2020/07/01

「京大生ボート部、琵琶湖失踪事件」

「京大生ボート部、琵琶湖失踪事件」

このお話は私の恩師である延塚知道(のぶつか ともみち)先生に石川県小松市の本光寺での方若いでお聞きしたお話の一部です。もう15年前ですね。
 面白いお話なのでこちらにも加筆転載します。


ある日、京大のボート部が琵琶湖で練習中に転覆して全員死亡した。という事件が起こった。
当初、関係者はみんな首を捻った。
なぜなら、琵琶湖がいくら日本一の湖だといっても、湖のどの位置にいても対岸が見えるくらいの広さなのだ。ボートが転覆しても岸に向かって泳げばたどり着くはずなのである。
ましてや、屈強なボート部の男ならば、楽々岸までたどり着けるはずである。
なぜ、全員死亡してしまったのだろうか・・・?

しばらくしてその理由が判明した。
ボートが転覆したその日は濃い霧がかかっていた。だから、対岸が見えなかったのである。しかし、いくら見えなかったからといっても、まっすぐ泳げば、自然と岸にたどり着くはず。それなのに何故なのだろうか?

あとで検証して分かったことは、人間は左右の筋肉のバランスが均一でないから、本人はまっすぐ泳いでいるつもりでも。まっすぐには進んでおらず、ぐるぐると大きな弧を描いてしまうそうである。
(プールで目をつむって泳いでみるとわかります)
結果、いつまでたっても岸にたどり着けず、力つきて全員死亡してしまったそうなのである。



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ここからが仏教のお話です。

中国の仏教者、曇鸞大師の著書『浄土論註』という書物の中に、人間が迷う姿を、尺取り虫に喩えて表している。尺取り虫を鉢の縁に載せてはわせると、いつまでも縁をグルグルと周り続けている。
尺取り虫はまっすぐ進んでいるつもりだから、同じところを何周もするのであろう。
しゃくとり 
この様子を、人間が人生に迷う姿に喩えているのである。私たち人間も、毎日一生懸命に生きているが、対岸が見えないまま同じところをグルグルと周り続けているのかもしれません。
六道輪廻とか輪廻転生という言葉がありますが輪廻というのは生まれる前は牛で今は人間で、次の生まれ変わりは鳥なんてことではなくて、人間の愚かさを喩えて教えてくれるものなんですね。

 自分は真っ直ぐのつもりで、他人を批判したりってありませんか? それはシャクトリムシと同じで自分は正しいつもりで人を批判しているのかもしれません。自分の姿って自分で見えないものです。
 ですから仏教のお話はいろいろな例え話を駆使して自分では見えない自分の姿を照らしてくれる、人生の鏡のような働きをしてくれているのだと思います。
毎日鏡を見て髪を整えたり服装を整えたりするように、心の鏡を持つ事が大切だと教えてくれます。
その鏡が迷いの輪廻の道から私たちを救ってくれるかもしれません。




延塚先生の本です他にもいろいろあります。

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