今月の法語
お寺の今月の法語
幸せな人が
感謝するのではなく
感謝する人が
幸せてある
もう11月になりました。毎月お寺の壁に「今月の法語」を書いています。以前にもブログに書いたような経緯で今年作ることができました。詳細は下のリンクからどうぞ。
今月の言葉はポルトガル語では
Não são as pessoas felizes que agradecem.
As pessoas gratas que são felizes.
となります。これは私の翻訳ではなく、オフィシャルの正式な翻訳です。もう一つスペイン語では・・・・
No es la gente feliz la que da las gracias.
Es la gente agradecida la que es feliz.
となります。似てるけど違うんですよね。発音するともっと違いがわかりますよ。
世界の似ている言葉
今月の法語を読んで「あれ?聞いたことがあるな?」と思った方もおいでになると思います。たとえば・・・・
幸福だから笑うのではない。
笑うから幸福なのだ。
[E・アラン、エミール=オーギュスト・シャルティエ]
(19~20世紀フランスの哲学者、1868~1951)
有名ですね。上記の文章は要約したもので実際は『幸福論』にこう書いてあります。
笑って楽しむ
喜びを呼び起こすには、はじめの合図のようなものが必要である。
赤ん坊がはじめて笑うとき、その笑いはなにかを表現しているわけではない。幸せだから笑うのではない。わたしに言わせれば反対で、笑っているから幸せなのだ。食べて楽しむのと同じように、笑って楽しんでいるのである。
しかしそれにはまず食べてみなくてはならない。このことは笑い以外にもあてはまる。考えていることを知るためには、まずことばが必要なのだ。 (77 友情)
どうでしょう? 説明されるとわかったような気にもなりますが、なんだか難しくも感じますね。
喜びと言葉の関係を紐解くことで、心と身体が一つであることを教えていると思います。
日本にも古代からもっと簡潔な言葉があります。
笑う門には福来たる
もうこれでいいのではないかとも思いますね。
アラン風にいうと、
「福がきたから笑うのではない、笑うから福がくるのである」
となるでしょうか?
ちびまる子ちゃんにも登場します。
幸せだから笑うんじゃないよ。
笑うから幸せになるんじゃ。
(アニメ『ちびまる子ちゃん』)
昔は日本ではおばあちゃんやおじいちゃんに、日常の生活の中でさりげなく教えられていた言葉なんですね。
そのおじいちゃん、おばあちゃんはお寺にもお参りして感謝の念仏をされていた人もいたのだと想像します。
大切なのはこういう言葉は自分自身に刻むもので、他人に押し付ける言葉ではないという点です。
哲学者アラン自身も赤ちゃんの笑顔から教えられたことを表明しているので、決して「いつも笑いなさい」と言っているわけではないのです。
彼は第一次世界大戦前後の暗い世相の中、これらの言葉を発信しています。
今月もお寺の塀に言葉を書いていたら近所のおじさんが「いつも美しい言葉をありがとう」と通りすがりに声をかけてくれました。お寺の向かいの子供も遊びに来て一緒にお掃除を手伝ってくれました。
お寺の掲示板が思った以上にコミュニケーションのきっかけになってくれています。ありがたいことです。
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