2021/07/10

600人前‼️ ブラジル・マリリア真宗本願寺(東本願寺)うどんまつりの下準備






明日は毎年恒例のお寺のうどんまつりです。昨年はコロナの影響で中止になったのですが、今年はワクチンも30歳以上摂取しており、さらに市の条例でも座って食べるのはその場所の広さに対して30%から40パーセントくらいの人数なら大丈夫ということなので、行う運びとなりました。 しかし座って食べる場所はつくらず全部持って帰ってもらう方式(ドライブスルー方式)となりました。



しかも、いつもなら巻き寿司、お餅、コッシーニャやビールなども販売するのですが、それらはやめてうどんのみの販売となりました。これはおもに作る時に大人数を頼めないという理由からです。

昨年の4月頃から多くの日系のフェスタ(まつり)が中止になった事もあってか、ひさしぶりのうどんの販売は前売りが大盛況で当初500だったのが600にまで膨れ上がりました。
これぞお陰様です! みなさまありがとうございます。

明日は初めてのお持ち帰りのみの販売で緊張しますが、頑張りたいと思います!

ちなみにマリリア真宗本願寺婦人会のうどんの特徴は鳥の柄を使った醤油だしにあります。
すごくおいしいのですよ! 日本の方々にも食べてほしいなー

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2021/06/11

研修医のアマンダにインフルエンザの予防注射をしてもらいました。 ブラジルも毎年あります

  研修医のアマンダにインフルエンザの予防注射をしてもらいました。

ブラジルに来て13年ですが黄熱病やそのほか2−3の予防接種は受けているものの(そうでないと国を跨げなかった)インフルエンザは避けていました。

 しかし昨年初孫のニコラスを迎えるにあたって、おじいちゃんも予防接種を受けないと抱かせてあげません。と半分冗談、半分本気で言われ渋々受けたのです。その効果があったのでしょう、年に4回は風邪をひいていたのに全く風邪をひかなかったのです。


孫のニコラスです。

 それで今年は自主的に受けることにしました。妻のファビアのお姉さんアライネさんはお医者さんで娘のアマンダは現在研修医なのです。それで今回は娘のアマンダに注射してもらいました。

 ブラジルは現在次々とコロナの注射を打っています。私が住んでいるここマリリア市では55歳以上までの接種が進んでいます。その注射を1日に120人もの人にうっているそうです。研修医といってももう本番さながらなんですね!それだけ打つと上手くなるはずです。

 今回の映像はインフルエンザの予防接種の様子です。ご覧ください。



アマンダです。

 アマンダはまだ若い研修医です。現場でコロナ患者が多く収容されて誰を最初に手当てするか、だれに数が限られている呼吸器を優先的に与えるかの選択の場に立たされて相当心の痛手を感じたそうです。 本当に大変な現場を経験しています。特に今はきつい時期ですが乗り越えて素晴らしいお医者さんになることを願っています。
アマンダありがとう!
ほとんど痛くなかったし、こういう予防接種の後は副作用がいつもあるのですが、今回はほぼなかったです。

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2021/06/02

南米で宮沢和史「島唄」がヒットし続けている理由  (中日新聞より 今週のことば くり返す悲しみは島渡る波のよう ) 

今回は中日新聞からの記事を引用させてもらいます。

 記事を書かれた尾畑文正 同朋大学名誉教授はここブラジルで3年半開教監督を勤めた方でわたしもその時を境に先生とひたしくさせてもらっています。先生は私が日本にいた時から存じ上げていましたが、一度もお会いすることはありませんでした。そういった意味でブラジルの地が尾畑先生に合わせてくださったのだと感じています。

 その先生が日本に帰ってからもブラジル(南米)のことをよく取り上げて法話やこのような記事を書いてくださることはとっても嬉しいです。 日本語の記事の後にポルトガル語の翻訳を書いていますが、これは私がGoogle翻訳を利用して貼り付けたものですので不正確だと思いますが、ニュアンスが少しでも伝わったらと思い掲載しました。

歌詞が実際の記事より多く書いてあるのは記事の文字数や著作権の問題によって掲載できなかったものを本来の先生の希望通りの歌詞を付け足したものです。


中日新聞より

今週のことば


くり返す悲しみは島渡る波のよう


           宮沢和史「島唄」


            尾畑文正


一九四五年四月一日、連合軍は沖縄島上陸。二日から日本軍との織烈な戦いが始まり、六月二十三日に組織的な戦闘は終わった。この沖縄戦の地獄絵図を語る体験者の言葉に宮沢和史氏は身を据え、非戦平和の願いを込め「島唄」を作詞作曲した。やがてこの歌は海を越え南米社会でも大ヒットする。なぜ南米で「島唄」なんだろうか。私は宗教関係の仕事でプラジルに三年半いた。そこで南米に「島唄」を受け入れる土壌があることを知った。


 南米での日系移民の中、沖縄出身者はアルゼンチンで約70%。ペルーで約65%。ポリビアで約60%プラジルで約10%である。それら沖縄出身者が五年に一度、那覇などに集まり、世界のウチナーンチュ大会を開く。沖縄への思いは強く、きっと沖縄戦の悲劇がうずくまり、その心が「島唄」に共鳴し大ヒットをもたらした。


でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た

くり返す悲しみは 島渡る波のよう

ウージの森で あなたと出会い

ウージの下で 千代にさよなら


どこにあっても果てることはない。


(同朋大名誉教授)









Palavras da semana


 “A tristeza repetida é como uma onda que atravessa a ilha”


 Kazufumi Miyazawa      "Canção da Ilha"  “SHIMA UTA”


                                                                 Escritor    Bunsho Obata


 Em 1º de abril de 1945, os Forças aliadas desembarcaram na Ilha de Okinawa.  Uma batalha feroz com o exército japonês começou no dia 2, e a batalha organizada terminou em 23 de junho.  Kazufumi Miyazawa estabeleceu-se nas palavras do experimentador que falou sobre o quadro infernal da Batalha de Okinawa e escreveu e compôs "Shima Uta" com o desejo de uma paz sem guerra.  Eventualmente, essa música cruzou o mar e se tornou um grande sucesso na sociedade sul-americana.  Por que é uma "canção da ilha" na América do Sul.  Passei três anos e meio em brasil para trabalho religioso.  Lá, aprendi que há solo na América do Sul que aceita "canções de ilha".

 

 Entre os imigrantes japoneses na América do Sul, cerca de 70% são de Okinawa, na Argentina.  Cerca de 65% no Peru.  Cerca de 60% para a bolivia e cerca de 10% para o Brasil.  Os de Okinawa se reúnem em Naha e em outros lugares uma vez a cada cinco anos para realizar o torneio Uchinanchu em todo o mundo.  Tenho um forte sentimento por Okinawa, e a tragédia da Batalha de Okinawa certamente se abateu, e aquele coração ressoou com "Shima Uta" e trouxe um grande sucesso.


 "As grandes flores estão em plena floração, o vento chama e a tempestade está chegando.

DEIGO GA SAKIMIDARE, KAZE WO YOBI ARASHI GA KITA


A tristeza repetida é como uma onda que atravessa a ilha

KURIKAESU KANASHIMIWA SHIMA WATARU NAMI NO YOU

 

Te encontro na floresta ūji

UJI NO MORI DE ANATA TO DEAI


 Adeus a eterno sob  ūji ", 

UJI NO SHITADE TIYO NI SAYONARA


não importa onde você esteja.


 (Professor Emérito da Dobo University)



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