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2022/02/08

ブラジル散歩 日本昔ばなしとグリーンマイルと阿弥陀仏

 youtube「ブラジル散歩」です。久しぶりに歩いて気持ちよかったです。

 すき焼きのわりした作りに失敗した話、鬼はうち、福はそとの日本昔ばなしの話と、グリーンマイルエピソードの比較してます


日本昔ばなしでは最後におじいいちゃんは「もうすこし長生きする」と墓参りで宣言します。

グリーンマイルでは、主人公のジョンは双子の殺人事件は冤罪であるが、「毎日愛が利用され、たくさんの人が苦しんでいる。それを感じることに疲れてしまった」と言って刑を受け入れるのですが、その違いと共通点を話しています。

日本昔ばなしとグリーンマイルはまったく毛色の違うお話のようですが、ふとしてきっかけでその二つの話が結びつきました。それは阿弥陀仏の教えです。阿弥陀仏は四十八の誓願に必ずその願いが成就しなければ自分も救われることがない(成仏しない)と誓っています。つまり全ての人が救われなければ自分も救われないという精神をもった仏様なのです。

私たちもなぜ生きているのか?または生かされているのかということを深く考えさせられるエピソードに昨日も書いた節分のお話がきっかけでたどり着くことができました。

動画内でお話ししているので是非ご覧ください。ブラジルの日常の風景を眺めながら一緒に散歩をお付き合いください。








「ブラジル・シュウちゃんねる」


2022/01/27

「お寺でヨガ教室」万年腰痛がかなり改善されています。お寺でヨガ始めてよかった

 今月末のお寺でヨガ教室

 昨年末から始まったヨガ教室です。もともとは50歳を超えて自分達が何か運動をしないとこのまま弱ってしまうとの危機感で始めたのでした。ついでに数人加わってくれて、お寺に親しみを感じてもらえるといいなという気軽な感じでしたが、フェースブックやインスタグラムに募集しただけであっという間に満員御礼の10人になりました。あまりにも少なかったら課金して募集しようと思っていましたがその必要もありません。
 今年に入っていよいよお試し期間を経て続ける人が定まってきました。それで今回は集合写真を撮りました。それだけ皆が親しくなったということにもなります。




メンバーのほとんどが女性です、ヨガは女性に人気があるのかもしれませんね。しかし、50歳を超えて激しい運動がかえって体に負担になる人は男性でも結構な運動になります。ゆっくりとした動作なので、体を痛めることも少ないでしょう。
 私自身かなり合っているみたいで、何年も万年腰痛に悩まされてきていましたが、だいぶ良くなってきています。それは先日のブログのようにベッドを変えてみたり
散歩したりバランスボールをしたりと他の工夫もしていますが、ヨガの効能が優っているように思います。

 

Gra先生の人柄もよく、先生はヨガのポーズだけでなく、精神的な心構えのお話もしながら勧めてくださるのです。まさに心身一体の教室です。私は以前YouTubeのビデオで真似事をしたこともあるのですが、やはり実際目の前で先生が指導してくださるのは違うと実感しています。また周りの生徒の姿も参考になります。みんなで一緒にするのは効果が違うのは歴然でした。



お寺の本堂の雰囲気もよく、それが先生も生徒さんたちにも好評でやっぱり雰囲気って大切なんだなと、改めてこのお寺の本堂の偉大さを教えられたような気がします。

 





仏教にはヨガというより禅定がにていますが、全く同じ思想ではないようです。しかし心を落ち着かせ、体と心の流れを整えるというヨガの世界は仏教の縁起の教えと共通点があるように思います。 
 また、私が所属している浄土真宗は坐禅は全くしないのですが、念仏を称えます。それがヨガのマントラを称える世界と共通点があります。とはいえ厳密に言ったら全然違うし、何でもかんでもちゃんぽんにするのはよくないですが。あまり難しいことを言わず、そういった共通点や違う点に思いを巡らすのも楽しいです。


生徒さんの中には普段のお朝勤のお勤めやお寺の行事に参加するようになった方もおいでになります。ヨガだけにお寺に通ってもらうのもいいのですが、本職の方の行事や教えにも触れてくださる人も出てきて嬉しく思っています。

ブラジルにおいでの際は是非寄ってみてください。
お待ちしております。

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「ブラジル・シュウちゃんねる」











2022/01/26

「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」 『親鸞聖人御消息集』 今週のことば 尾畑文正 ポルトガル語翻訳付き、朗読もします。

 今回は毎日の朝のお勤めでの法話を掲載させてもらっています。このブログにも仏教のコーナーを設けていますが、たまにはメインでも紹介させていただきます。いつもな別のブログnoteに毎朝の朝のお勤めの様子や、感話、法話の内容を書いています。どうぞそちらも是非ご覧ください。
 よろしくお願いします。
尾畑文正先生



noteのアドレスはこちらです。

https://note.com/izushu

尾畑文正先生はここブラジルで3年6ヶ月監督・輪番として従事されておいででした。日本に帰ってからもブラジルでの思い出や、海外仏教事情などを精力的に発信してくださっています。今回の中日新聞の記事は沖縄がメインですが、しかし戦争の問題、貧困の問題は世界的な大切な課題だと思います。

中日新聞より

「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」 『親鸞聖人御消息集』

今週のことば

                                                                                        尾畑文正

 コロナの感染拡大の中、今世界の各地(東欧、東南アジア、極東アジア、中南米、アフリカ、アラプ)で混乱と対立が続く。世界は平和を求めている。『無量寿経 』に説く阿弥陀仏の本願は地獄。餓鬼。畜生の無い国を願う。地獄と一は恐怖であり、餓鬼とは貧困であり、畜生とは隷従である。この三つの悪世界から全ての命を救いたい。それが阿弥陀仏の本願である。まさに平和を課題とする。

 戦後七十七年の今、戦争放棄の日本国憲法は軽視され、敵基地攻撃能力保有の声もあがり、沖縄・南西諸島ではミサイル基地建設が進む。軍事施設はそのまま攻撃の対象となる。再び沖縄は標的の島となり、犠牲が強いられる。武力からは平和は生まれない。それが歴史の教訓である。武力主義による政治は過ちと悲しみを何度も繰り返す。その現実を直視し、阿弥陀仏の本願に拠り「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と願って生きたいと切に思う。

(同朋大名誉教授)

画像1を拡大表示


Paz no mundo, o Darma de Buda se espalha" 
(Shinran Shonin Gosyousyosokushu)

Palavras da Semana

Bunho Obata

 Em meio à propagação da coroa, há tumultos e conflitos em muitas partes do mundo (Europa Oriental, Sudeste Asiático, Extremo Oriente Asiático, América Latina, África e mundo árabe). O mundo está precisando de paz. O principal desejo de Amitabha no "Sutra da Vida Imensurável" é o inferno. Fantasmas famintos. Amitabha deseja uma terra sem inferno, demônios famintos e animais. O inferno é medo, a fome é pobreza e a escravidão é servidão. Eu quero salvar todas as vidas desses três mundos malignos. Esse é o verdadeiro desejo do Buda Amitabha. A paz é de fato nossa tarefa.

 Setenta e sete anos após o fim da guerra, a Constituição japonesa, que renuncia à guerra, está sendo desconsiderada, há chamadas para possuir a capacidade de atacar bases inimigas, e a construção de bases de mísseis em Okinawa e nas Ilhas Sudoeste está prosseguindo. As instalações militares tornam-se alvos de ataque. Okinawa se tornará mais uma vez uma ilha alvo e serão feitos sacrifícios. A paz não virá da força. Essa é a lição da história. A política armada repete erros e tristezas uma e outra vez. Espero sinceramente que possamos enfrentar esta realidade e viver nossas vidas com base no verdadeiro desejo de Amida Buda: "Paz no mundo, espalhar o Darma de Buda".

(Professor Emérito, Universidade Doho)



岡崎 浄妙寺チャンネル
2022/01/06淨妙寺報恩講法話 尾畑文正師

https://youtu.be/wRZcRJ7XmoA




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2021/12/11

約2年ぶり?久しぶりのサンパウロ市へ出張、法要。そしてサンパウロ別院へ

今日はサンパウロに出張のためにサンパウロ別院でのお参りでした。


2年ぶりでしょうか? コロナ前は年に3−4回は訪れていたサンパウロに久しぶりにきました。6年間住んでいた場所ですが久しぶりに来るとまるで外国に来たような気持ちになりました。

でも久しぶりの知人に会い一緒にお勤めをして話をしたり、以前よく通っていた道を歩いていると少しづつ感覚が戻ってきて、もしかしたら自分はサンパウロにずっといて、マリリアでの8年の生活の方が夢だったのではないだろうか?というような錯覚に陥る瞬間もありました。ちょっとした浦島太郎のような気持ちでもあります。

しかし実際は時は確実に立っていて、物事は移り変わっているのでした。何か感慨深い物がありました。法要に呼んでくださった多美子さんにあらためて感謝です!




ブラジルはもっぱらバス移動、マリリアからサンパウロまではバスで途中休憩も入れて6時間くらいです。バスは満杯!コロナの影響は全くないという雰囲気でした。



バハフンダ・ターミナル、



 久しぶりのリベルダージ日本人街を歩きました。変わっていないようでいろいろなお店ができていてやはり大都会サンパウロはどんどん変わってきるのだと思いました。お店の品揃えの多さに驚愕! 完全におのぼりさん状態でした。金曜日でしたが人通りは少ない方とおっしゃっていました。

 リベルダージの日本・ブラジル文化協会内のサンパウロ人文科学研究所で法要

を執り行いました。


鈴木正威 (まさたけ) 様 

2020418

行年 88

一周忌


本山省三 様 今年お亡くなりになる。

追悼法要



サンパウロ人文科学研究所は今年が75周年なのでそれも兼ねる。人文硏の前身となる土曜会から75年、それも目的にして先達皆さんを追悼 


図書室改修(JICA支援)するので、今後の安全を願っての法要・起工式


施主の細川多美子さんは私がブラジルに来て間も無くお寺の雑誌の編集印刷のお仕事で訪れた彼女の仕事場でお会いして、それ以来多美子さんが主催しているパンデイロ教室に行くようになっていらい、お陰でさまざまな人との出会いに恵まれてとっても大事な経験をさせてもらった私にとって深いご縁の方なのです。

 もうマリリアに移動して8年経つのであっという間にお会いする機会は減っていったのですが、マリリアのわたしの結婚式にも駆けつけてお祝いをしてくださったり、つながりはありました。今回コロナでますますサンパウロとの距離が大きくなっていたのですが、まさか法要に呼んでいただきこうやって2年ぶりにサンパウロでまた再開する事ができたのです。 

 会ってみると想像以上に重大な1日でした。マリリアでも毎日普通の日々を送っていたのですが、サンパウロに来てみるとやはり引きこもっていた事に気がつきました。自覚せぬまま精神的に閉じた世界にいた事が露わになって、マトリックス状態の自分を発見しました。




本来なら別院には挨拶だけして帰る予定だったのですが、塚本智光輪番に声をかけていただき、報恩講にもお参りさせていただく事になりました。久しぶりの別院は相変わらず工事中でサクラダファミリア状態でした。みなさんもお元気そうで安心しました。
 いろいろ直接話を聞くと自分が地方にいて思っている別院との溝がどんどん埋まってきていかに自分が仮想空間に引きこもっていたかがわかるのでした。やはり実際に会うことは大事だと思いました。


久しぶりの別院のお朝勤にも参加でき、一緒に声明を勤める感覚をこれまた久しぶりに味わう事ができました。

南無阿弥陀仏

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2021/11/04

「幸せな人が 感謝するのではなく 感謝する人が 幸せてある」 ポルトガル語・スペイン語翻訳あり Não são as pessoas felizes que agradecem. As pessoas gratas que são felizes.

今月の法語


お寺の今月の法語


幸せな人が
感謝するのではなく
感謝する人が
幸せてある




もう11月になりました。毎月お寺の壁に「今月の法語」を書いています。以前にもブログに書いたような経緯で今年作ることができました。詳細は下のリンクからどうぞ。

ブラジルのお寺の掲示板の話 (破壊されにくいのがポイント)


今月の言葉はポルトガル語では

Não são as pessoas felizes que agradecem. 

As pessoas gratas que são felizes. 

となります。これは私の翻訳ではなく、オフィシャルの正式な翻訳です。もう一つスペイン語では・・・・

No es la gente feliz la que da las gracias. 

Es la gente agradecida la que es feliz.


となります。似てるけど違うんですよね。発音するともっと違いがわかりますよ。



世界の似ている言葉

今月の法語を読んで「あれ?聞いたことがあるな?」と思った方もおいでになると思います。たとえば・・・・


幸福だから笑うのではない。

笑うから幸福なのだ。


[E・アラン、エミール=オーギュスト・シャルティエ]

(19~20世紀フランスの哲学者、1868~1951)


有名ですね。上記の文章は要約したもので実際は『幸福論』にこう書いてあります。


 笑って楽しむ 

 喜びを呼び起こすには、はじめの合図のようなものが必要である。

  赤ん坊がはじめて笑うとき、その笑いはなにかを表現しているわけではない。幸せだから笑うのではない。わたしに言わせれば反対で、笑っているから幸せなのだ。食べて楽しむのと同じように、笑って楽しんでいるのである。 

 しかしそれにはまず食べてみなくてはならない。このことは笑い以外にもあてはまる。考えていることを知るためには、まずことばが必要なのだ。 (77 友情)



どうでしょう? 説明されるとわかったような気にもなりますが、なんだか難しくも感じますね。

喜びと言葉の関係を紐解くことで、心と身体が一つであることを教えていると思います。


日本にも古代からもっと簡潔な言葉があります。


笑う門には福来たる


もうこれでいいのではないかとも思いますね。

アラン風にいうと、

「福がきたから笑うのではない、笑うから福がくるのである」 

となるでしょうか?


ちびまる子ちゃんにも登場します。


幸せだから笑うんじゃないよ。

笑うから幸せになるんじゃ。


   (アニメ『ちびまる子ちゃん』)


 昔は日本ではおばあちゃんやおじいちゃんに、日常の生活の中でさりげなく教えられていた言葉なんですね。

そのおじいちゃん、おばあちゃんはお寺にもお参りして感謝の念仏をされていた人もいたのだと想像します。



 


 大切なのはこういう言葉は自分自身に刻むもので、他人に押し付ける言葉ではないという点です。

哲学者アラン自身も赤ちゃんの笑顔から教えられたことを表明しているので、決して「いつも笑いなさい」と言っているわけではないのです。

彼は第一次世界大戦前後の暗い世相の中、これらの言葉を発信しています。




 今月もお寺の塀に言葉を書いていたら近所のおじさんが「いつも美しい言葉をありがとう」と通りすがりに声をかけてくれました。お寺の向かいの子供も遊びに来て一緒にお掃除を手伝ってくれました。


お寺の掲示板が思った以上にコミュニケーションのきっかけになってくれています。ありがたいことです。





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ブラジル

マリリア真宗本願寺 東本願寺 





2021/10/30

口伝鈔 第13章 「蓮位房(れんに ぼう)夢想の記 」ポルトガル語、日本語原文 朗読動画あり。

今日のブログは毎日noteで更新しています。 たまにこちらのブログで宣伝をしています。


 Capítulo 13 

O registro das visões do sonho de Ren'i 


No nono dia do segundo mês na hora do tigre59 do ano 1256 em um sonho, Shaku Ren'i60, visualiza o príncipe Shōtoku proclamando um édito imperial. A forma nobre do Príncipe herdeiro apareceu na frente de Shaku Shinran e recitou o édito, respeitosamente prestando reverência ao Mestre. O édito dizia: "Eu presto reverência ao grande e amoroso Buda Amida. A fim de espalhar este Ensinamen- to maravilhoso, o Buda se manifestou em forma humana. Mesmo em meio aos tempos perversos das cinco impurezas em um mundo perverso, certamente o Buda alcançou a Iluminação mais elevada". Ao despertar desse sonho, Ren'i, especialmente honrado e mostrando reverência ao Príncipe Herdeiro, anotou esta passagem. 

Kakunyo observa: A isto eu digo, quando nós viramos as páginas deste registro de sonho, torna-se claro que nosso fundador Mestre Shinran emerge como a manifestação do Bodhisattva Avalokitesvara, apontando igualmente como manifestação do mestre original Amida. Embora os nomes Amida e Avalokitesvara se refiram ao mesmo corpo, nenhuma diferença existe entre eles. Em relação à transmissão e explicação dos pontos decisivos falados e por ele preservados entre as ramificações modernas de sua escola, seu ensino é absolutamente incomparável entre todos os ensinamentos budistas.  
Tomem nota cuidadosa sobre este ponto. 


59
Entre as 4 e as 6 horas da manhā " 

60
Discípulo erudito de Shinran, descendente do líder guerreiro Minamoto no Yorimasa


原文
蓮位房の夢想
(13)

一 蓮位房(れんに ぼう)[聖人(親鸞)常随(じょうずい)の御門弟、真宗稽古(けいこ)の学者、俗姓源三位 頼政卿順孫]夢想の記。
 建長八歳[丙辰(ひのえ たつ)]二月九日の夜寅時(とらのとき)、釈蓮位(れんに)、夢に聖徳太子の勅命をかうぶる。皇太子の尊容(そんよう)を示現して、釈親鸞法師にむかはしめましまして、文を誦(じゅ)して親鸞聖人を敬礼(きょうらい)しまします。その告命(ごうみょう)の文にのたまはく、「敬礼大慈阿弥陀仏 為妙教流通来生者(しょうじゃ) 五濁悪時悪世界中 決定即得無上覚也(や)」[文]。この文のこころは、「大慈阿弥陀仏を敬礼したてまつるなり。妙なる教(のり)流通のために来生せるものなり。五濁悪時・悪世界のなかにして、決定してすなはち無上覚(うえなきさとり)を得しめたるなり」といへり。蓮位(れんに)、ことに皇太子を恭敬(くぎょう)し尊重したてまつるとおぼえて、夢さめてすなはちこの文を書きをはりぬ。
 わたくしにいはく、この夢想の記をひらくに、祖師聖人(親鸞)、あるいは観音の垂迹(すいしゃく)とあらはれ、あるいは本師弥陀の来現と示しましますこと、あきらかなり。弥陀・観音一体異名、ともに相違あるべからず。しかればかの御相承、その述義(じゅつぎ)を口決(くけつ)の末流(ばつりゅう)、他(た)にことなるべき条、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)といひつべし。しるべし。


出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

蓮位房…
  蓮位の夢想は『御伝鈔』【四】にも記されている。(口伝鈔 P.895)
https://goo.gl/maps/YH2GMuUqDAcDH3nc6

稽古
けいこ
  学問をすること。 (口伝鈔 P.895)

建長八歳
けんちょうはちさい
  1256年。親鸞聖人84歳。「建…事」は包紙に別筆で記入。(口伝鈔 P.895,御消息 P.750)

寅時
とらのとき
   寅の時。午前四時頃。(正像 P.600, 口伝鈔 P.895, 御伝鈔 P.1044)


現代文
13


蓮位房 <聖人に常に随侍(ずいじ)の門弟で、真宗の学問を修めた学者である。俗姓は源三位(げんざんみ)頼政公(よりまさこう)の孫である>がみた夢の記。

  建長八年<丙辰(ひのえたつ)>二月九日の夜明け四時頃、釈蓮位(れんに)は夢の中で、聖徳太子のおおせをこうむった。皇太子の尊いお姿をあらわされて、釈親鸞法師にお向いになって、経典の文句をとなえられ、親鸞聖人にうやうやしく敬礼(きょうらい)された。その時お告げになった勅(みことのり)のお言葉には「大慈阿弥陀仏に敬礼したてまつる。妙教を流通するために来生された者である。五濁の(注1)悪時・悪世界の中にあって、断乎として、すなわち無上覚を得られたのである」とのべている。この勅(みことのり)の文の意味は、「大慈悲の阿弥陀仏を心から敬い礼拝したてまつる。尊い教えを世に広めるためにこの世に生れて来られた方で、五濁にまみれた穢れ多いこの時、この世界において、断乎として無上のさとりをえられた」というのである。蓮位(れんに)は、とくに皇太子を恭(つつし)み敬って心から礼拝をささげ奉った、と思ったところで夢がさめ、さめるとすぐにこの文章を書き終ったのである。

 ひそかにわたしの思うところでは、この夢の記の意とするところを汲みとってみると、祖師親鸞聖人があるいは観世音菩薩の垂迹とあらわれ、あるいは本師阿弥陀仏の来現を示しておられることが明らかである。阿弥陀仏と観世音菩薩とは一体で名が異なるだけであるから(注2)、ともに(注3)、間違いがあるはずはない。だから、聖人が承け伝えて、その義を述べられたのを、親しく伝えられた末流である以上、他宗と違っている点は他に比類がない、と言ってよいのである。よくこのことを知らなければならない。



五濁

濁は劣悪を意味する。飢饉・疫病・戦争などを含める劫濁、邪しまな思想や考え方が広まる見濁、煩悩がほしいままにされる煩悩濁、生を享けたものの資質低下を意味する衆生一濁、短命を意味する命濁の五である。時代がこうした状態になるのは末世と考えられている。



阿弥陀仏と観世音菩薩とは一体で名が異なるだけである……
不空訳の 『理趣釈』に「得自性清浄法性如来とは、これは観自在王如来の異名で、すなわちこれは仏としては無量寿如来と名づける。もし浄妙な仏の国土に現われたときは仏身と成り、雑染の五濁世界に住めば、すなわち観自在菩薩となる」(大正大蔵経一九・六一二上)と説いているように、早くからこの考えがあるが、源信の 『自行念仏問答』にこれを論ずる(大日本仏教全費三一・二一二下)ように、この思想は広く一般化したものと考えられる。


ともに
親駕が阿弥陀仏の化身でもあり、観世音菩薩の化身でもあるということを指す。


https://amzn.to/2Vp6yP0

歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版

親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)

参考リンク

https://goo.gl/maps/YH2GMuUqDAcDH3nc6

http://www.zuikouji01.sakura.ne.jp/monngo/sinnrann/02nennpu/nennpu0730/1219/06reni/01.pdf


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