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2021/11/04

「幸せな人が 感謝するのではなく 感謝する人が 幸せてある」 ポルトガル語・スペイン語翻訳あり Não são as pessoas felizes que agradecem. As pessoas gratas que são felizes.

今月の法語


お寺の今月の法語


幸せな人が
感謝するのではなく
感謝する人が
幸せてある




もう11月になりました。毎月お寺の壁に「今月の法語」を書いています。以前にもブログに書いたような経緯で今年作ることができました。詳細は下のリンクからどうぞ。

ブラジルのお寺の掲示板の話 (破壊されにくいのがポイント)


今月の言葉はポルトガル語では

Não são as pessoas felizes que agradecem. 

As pessoas gratas que são felizes. 

となります。これは私の翻訳ではなく、オフィシャルの正式な翻訳です。もう一つスペイン語では・・・・

No es la gente feliz la que da las gracias. 

Es la gente agradecida la que es feliz.


となります。似てるけど違うんですよね。発音するともっと違いがわかりますよ。



世界の似ている言葉

今月の法語を読んで「あれ?聞いたことがあるな?」と思った方もおいでになると思います。たとえば・・・・


幸福だから笑うのではない。

笑うから幸福なのだ。


[E・アラン、エミール=オーギュスト・シャルティエ]

(19~20世紀フランスの哲学者、1868~1951)


有名ですね。上記の文章は要約したもので実際は『幸福論』にこう書いてあります。


 笑って楽しむ 

 喜びを呼び起こすには、はじめの合図のようなものが必要である。

  赤ん坊がはじめて笑うとき、その笑いはなにかを表現しているわけではない。幸せだから笑うのではない。わたしに言わせれば反対で、笑っているから幸せなのだ。食べて楽しむのと同じように、笑って楽しんでいるのである。 

 しかしそれにはまず食べてみなくてはならない。このことは笑い以外にもあてはまる。考えていることを知るためには、まずことばが必要なのだ。 (77 友情)



どうでしょう? 説明されるとわかったような気にもなりますが、なんだか難しくも感じますね。

喜びと言葉の関係を紐解くことで、心と身体が一つであることを教えていると思います。


日本にも古代からもっと簡潔な言葉があります。


笑う門には福来たる


もうこれでいいのではないかとも思いますね。

アラン風にいうと、

「福がきたから笑うのではない、笑うから福がくるのである」 

となるでしょうか?


ちびまる子ちゃんにも登場します。


幸せだから笑うんじゃないよ。

笑うから幸せになるんじゃ。


   (アニメ『ちびまる子ちゃん』)


 昔は日本ではおばあちゃんやおじいちゃんに、日常の生活の中でさりげなく教えられていた言葉なんですね。

そのおじいちゃん、おばあちゃんはお寺にもお参りして感謝の念仏をされていた人もいたのだと想像します。



 


 大切なのはこういう言葉は自分自身に刻むもので、他人に押し付ける言葉ではないという点です。

哲学者アラン自身も赤ちゃんの笑顔から教えられたことを表明しているので、決して「いつも笑いなさい」と言っているわけではないのです。

彼は第一次世界大戦前後の暗い世相の中、これらの言葉を発信しています。




 今月もお寺の塀に言葉を書いていたら近所のおじさんが「いつも美しい言葉をありがとう」と通りすがりに声をかけてくれました。お寺の向かいの子供も遊びに来て一緒にお掃除を手伝ってくれました。


お寺の掲示板が思った以上にコミュニケーションのきっかけになってくれています。ありがたいことです。





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ブラジル

マリリア真宗本願寺 東本願寺 





2021/10/28

検証動画付き ブラジルのセミの鳴き声 (UFOの円盤が飛ぶ音に似ている)検証動画付き 

お寺に蝉がいました。



ブラジルではセミはcigarra シガーハって呼びます。

日本とは鳴き声が違うんですよ。

UFOが飛んでる様な音です。


とフェースブックで書き込んで以下の写真を載せたら。



「その蝉の声を聞きたい」

UFOが飛んでる音ってのがよくわかりません…私が見たことあるUFOはインベーダーゲームのUFOくらいですが…🤩

とのコメントをもらったので、YouTubeで探してみました。

まずはこれがUFOの音です。


「UFO 飛ぶ時の音」で探したら結構出てきたのですが、以下の動画が一番私の脳内のイメージに似ているかと思います。



次にこれがブラジルの蝉の声です。


 この声は私が地元で聞く蝉の声とまったく同じです。これを聞いた日本の友人は

ほんまにセミ~? にわかに信じられん。ブラジルらしからぬ陰に籠もってるな

とか

「神秘的・・・・」

などのコメントをくれました皆さんはいかがですか? 私も最初に聞いた時は、どこからともなく不思議な音がするので、蝉の声とは思えず、妻のファビアに「これ何の音?」って聞きました。そしたら「シガーッハ」って言うので言ってる意味がわからず、タバコのこと?って訳のわからない問答をしばらくしたのを覚えています。
ちなみにタバコはブラジルでは「シガーホ」cigarroといいます。たばこ Tabacoともいうのですが・・・・

日本の蝉も11種類も! もっといるのかな?


 さらに他の方のフェースブックのコメントを読むと、日本と同じようになく蝉もいるようです。ブラジルは広いですから色々いるんだろうなって思いましたが。
 ついでに日本の蝉の声も探してみたら、11種類もあってびっくりしました。私はクマゼミとアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクホーシくらいしか知りませんでした。ヒグラシも聞いたことあるかな?




何気ない投稿でしたが、いろんなことがわかって勉強になりました。


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最終回 3、「宗教と差別」ジェアン哲慈 “Religião e Discriminação” Rev. Jean Tetsuji  

 今回はブラジルのお坊さんジアン哲慈さんのコラム第三弾を紹介いたします。
彼はレインボーサンガという宗派を超えて連帯し、差別をなくす運動をここブラジルで展開しています。
 僧侶になる前からエアーフランスの客室乗務員をなさっています。そのジアンさんが、サンパウロ別院の発行しているお便りに、差別と宗教というテーマで連載を始めました。

 ブラジルの現在のお坊さんは、この現代社会においてどのように仏教を学び、発信しているのでしょうか? このコラムを読めばその一端がわかると思います。
ポルトガル語の勉強にもなると思います。ぜひ読んでみてください。 
連載です。

ブラジルの別院サイト・オフィシャル

(過去の別院だよりも、このサイトにあります)

Rainbow Sangha - Budismo LGBT+

ブラジルの差別に反対するサイトです


「宗教と差別」  3   

                                ジェアン哲慈 ブラジル僧侶


 皆さん、こんにちは。お元気ですか。年末も近づき、真人先生が提案された最後のコラムとなりました。様々な社会の中で共に暮らすためには、差別について常に考え、継続的に練習することが必要であると思います。生き方を定義する良い物は何ですか?ある信念の善が他の信念よりも優先されるべきでしょうか?特定の人の、信念、文化が他の人よりも重要であり、不寛容、差別、苦しみをもたらすのはなぜですか?終わりのない課題だと思います。皆様のコミュニティーで絶えず話すことを勧めます。


 私は最近、ジョン・パラスケヴォポウロス先生の『The Immeasurable Life』(MotherofPearl出版社)という優れた作品を読みました。私たちの対話に貴重な説明をもたらしてくれていると思うのでいくつか紹介します。「私はより良い人になれますか?」の章でジョン師は、私たちの欲望と情熱が私たちの生活の中でどのように絶えず生じ、発揮されるかについて、親鸞の言葉を思い出します。彼は次のように指摘しています。「私たちは、私たちの生活の中で、そのような有害な考えを実行する権利を持っているという意味ではありません。私たちが他人や自分自身を害する行為をとる時、私たちの道徳的責任は間違いなく作用します。意図的で無いように見えても、私たちがコントロールを失い、
人や自分を傷つけるような欲求を追求することがあります。それでも、私たちはそのような行動に対応し、法律の罰や社会的屈辱または業の報復などを介して、この人生の結果に耐えるよう強いられます。」仏教徒としての生涯を通して責任について考えましょう。阿弥陀如来は法と真実としてはたらきかけてくださっています。欲まみれの人間を理解されているので、私達をそのまま受け入れてくださいます。自分を変える必要もなく、メリットや優しさなどを積み重ね、それをもって目覚めを求めることはできません。お浄土への道は、決して自力(限り有る人間の力)の実践で得るものではなく、他力(無限の超越的な力)によって得るものです。


 仏陀は皆をありのままに受け入れてくださいますが、だからといって我がままのままでいても良いということを意味するのではなく、その自分に気付いて、欲望の海にどれほど没頭しているかを認識し、それぞれの違いを理解し、同時にすべての人間に共通の性質を見つめなおすことを理解することを教えてくださいます。ジョン師は親鸞の一節を引用し、次のように述べています。「人々は仏の教えを深く信頼していくほど自分のエゴイズムを捨てようとし、生死の苦界から逃げられない自分を憐れみ、喜んでアミダの名前を呼び、本願を信じることができます。人々は、以前から間違った行動をとらないようにと考えていたのであろうが、それは頭の中からの命令のような発想であって、今度は心から間違ったことをやめようとしている事実は、確かに彼らがこの世界を嫌がることのしるしであると思えるでしょう。」ここに、謙虚さ、自己批判、応用力、内省の重要なポイントがあります。


 暗い部屋は、明るくする力がないため、外部の日光によってのみ明るくすることができます。「思いやりのある倫理的な行動は結果であり、精神的な目覚めの条件ではありません」と、ジョン師は結論を出されています。私たちが偉大な計り知れない生命の中に入っているにも関わらず、その生命を軽蔑することは、湖に落ちる水滴のようなものです。一滴の水は生命の湖を否定し、一滴であると考え続け、それはつまり、環境と自然と自分自身を区別してしまうことです。ここまで私の考え方を共にしていただきありがとうございました。なんらかの形で皆さんの生活の役に立てたら幸いです。


                                                                                南無阿弥陀仏




Religião e Discriminação”  3

Rev. Jean Tetsuji 


    Olá a todos, como vocês estão? Estamos chegando ao final do ano e à última coluna de reflexão proposta pelo Rev. Masato. Pensar a discriminação é um exercício contínuo de como viver juntos numa sociedade plural. Qual é o bem que define a forma de viver? O bem de uma crença deve prevalecer sobre outras? O que faz uma pessoa/crença/cultura ser mais importante que outra, resultando em intolerância, discriminação e sofrimento? É um tema inesgotável e convido-os a conversarem constantemente em suas comunidades. 

    Recentemente li a excelente obra do rev. John Paraskevopoulos (A Vida Imensurável, ed. Madrepérola) que traz elucidações valiosas para nossa conversa e gostaria de transcrever algumas delas. No capítulo “Posso me tornar uma pessoa melhor?”, Rev. John lembra das palavras do Mestre Shinran sobre como nossos desejos e paixões mundanas surgem constantemente e atuam no nosso viver. Porém, ele ressalta que: “isso não significa que temos, de forma alguma, o direito de pôr em prática tais pensamentos perniciosos em nossas vidas. Nossa responsabilidade moral definitivamente entra em ação quando realizamos atos que são prejudiciais aos outros e a nós mesmos. Pode acontecer de, às vezes, perdermos o controle e perseguirmos desejos que são prejudiciais, mesmo que pareçam não serem motivados por intenções ou impulsos. Mesmo assim, somos chamados a responder por tais comportamentos e de arcar com as consequências nesta vida, seja por meio pela punição da lei, de humilhação social ou de retribuição cármica”. 

    Estamos falando da responsabilidade ao longo da vida budista. O Buda Amida, sendo a ação do Dharma, da Verdade, da Lei, de fato aceita você como é porque entende a natureza humana das paixões. Você não precisa mudar ou acumular méritos ou bondades para acessar o Despertar. A proposta do caminho da Terra Pura não se faz pela prática do Poder Próprio (poder profano limitado) que acessa o Outro Poder (poder transcendental ilimitado). O Buda o aceita como tal, não para chancelar a continuar dessa forma, mas para fazer-se perceber e tomar consciência de quão imerso se está no mar das paixões mundanas, entender nossas diferenças e ao mesmo tempo entender a natureza comum a todos os humanos. Rev. John ainda cita uma passagem do Mestre Shinran, onde diz: “Quando a confiança das pessoas no Buda cresce profundamente, elas passam a abominar o ego e a lamentar sua contínua existência no mundo de nascimentos e mortes; tais pessoas dizem com alegria o nome de Amida, confiando-se profundamente ao Voto. O fato das pessoas procurarem parar de fazer coisas erradas, movidas pelo coração - embora anteriormente pensassem nessas coisas e se comprometessem com elas, submetidas que estavam ao autoritarismo de suas mentes - certamente é um sinal de que rejeitaram este mundo.” 

    Aqui entra o importante ponto da humildade, da auto-crítica, da resiliência, do olhar-se para dentro. Um quarto escuro só pode ser clareado pela luz externa do sol, pois ele não tem a capacidade própria de fazer. 

    “O comportamento compassivo e ético só pode ser uma consequência, não uma condição do despertar espiritual”, conclui Rev. John. Desprezar esta grande Vida Imensurável a que estamos inseridos é como a gota d’água que cai no lago e continua pensando que é gota, discriminando o ambiente e a natureza de sua própria existência enquanto gota. Obrigado por acompanhar estas reflexões e que tragam algum benefício em suas vidas! 

                                                                                                                    Namu Amida Butsu. 


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2021/10/26

ブラジルの冷凍マグロを解凍して刺身にして食べるまで (解説動画あり)

ブラジルの冷凍マグロを解凍して刺身にして食べるまで解説動画です。




 日本から来た人は(特に海沿いで美味しいお魚を食べてきた方は)ブラジルの刺身はイマイチと思われるかもしれませんが、わたしはもうかなり美味しくいただけるようになってきました。

 北陸に住んでいた頃は地元の方は日本の他の場所で魚介類を食べても「美味しくない」「地元の石川さんが一番!」または「富山が一番!」と郷土愛も込みでおっしゃっていました。事実広島生まれの私は北陸に来てからかなり美味しい海の幸、山の幸をご馳走になったので、そう自慢したくなるのもわかります。

 ところがいい大人になってから地元広島の居酒屋で瀬戸内の幸を頂いたらこれまたすごく美味しかったです。じゃあ、京都の魚はまずいのか?というと、安くて美味しい場所は流石に少ないでしょうが、流通の進歩のおかげで京都でも美味しいお魚は今では食べることができますよね?(ここら辺は個人差が大きく出てくるかもしれませんが)

 つまり今日本ではどこで食べても美味しいお刺身がいただけると思います。それに比べるとブラジルでいただく日本式のお刺身は見劣りがしてもしょうがないでしょう。 しかし年々そのクオリティーは上がっていると思います。その一つの理由がやはり流通の進歩ですが、一番大きいのは日本に出稼ぎに行って修行をして帰ってきた方々がここブラジルでどんどん日本料理屋のお店を開店して営んでいるからだと思っています。競争が激しいのです。

もう一つの大きな理由はインターネットで新しい技術や情報が出回っているからだと思います。



 ところでブラジルではここ内陸地のマリリアでもお寿司屋さんがあって結構おしいのですが、どうしても値段は高くなってしまいます。そしてこれもしょうがないのですが、値段の割にはそのクオリティーはどうしても下がってしまいます。そしてクオリティーがそこそこのところはすごくねだんが高いので手軽に口に入れるのは難しいのです。そこで自然と。。。。



ブラジルでは刺身を切るスキルが要求される



ことになるわけです。とはいえ切り身を買ってきたとしても結構な値段がかかるのでやはりたまにということになります。そのために柳包丁や研ぎ石なんかも購入して結局高くつくという話もありますが、生活の経験値をアップできると思えばそういう投資も悪くないと思います。

というわけで前置きが長くなりましたが、ブラジルでも内陸に位置するマリリアの魚屋さんで手に入れた冷凍マグロをネット情報を参考にして解凍し、お刺身にしてみました。

 

今はネットでいろんな情報が手に入るので便利になりました。感謝です。


冷凍マグロの解凍の仕方 (他にもたくさん解説ページあります)

http://ist-market.closed.jp/cate/?no=17


ブラジルの海の天然塩 (お風呂に入れてもいいですよ!)

Kit 3 Sal Marinho Fino de Mossoró 1kg Smart temperos



今回の魚を買ったお魚屋さん


Peixaria Tilápia Fernandes

R. Atílio Gomes de Melo, 10 - Fragata, Marília - SP, 17501-210

+5514998801552

https://goo.gl/maps/NobeUgsPEGUede3q8



それでは動画をご覧ください! 妻のファビアも登場します


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2021/10/23

(動画あり) 修理代は384Real ブラジルの洗濯機 8年で初めての故障 BRASTEMP

8年使った洗濯機が故障したので直してもらいました。正直ブラジルの製品は早く壊れることが多いのですが、BRASTEMPというメーカーは当たりだったようです。個体差はあるのでしょうが、妻のファビアもいいメーカーだと言っています。




ブラジルで製品を買うときの心がけ


以前ともかく安い値段のものを買ってすぐに壊れてしまった経験があります。買うときも作りも安っぽくて心配だったのですが、その不安が的中してすぐに壊れてしまいました。それ以来一番安いものは避けて中の上くらいの値段のものを買っています。

 そう心がけてからというものあまりひどい製品に出会ったことはありません。結局最終的には安くつくのです。

 今回の洗濯機も8年故障なしで使えたので頼もしい限りです。あと5年くらいは頑張って欲しいです。

ちなみに修理代の384レアルは大体7700円くらい(2021/10/22現在のレート)です。



日本のせいの洗濯機もあります

 動画でも触れていますが、パナソニックの洗濯機もブラジルで頑張っていますよ!日本製はまた少し他の機種より高いのですが、韓国製品が幅をきかしているブラジルで日本勢も値段と機能ともに安くていいものを出すことで勝負しています。ですから以前ほどの値段の開きはないようです。それはテレビやオーディオでもそうです。やはり日本勢に頑張って欲しいですよね。 一昨年は娘のタイスちゃんにパナソニックの洗濯機をプレゼントしました。家を購入したお祝いです。今のところ快適に使えているようです。


BRASTEMP  HP  https://www.brastemp.com.br  

Panasonic    HP  https://www.panasonic.com/br/

 

それでは動画をご覧ください


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 #ブラジル #洗濯機 #修理


大事に使っていきます

2021/10/20

Noteより、毎日ブラジルより、お朝勤と仏教のお話 ポルトガル語、原文、現代文比較 朗読あり

 仏教のポルトガル語のテキストと日本語の原文、そして日本語の現代語訳や語句の意味を掲載しています。

 今日のブログは、いつもは私のもう一つのブログnoteに書いている内容です。

本職はブラジルで僧侶をしているので、毎朝のお勤めのお今日のリンクとその後のお話のノートをnoteにシェアしています。

 noteのいい点はとてもシンプルで名前の通りテキストが読みやすい点です。こちらにもアクセスしてください。毎朝(ブラジル時間)お勤めと法話をしています。下手ではありますが、ポルトガル語でも話させてもらっています。テキストもあるので、特殊ではありますが、ポルトガル語の勉強にも役立つと思います。

https://note.com/izushu/n/ne7aadeb5043a

2021/10/17

(安いのから高いものまで)ブラジルの線香紹介。日本のお焼香も、沈香・白檀など  

  昨日、太田上田の番組でのエピソードの高い値段の線香の話をしましたが、今回は実際にブラジル売っている線香や私自身がブラジルて使っているお焼香をいくつか紹介します。

YouTubeでお話ししている通りですが、こちらにも文章で動画で語っていることをフォローしておきます。


ブラジルでは線香をそのままお供えすることが多いと思います。しかし日本から買ってきた焼香を使う場面も多々あります。時には線香を粉々にしてお焼香のようにして使っている場面に何度も遭遇しました。いちどコーヒーミルで線香を砕いているのを見て「ブラジルらしいかも!」と感心したのを覚えています。

訂正。

動画内でブラジルの線香が一箱5レアルと言っていますが、間違いです。

現在30レアル前後します。

(お寺に保存してあったものは昔に買いだめしてあったものなので、だいぶ前の値段となります。ブラジルのインフレ恐るべし!)

一箱30レアルだとすると現在のレートで一箱600円ですから、日本から焼香を買ってきて用いるのと値段的にも変わらないかと思います。香りはやはり線香よりお焼香の方がいいのでなおさらだと思いました。


京都小堀のお焼香

https://www.butsudan-shop.jp/works/product/view/333


ブラジル国内での線香

ブラジル Amazon



一種類だけでなく結構あります。

mercado livre





YouTubeで爆笑問題太田が100万円のお香を買った話を見て爆笑【太田上田#282①】超高額の買い物をしたら奥さんに怒られちゃいました。

https://www.brasilsanpo.com/2021/10/youtube_16.html


その後ブラジルのお線香を紹介したくなり、この動画をアップしました。

日本で買ってきたものも使っていますのでその紹介もしています。


伽羅大観 塗箱短8入  5万円の線香や20万円の線香はこちらのブログでどうぞ。

https://www.brasilsanpo.com/2021/10/youtube_16.html


70000000円の香木はちょっと怪しいのでリンクは貼りません。悪しからず。


私自身の経験話も話しながらブラジルのお線香を紹介して、後には頂いた比較的安価なお焼香から高いお商工も紹介させていただいています。


では、動画をご覧ください!




私は本山とおなじ附茸(護摩線香)を用いてます」とyoutubeにコメントをくださいました。それで検索して思い出したのですが、まさにこの線香(附茸)を小松時代に使用していました!
 普段のお朝勤や法事などでもこの先行を焚いてお焼香をしてもらっていました。かなり太い線香で30分以上持って、たくさんお焼香があっても消えることがなかったです。
 今度日本で買ってきてみます! 情報ありがとうございます。毎回炭を使うよりリーズナブルでもあるかもしれません。




今日フェースブックのコメントで日本に100万円の線香があることを教えてもらいました!

日本香堂が誇る最高級沈香のみを使用した檀苑シリーズのお香

日本香堂のお香 富嶽 頂 長寸1把入2019年製 B 

いやー! びっくりしました。 太田光が買ったのはこれかもしれませんね!


「ブラジル・シュウちゃんねる」





いま、注目の投稿はこちら

今日はブラジルでも母の日でした。おめでとうございます!いつもありがとうお母さん。🙏

 今日はブラジルでも母の日でした。私たちは、妻ファビアの実家でこの特別な日をお祝いしました。ブラジルでは、母の日には教会でお祈りを捧げ、お墓参りをして故人の母親を偲ぶことが多いです。その後、家族が集まって食事を楽しむのが一般的です。サンパウロ別院のお寺では、納骨堂も設置されており...

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