2020/06/26

京都の智探閣寺 (チタン閣寺)レアメタル王の中村繁夫さんに会う


昨年2019年の12月中旬の頃、京都で本山、東本願寺での研修中にお会いすることができました。

京都の智探庵でレアメタル王こと中村繁夫さんにあってきました。
チタンアンと呼びます、中村さんが仕事で扱っているレアメタルの一つで軽くて腐食に強く、強度が高い金属だそうです。そのチタンを使ったお寺を建立されたのです。まだ正式には寺号が降りていないようですが、中村さん自身は京都の金閣寺、銀閣寺と並んで智探閣寺というイメージで建立されたそうです。
 私たちの出遇いは中村繁夫さんがサンパウロ別院においでになり、私がお寺を案内したのが最初でした。もう10年以上前の話です。中村さんは青年のときにブラジルにおいでになり、今年7月から新門首に就任される大谷暢裕のお父さん大谷暢慶に出遇い一緒に法事の巡回も経験し、そのときにインドへ行きなさいとアドバイスされたそうです。そこで本当にインドに行き人生観に大きな影響を与えられたそうです。

サンパウロで偶然お会いしたあとは東京の本社にお伺いして少しお話をしたきりでしたが、フェースブックではつながりを持っていました。世界中を文字通り飛び回ってお仕事をされているパワフルな方ですが、近年僧籍を取り、東本願寺の僧侶となっておいでです。


 そこでご縁がさらに深まり今回2019年の本山での研修中にお会いできる事になり、最近建立した智探庵に招待していただきました。動画内でも語っておいでですが、智探庵を宗派の垣根を超えて真実を探求する場所にしたいとその思いを語ってくださいました。
本山での研修中一緒だったハワイの仲間二人とお伺いできたのもよかったです。一緒に仏壇でお参りもできたのが嬉しかったです。
 
  一般に開放されている観光寺院ではありません。念のためここでお断りしておきます



中村繁夫さん (フェースブックの自己紹介より) 希少金属の専門商社AMJの代表取締役社長。中堅商社・蝶理でレアメタルの輸入買い付けを30年間担当。2004年に日本初のレアメタル専門商社を設立。世界の110ヵ国を踏破、年間半分は海外を回る。著書多数。 Twitter https://twitter.com/shnakamura1
Amazon レアメタルハンター・中村繁夫のあなたの仕事を成功に導く「山師の兵法A to Z」 https://amzn.to/2Vbxjna
ブログ https://ameblo.jp/nakamura-amj/ 株式会社飯田善彦建築工房 智探庵を建設した会社 http://www.iida-arc.com/works/1266/ チャンネル登録よろしくお願いします。 please subscribe to my channel Inscreva-se no canal Por favor! ↓いいね評価、チャンネル登録よろしくお願いします↓ https://www.youtube.com/user/shuizuhara
  

2020/06/21

「島田紳介の高校時代のエピソード」 恩師からの手紙

もう島田紳助が引退してだいぶ経ちますが、You Tubeのおかげで沢山の過去の動画も見ることが出来ますし、最近はmisonoのYou Tubeに出て健在であることを垣間見ることが出来ましたね。
先日、「行列のできる法律相談所 」で島田紳介が、しばらく謹慎していた時に貰った、恩師からの手紙に一言だけ書いてあった言葉が印象的でした。番組内のトークで、「人間って年をとってくると辛くて泣く事よりも、感動して泣く事の方が多くなるですよ」という(多分コント赤信号の渡辺正行のコメント)、その言葉を司会の島田紳介が受けて
「そうそう、ほんの些細な事や、短い一言で泣いたりするものなんや」という枕から、このエピソードに展開した。

番組中に紳介本人も言ってたが、彼は高校時代に京都の仏教系の高校に通っていた。
実はその仏教系の高校とは大谷高等学校 の事。私が勤めていたお寺も同じ系統の宗派で「宗教法人 真宗大谷派」の本光寺というお寺で「南無阿弥陀仏」と称え、悪人も善人も浄土に往生し救われると説く、親鸞聖人を宗祖と仰ぐ宗派である。

島田紳介の高校時代のエピソードとは、宗教の時間に、先生のお話を聞いて「お~ 浄土ってそんないい所なら、みんなで修学旅行に行こうやんけ~」などと言って笑わせていたとか。また、有名人になってからは「わしは、高校時代に先生から「おまえは大谷高校のゴミや」と言われてたんや、でも最近高校を訪ねたら「お前は大谷高校の誇りや」って言われた」「ゴミから”ほこり”へ、ちょっとランクアップしてたわ」と笑わせていたらしい。(延塚先生のこぼればなしより )そんな島田紳介は高校時代一度も欠席したことがなかったという。「無茶苦茶やっとったからね、楽しかったわ~」とテレビで言っていたのが印象的です。そんな紳介が人生最悪の逆境 の時に高校の恩師から一通の手紙が届いた。
その手紙に一言だけしたためてあった言葉は
「今しか見えないものを、しっかり見ておきなさい」
先の恩師からの一言で、島田紳介は目から涙があふれて来たそうだ。止めどなくあふれる涙をどうする事も出来なかった。ゲスト一同がジ~ンと感動している所に紳介が「東野、おまえなにポカ~ンとしとんのや」で、大爆笑。(ここらへんの笑いのツボは、説明しきれませんが)
  信介2 


紳介さん、You Tubeで復活してほしいなー。


紳助youtubeの動画 misono チャンネル
【神回】アップするのをやめてましたが…島田紳助さんのファンの為にやっぱり公開します。〜音量注意〜後編【ヘキサゴン】



2020/06/20

ブラジル日本移民112周年のお参り。妻のファビアと一緒に

6月18日はブラジルの日系移民の日です。
コロナウイルス騒ぎでいつもなら朝9時にマリリア市の有志の方と一緒にお墓参りをして、その後に夜は日系会館で移民法要をお勤めするのですが、今回は公には開催されなかったようです。 なので私は午前中に一回、午後には仕事を終えたファビアと一緒にお参りに行きました。
 人数的には寂しいものになりましたがでもファビアとファビアの持ってきたお爺ちゃんとおばあちゃんの位牌を置いて一緒にお参りできたのはよかった。いいご縁だったと感じています。下のYou Tube動画は午前中に一人で行ってきた時のものと午後のを収めています。
最後にファビアにおじいちゃんやおばあちゃんの思い出を語って貰う予定でした。ファビアもいいよと言っていたのですがお勤めが終わると昔を思い出して涙ぐんでしまい、それができませんでした。でもその涙が多くの言葉以上に強く私に大切なものを伝えてくれました。ファビアの先祖は沖縄移民で、私も結婚してからファビアの故郷へ一緒に行ってきました。おじいちゃんおばあちゃんは戻ったことはなかったそうです。 殆どの移民は3−4年ブラジルで働いたら戻ってくるつもりで来ています。いわゆる出稼ぎです。しかし当初の話と現実のブラジル生活は違っており沢山の方が苦労し、また病気でなくなっています。 もちろん成功した人もいますが、その格差でまた悲しい出来事が起こっています。ブラジル日系移民の歴史はいまではネットで検索したら出てきますので、ぜひ御覧ください。










※ サンパウロでもコロナの騒動で毎年行われている法要が一同を介して行うことが出来なかったので、ネット配信をしました。すべて字幕がついていますのでぜひご覧ください。
ブラジル日本移民112年を記念して開催される、ブラジル日本文化福祉協会(石川レナト会長)、ブラジル日本都道府県人会連合会(市川利雄会長)とブラジル仏教連合会(塚本智光会長)主催の「ブラジル日本移民開拓先亡者追悼法要」が、18日(木)午前10時からオンライン上で動画公開される事が決まった。  コロナ禍により多くのイベントが中止となっているが「日本移民の日を大切にしたい」という多くの声が上がっており「何かできないか」と山下文協副会長や市川県連会長をはじめとする関係者が会議を重ね、オンラインによる動画配信に至ったという。各団体からのメッセージを募り、動画に収められる予定。  例年、文協、県連と仏教連合会が合同開催する法要式は、イビラプエラ公園のブラジル日本移民開拓先亡者慰霊碑と、日本文化福祉協会の大講堂で行われていた。日本移民110周年となる18年には1千人が大講堂に訪れ満員となっていた。  仏連担当者は「先人たちに思いをはせていただくとともに、現在のコロナ禍から一日でも早く元の生活に戻れるよう、そして、更に充実した日々を迎える事が出来るよう心静かにご覧いただければ幸いです」と視聴を呼びかけている。  【オンライン追悼法要については】 https://www.bunkyo.org.br/112-anos-da...  【動画公開先(文協チャンネル)】 https://youtu.be/RCg-TECadUQ Boa tarde, como vocês estão? Nós escrevemos a respeito de o Rito Budista em Memória dos Pioneiros da Imigração Japonesa da Federação das Escolas Budista do Brasil (F.E.B.B) com o Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa de Assistência Social ("Bunkyo) e a Federação das Associações de Províncias do Japão no Brasil. O dia 18 de junho é o dia dos Pioneiros da Imigração Japonesa no Brasil, e, todo ano nós fazíamos este rito no Monumento "Irei Hi" do Pq. Ipiranga e Grande Auditório do Bunkyo. Neste ano, nós o faremos online (You Tube) por causa do coronavírus. Mandamos URL do rito, e, por gentileza, poderia assistir o vídeo dele. Clique aqui; https://www.bunkyo.org.br/112-anos-da... Vocês podem assistir o vídeo a partir do dia 18 de junho, às 10 horas. Talves o vídeo seja removido depois o decorrer dos alguns dias, por isso o assista mais cedo, por favor. O artigo sobre este rito está colocado no Jornal Nikkey de hoje. Enviamos URL e PDF. Clique aqui; https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/200... Nós ficaríamos agradecidos se compartilhar esta mensagem para famílias, amigos e conhecidos. Muito obrigado Abraços


年表 

1803年:陸奥国出身の津太夫や善六ら5名が初めてブラジルに上陸した日本人となる[12] 1892年:ブラジル政府が日本人移民の受け入れを表明 
1895年:日伯修好通商航海条約締結 
1908年:正式移民開始(「笠戸丸移民」) 
1915年:初の日本人学校「大正小学校」開設 
1917年:海外興業株式会社設立 
1919年:初の農業組合である日伯産業組合が設立 
1929年:ブラジル拓植組合設立 
1938年:ヴァルガス大統領が移民同化政策を開始 1941年:日本人移民受け入れ停止 
1942年:日伯国交断絶 
1945年:第二次世界大戦においてブラジルが日本に宣戦布告 
1951年:日伯国交回復 
1953年:日本人移民受け入れ再開 
1954年:日系ブラジル人2世の田村幸重が連邦議員に就任 
1969年:日系ブラジル人2世のファビオ・ヤスダ(安田良治)(ポルトガル語版)が商工大臣に就任 
1973年:移民船による移民廃止 
1980年:サンパウロ市議会「日本人移民の日」を制定(6月18日) 
1989年:日本の出入国管理法が改正、日系ブラジル人就労者の受け入れ開始
 2008年:日本人移民100周年(日本ブラジル交流年)


年表[編集]

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