2024/05/29

「あなたたちは私たちがパスポートを持たされている現実を傍観している。 」 友人の言葉 今週のことば 尾畑 文正 ポルトガル語翻訳あり



中日新聞より


今週のことば

尾畑 文正




あなたたちは私たちがパスポートを持たされている現実を傍観している。

友人の言葉



 1972515日に沖縄は27年間の米国古領支配から返還された。前掲文は返還前にパスポートを持って沖縄から名古屋に来て大学で学んだ友人に問われた言葉である。「傍観」。これは今に続く私たちの問題ではないか。

 返還後の沖縄は、米軍基地が集中し、今も新基地が建設中であり、さらには自衛隊による琉球諸島の軍事要塞化も進んでいる。これらは平和ではなく、戦争を呼び込む政治である。もとより沖縄が望むものではない。

 沖縄は、先の戦争で本土決戦の捨て石にされ、住民の4分の1が命奪われた。「軍事基地はいらない」が沖縄の民意であり、「命(ぬち)どぅ宝」を大事にする沖縄の願いである。それは7112月、返還直前の国会で、沖縄の瀬長色次郎(せなが かめじろう)衆院議員が発した「この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する」にも表れている。戦争をする政治を傍観するのではなく、有権者として声を上げる責任がある。

(同朋大名誉教授)



Palavra da semana

Por Bunsho Obata


"Vocês estão observando com desinteresse o fato de que temos que carregar passaportes."

Palavras de um amigo


Em 15 de maio de 1972, Okinawa foi devolvida após 27 anos de domínio dos Estados Unidos. A frase citada foi dita por um amigo que tinha um passaporte e veio de Okinawa para Nagoya para estudar na universidade antes da devolução. "observando com desinteresse". Não é esse um problema que continua até hoje para nós?


Após a devolução, Okinawa ainda concentra muitas bases militares americanas, e novas bases estão sendo construídas. Além disso, a militarização das Ilhas Ryukyu pelo Exército de Autodefesa também está avançando. Essas ações não são pacíficas, mas políticas que atraem a guerra. Originalmente, não era o que Okinawa desejava.


Okinawa foi usada como um sacrifício na batalha decisiva no continente durante a guerra anterior, e um quarto de sua população foi morta. "Não precisamos de bases militares" é a vontade do povo de Okinawa, e "a vida é um tesouro" é o desejo de Okinawa. Isso foi expresso em dezembro de 1971, pouco antes da devolução, quando Kamejiro Senaga, membro da Câmara dos Deputados de Okinawa, disse: "Esta terra de Okinawa recusa-se a se tornar um campo de batalha novamente." Não devemos apenas observar com desinteresse a política que conduz à guerra, mas temos a responsabilidade de levantar nossa voz como eleitores.


(Professor Emérito da Universidade Doho)




https://gendai.media/articles/-/52554?page=3

講談社 現代ビジネス より


「アメリカが最も恐れた沖縄の男」瀬長亀次郎の一生涯

すべては持たざる人のために 


佐古 忠彦 


「持たざる人たち」のために

瀬長亀次郎は、1907年6月10日、豊見城村我那覇に生まれた。貧しい農家の生まれで、亀次郎が3歳のときに父がハワイに出稼ぎ移民としてハワイに渡ったほどだ。

亀次郎は学校から帰ると、家の前にあった木に登り、ひたすら読書をしていた。飼育している山羊が食べる草刈りが、祖父に言いつけられた日課だったが、遊びに夢中で時折忘れてしまう。頑固な祖父は、罰として亀次郎の食事を減らしたが、母はこっそり芋を食べさせてくれた。


「ムシルヌ アヤヌ トゥーイ アッチュンドー」

むしろのあやのようにまっすぐ生きるんだよ――母のこの言葉は、亀次郎の生き方に大きな影響を与えることになる。

尾畑文正 同朋大学名誉教授







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