、お寺のアクセシビリティの向上に勤めてくださる提案をしてくださったのです。彼女の寄付は貴重な第一歩となりましたが、見積もりを取ってみると予想外に費用がかかることが明らかになりました。この問題を解決するために、地域社会が、ご門徒と共に一丸となって支援を提供しました。

 具体的には、お寺の敷地内で「ピザフェスタ」というイベントを開催しました。このイベントは、地域の人々が集まり、美味しいピザを楽しみながら寄付を募るというものでした。参加者は皆、お寺を支持し、工事資金の足しになるために心を一つにしました。このイベントの成功は、お寺を大事に思うご門徒と地域社会の団結力の証となり、プロジェクトの実現へ大きく貢献しました。

 工事の期間は約1ヶ月半を予定しており、5月末にはすべての作業が完了する見込みです。平日の工事による騒音は避けられませんが、週末は工事を行わず、お寺は静かな状態が保たれます。この配慮は、お寺としても大切な行事が滞りなく行えるようにするための重要な措置です。

 新しい車椅子用の通用口の完成により、車椅子ユーザーや歩行が困難な方々も、誰もがお寺の美しさと平和を同等に享受できるようになります。また、この改修プロジェクトは妙子さんの初期の寄付と地域全体の支援によって実現したことを、私たちは決して忘れません。お寺として、これからも全ての人々が訪れやすい環境を提供していくことが私たちの使命です。

 この改修が完了する日を心待ちにしており、引き続きのご支援とご協力を心よりお願い申し上げます。


ポルトガル語に翻訳

"Estamos em construção: um novo acesso para cadeirantes será adicionado ao nosso templo"

Nesta primavera, nosso templo está passando por importantes obras de reforma. Iniciado em meados de abril, o projeto visa criar uma entrada acessível para cadeirantes, garantindo que todos os visitantes possam acessar o templo de maneira segura e confortável. O projeto foi motivado pelo forte desejo de Myoko, a bisneta do primeiro monge do templo, Zenko Ibara, e por sua doação.

Myoko acredita que o templo deve ser um lugar aberto a todas as pessoas e, com base nessa crença, propôs melhorias na acessibilidade do templo. Sua doação foi um valioso primeiro passo, mas orçamentos revelaram que os custos seriam mais altos que o esperado. Para resolver esse problema, a comunidade local, juntamente com os fiéis, uniu-se para oferecer apoio.

Especificamente, um evento chamado "Pizza Fest" foi realizado no terreno do templo. O evento reuniu pessoas da comunidade para desfrutar de deliciosas pizzas e arrecadar doações. Todos os participantes apoiaram o templo e se uniram para ajudar a financiar a construção. O sucesso deste evento demonstrou a união entre os fiéis e a comunidade local, contribuindo significativamente para a realização do projeto.

A construção está prevista para durar cerca de um mês e meio, com conclusão prevista para o final de maio. O barulho durante a semana é inevitável, mas não haverá construção nos fins de semana, mantendo o templo em paz. Esta consideração é essencial para garantir que as importantes cerimônias do templo possam ocorrer sem interrupções.

Com a conclusão da nova entrada para cadeirantes, pessoas em cadeiras de rodas ou com dificuldade de locomoção também poderão desfrutar igualmente da beleza e paz do templo. Além disso, nunca esqueceremos que este projeto de reforma foi possível graças à doação inicial de Myoko e ao apoio de toda a comunidade. Como um templo, é nossa missão continuar proporcionando um ambiente acessível a todos.

Estamos ansiosos pela conclusão desta reforma e continuamos agradecidos por seu apoio e cooperação contínuos.

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2024/04/19

「哀れ、生き物は互いに殺しあう」 今週のことば 尾畑文正 過去現在因果経 (意訳) 中日新聞コラムより ブラジルポルトガル語翻訳付き

「哀れ、生き物は互いに殺しあう」




今週のことば


尾畑文正


過去現在因果経 (意訳)


 この経典は釈迦が後に国を捨て 出家する動機を「樹下の思惟(しい)」として語る。ある日、少年釈迦が父王と閻浮樹(えんぶじゅ)の下で休息していた時、農作業で掘り起こされた虫を鳥が啄(ついば)むのを見た。経典の原文は「互いに相吞食(あいどんじき)す(食べる)」と あるが、意は「殺しあう」である。 その姿に少年は深く悲しみ、その場に留(とど)まり、樹下で瞑想(めいそう)する。


 やがて仏陀(ぶっだ)(目覚めた人)となる少年が自らも含む衆生の弱肉強食の現実に触れ、「生きるとは何か」の問いを抱えた場面である。

  少年が見た互いに殺しあう衆生の現実は現在、戦争のかたちで世界を覆っている。日本はどうなのか。憲法で不戦を誓い、武力なき平和を掲げながら、戦争の悲しみを忘れたかのように、武器輸出を閣議決定している。


 想像してみよう、戦闘機で命奪 われる人々の叫び、瓦礫の下で殺された命を。武器輸出で平和は創れない。少年の悲しみは今の私たちの愚かさを問うている。



(同朋大名誉教授)





"Piedade, os seres vivos matam-se uns aos outros"


A palavra desta semana


Por Bunsho Obata


Tradução interpretativa do Sutra das Causas e Condições Passadas e Presentes


Este sutra relata como o futuro Buda, ainda jovem, veio a renunciar ao seu reino e tornar-se monge, movido por uma reflexão sob uma árvore . Certo dia, enquanto descansava sob a árvore Jambu com seu pai, o jovem Siddhartha observou pássaros bicando insetos que foram desenterrados durante o trabalho agrícola. O texto original do sutra usa a frase "devorar uns aos outros", mas o significado é "matar-se uns aos outros". Profundamente triste com essa visão, ele permaneceu no local e meditou sob a árvore.


Eventualmente, o jovem que se tornaria o Buda (o Iluminado) confrontou a dura realidade do mundo, onde os fracos são presas dos fortes, levando-o a questionar "o que significa viver". A realidade de seres vivos matando-se uns aos outros que o jovem viu, hoje se manifesta na forma de guerras cobrindo o mundo. Como está o Japão? Apesar de jurar não guerra em sua Constituição e defender uma paz sem armas, o país parece ter esquecido a tristeza da guerra, decidindo pela exportação de armas em reuniões do gabinete.


Imagine os gritos das pessoas sendo mortas por caças, as vidas perdidas sob os escombros. A paz não pode ser criada com a exportação de armas. A tristeza do jovem questiona a nossa atual tolice.


(Professor Emérito Doho da Universidade)


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上記のポルトガル語のテキストから重要な単語を10個選んで、それぞれの日本語訳を以下に示します。


1.Piedade** - 慈悲、哀れみ

2.Seres vivos** - 生き物

3.Matar-se** - 殺しあう

4.Sutra** - 経典

5.Rei** - 王

6.Monje** - 僧

7.Reflexão** - 思索、瞑想

8.Realidade** - 現実

9.Constituição** - 憲法

10.Armas** - 武器



重要な構文の解説


1."o futuro Buda, ainda jovem, veio a renunciar ao seu reino e tornar-se monge"**

   - 「未来の仏陀、まだ若い彼は、彼の王国を放棄し、僧侶になることなった」

   - この構文は、主語「未来の仏陀」に対して、二つの動詞「renunciar」(放棄する)と「tornar-se」(~になる)が使われています。これにより、彼の人生の重要な転換点が強調されます。


2."enquanto descansava sob a árvore Jambu com seu pai, o jovem Siddhartha observou pássaros bicando insetos"**

   - 「父と一緒に閻浮樹(えんぶじゅ)の木の下で休んでいる間、若いシッダールタは鳥が虫をつつくのを観察した」

   - ここでの「enquanto」(~する間に)は、ある行動が他の行動と同時に起こったことを示しています。この同時進行の構文は、物語のシーンに動きを加え、時間の流れを感じさせます。


3."o país parece ter esquecido a tristeza da guerra, decidindo pela exportação de armas em reuniões do gabinete"**

   - 「国は戦争の悲しみを忘れたようで、閣議で武器輸出を決定している」

   - 「parece ter esquecido」(忘れたようだ)は「parecer」(~のように見える)と完了形「ter esquecido」(忘れた)の組み合わせで、推測や可能性を表現しています。これにより、日本の行動に対する著者の批判的な視点が強調されます。


https://zh.wikipedia.org/wiki/閻浮樹


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「あなたたちは私たちがパスポートを持たされている現実を傍観している。 」 友人の言葉 今週のことば 尾畑 文正 ポルトガル語翻訳あり

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