2021年の妻のファビアの家族とのクリスマスの様子です。
一番下に動画もあるのでご覧ください。
孫のニコラスと妻のファビアです!かわいいですね!
それでは動画もご覧ください。
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「ブラジル・シュウちゃんねる」
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たいした風邪ではなかったのでよかったです。だいぶ回復したので、夕方散歩をしました。夕焼けが美しくって散歩して心洗われました。
やっぱり無理のない程度で散歩するのはいいですね! ブラジルの自然に癒されました。それではまたお会いしましょう! 来年は日本に行きたいな!
「ブラジル・シュウちゃんねる」
夢を見た。
大きな野外会場でブラジルの焼肉シュハスコの準備をしている。
たくさんの親族関係者がいる。そこにお西の僧侶マルコスさんもいて、軽く会釈をして挨拶をした。マルコスさんは間衣を着ているので、僕は「そうか!今日は矢野さんの法事だった」という事に気がついて、私も衣を部屋に取りに行った。途中高層のホテルの中間フロアに出て、自分の部屋にたどり着くまでに黒服のアテンドのチェックも入る厳しいホテルで自分の部屋になかなか辿りつかない。このままでは法事の始まりの時のお参りが出来なくなってしまうではないか!と焦ってくる。
そうこうしている内に宴会は始まっていて、私ももう間に合わないのでマルコさんにお参りの代わりを頼んだ。せっかく部屋に着いて衣に着替えたのだが戻ってきた時には宴も盛り上がっていてなんだか役目を果たせなかった自分が情けない。しかし遅れてきたにもかかわらず皆は何事もなかったように自然で、最後に挨拶の法話をしてほしいと依頼をされる事になる。
いつもの夢だったらあまりうまくお話することができずに焦って目が覚めるのだが、最近は夢の中で皆の前で喋っている場面が多いせいだろうか?なんだか上手くもないが、大きくぶれることもないお話をしてブラジルらししなんとなくの解散となる。
場面はまたホテルに戻る。大きなホテルは空港にそのまま接続しており、急遽小松の本光寺の支部ともいえる場所で法事が決まり、なぜか私が指名されていくことになった。いつもの夢なら行こうと思ってもたどり着けなくって困るところで目が覚めるのだが、今回の夢では2件法事が終わってホテルに戻ったら、クラスメートの女子たちと携帯のマッチングアプリで好みの人の顔から、その人間と同じような顔の人を次々とピックアップしていって。運命の人、もしくは人間の顔が人生にどう影響するのかという単なる恋愛アプリ以上の人類の系統を顔で明らかにしていく、本格的画期的なアプリで。私がその場にいる数人の女性の一人にぼくは君のような人がすごい好みだからあなたの顔で試してみたいと言ったら快諾してくれて、アプリが選び出したのは沖縄の方の女性だった。へー そうなんだ!とびっくりしている。私の奥さんのファビアは沖縄のおじいちゃん、おばあちゃんがルーツなのできっとそういうことだと夢が覚めた後にわかった。でも夢の中ではファビアとはわかっていない。
そこで、無料でマッチングアプリを使わせてもらったお礼にいくらか支払おうとして、そのアプリはいくらなの?と尋ねたら、2万5千円との返答にびっくりしたが、そのくらい本格的なアプリならそれはそうだよね! とか言いながら自分のお金が入ったボックスを開けていくらか払おうとする。 紙のボックスはお焼香の歓喜香のもので、その中にブラジルのお札と日本のお札が混じっている。結構入っている。その中から15000円を取り出し渡した。女の子は嬉しそうに受け取った。惜しい気もしたが、太っ腹な自分を見せたかったのだ。
そこで夢が覚めた。
お夕事を始めることになった。
ペドロ・エンリッキという青年が訪ねてきて仏教を学びたいという。聞くところによると11年間ネットなどで独学をしていたが、どうしてもお寺で直接学びたくなったのでネットで検索したらこのお寺がヒットしたということだ。
もう2回きている。これは珍しいことで一回来てまた今度来ると言って二度と来ない人の方が多いのだ。
でもそれでもいいと思っている。一生に一度のお寺参りの青年たちに出会うことは日本だとそうないだろう。
以上夢の話と、お夕事の話でした。
注 ※ おゆうじとはお寺の午後のお勤めのことです。写真は本当の私が勤めてるブラジルのお寺の法事の風景です。
いつもはYouTubeの動画の話をしているのですが。最近夢を覚えていることが多くなって、結構印象的だったので久しぶりに夢日記を書きました。夢日記をつけると相乗効果で、また明晰夢をみやすくなるというので、今後の趣味にいいかもと思っています。
「ブラジル・シュウちゃんねる」
コロナ騒動で世の中はまだ揺れています。昨年の秋のお彼岸はお勤めすることができませんでした。しかし今年は予防注射がほとんどの高齢者が二度打っている状況ということもあり、お勤めすることができました。ありがたいことです。
とはよく聞くことですが、それを実感させてくれたのが今回のコロナだったと思います。写真ではまばらに見えるかもしれませんが、45人くらいの方々がお参りに来てくださり、めいめいお供物を持ってきてくださり、それをお供えしてお勤めをし、その後仏教のお話を聞いて、そのあとお供物を皆でいただきました。
8月のお盆法要が30人くらいのお参りでしたので、ひと月でお参りされる方も増えたことになります。その時聞いたのですがブラジルでは70歳以上の人は3回目の予防接種が決まったそうです。
「ブラジル・シュウちゃんねる」
本日2021年9月6日午前5時頃、南米開教区開教使Ricardo Mario Gonçalves師がご逝去されました。師は1981年に得度され、1986年から現在に至るまで35年間、開教使として、また南米教学研究所の研究員として南米開教区における教化活動の中心となりご活躍いただきました。その活動は大谷派だけにとどまらず、今日ではブラジルにおける仏教研究においても多大な功績を残されております。
真摯に教えに向き合う師の姿勢、お念仏が中心の人生を歩まれたそのお姿は、私たちにとっても大切な道標でございます。
このたびの師のご逝去を悼み、ここに謹んでお悔やみ申し上げます。
上記のメールが監督部から昼に届く前から、各方面からリカルド先生がお亡くなりになったという情報が届いていました。以前から体調が悪く入院したが回復している、コロナの陽性だったが回復しているという話が届いていたので、非常にショックでした。そのままいつもの通りオンラインの朝のお勤めをしました。その朝の蓮如上人の御文は「疫癘(えきれい)」の御文でした。
先生はブラジルの国立大学の最高峰であるUSP大学の歴史学の教授でもおいででした。
しかし、それ以上に10代の頃より日本文化に傾倒し、日本仏教を学び、自らも僧侶となり、多くの経典や仏教書を翻訳して、ここ南米の地に仏教、特に浄土真宗の他力念仏の教えを広めた第一人者でした。日本語は日本人よりも難しい漢字を読むことができ、当然、英語も堪能でした。まさに南米に生きる三蔵法師そのものの偉業を成し遂げて、しかも現在まで現役で活躍なさった方なのです。
おそらく先生のポルトガル語の仏教書は今後日本語にも翻訳されるのではないかと思われます。またYouTubeに先生の法話がいくつも上がっているので見ることができます。それも今後翻訳されると思われます。
先生の偉業は日本仏教の翻訳にあります。日本仏教とはいえ、中国の漢文の経典を用いつつ熟成されたものですので、中国語と日本の文化のバックグランドを読み込んだ上で、サンスクリット文献、また諸外国で翻訳されている主に英語の情報も取り入れて、ポルトガル語に訳しておいででした。ポルトガル語はカトリックの宗教用語が詰まっているので、例えば信心とか信仰という言葉をそのまま翻訳するとカトリックの用語の信心、信仰と誤解されてしまうので、工夫を凝らして仏教の国を超えて伝わってきたそのエッセンスを如何に訳するか? という超人的な仕事をしてこられました。
私は今だにポルトガル語もほぼできず、またそれでは日本語での仏教をマスターしているか? と問われたら困ってしまうような者ですが、それでも先生にお会いして、サンパウロでも先生の講義を(もちろん99%ポルトガル語ですが)聴聞する機会を頂けたのはありがたいことだと思います。
今日の午後3時にオンライン葬儀が行われ、130人余りの方々が参加されましたが、まさに法然上人を彷彿とさせるように宗派を超えて、職種を超えて沢山の人々が参加されました。最後に数人の人が謝辞(弔辞)を述べられました。各宗派の方、翻訳家の方、先生の生徒で日本で活躍するブラジル人などなどです。そして皆さんが最後に「南無阿弥陀仏」と念仏を称えたのは、本願他力の教えに生涯を捧げたリカルド先生の念仏の教えが宗派を職種を超えて広がっている証しだったと思います。
現開教監督・輪番である塚本智光輪番が葬儀でご法話でリカルド先生のエピソードお話をしてくださいました。リカルド先生が、Tres joiasというブラジル仏教のドキュメンタリー映画の対談の時どなたかが、「ブラジルで仏教を学ぶものは高学歴で金持ちが多いのですがどう思われますか?」と尋ねた所、リカルド先生は憤慨したような面持ちで「いえ、仏教の教えは貧しい人こそ救われていく教えなのです」と応えたという話がでとても印象に残りました。
仏教では貧しい人、金持ちを銀行口座の残高で決めるのではありません。また仏教の智恵とは色々な知識が頭に入っている人を指すのでもないのです。貧しい我々が共に救われていく道が本願他力の念仏の教えである事を即座に応えた先生の大切なエピソードです。
源空光明はなたしめ
門徒につねにみせしめき
賢哲愚夫もえらばれず
豪貴鄙賤もへだてなし
南無阿弥陀仏
ー以下、疫癘(えきれい)」の御文の本文ー
当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、いまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきようにみなひとおもえり。これまことに道理ぞかし。このゆえに、阿弥陀如来のおおせられけるようは、「末代の凡夫、罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくうべし」とおおせられたり。かかる時はいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしとおもいとりて、一向一心に弥陀をとうときことと、うたがうこころつゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこころえのうえには、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ともうすは、かようにやすくたすけまします、御ありがたさ、御うれしさを、もうす御礼のこころなり。これをすなわち仏恩報謝の念仏とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。
延徳四年六月 日
Papo Supren entrevista Monge Ricardo Gonçalves - Reverendo
南米佛教の先驅者 岡田英定氏 大舘誓 昨年八月南米同行から本山へ特使 派遣を要請したのが發端となり、途に九月末に至り本山より南米開教事情視察を命ぜられた。御法主台下の特別の思召で御本尊と御消息とを下附された。尚その上南米同行から先年來御法主台下及裏方の御渡伯招請運動が起きて居た...