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2021/09/09

「眠れぬ夜を 嘆くものは多いが 目覚めた朝に 感謝するものは少ない」(かわいい孫のニコラスとお寺の掲示板に作品を仕上げました。)

かわいい孫のニコラスとお寺の掲示板に作品を仕上げました。



 かわいい孫のニコラスとお寺の掲示板に作品を仕上げました。

毎月の法語を書いていますが、たまたま遊びにきていた孫のニコラスにも手伝ってもらいました。ニコラスは今年2歳になります。ちょうどコロナが世界的に蔓延した時に生まれたのです。しかし元気にすくすくと育っています。



 私と妻のファビアはニコラスにとっておじいちゃん、おばあちゃんになるのですが、わたしよりもファビアの方が日本語や、日本的な事を教えようとしているのが面白いです。ニコラスのお母さんのタイスちゃんもそれを嫌がるようでもなく、お寺でお焼香をさせたりしても付き合ってくれます。ちなみに彼女は無宗教主義です。



9月の法語



眠れぬ夜を

嘆くものは多いが

目覚めた朝に

感謝するものは少ない


ポルトガル語


Muitos queixam da noite de insônia, mas, 

Poucos adradecem pelo despertar da manhã .


スペイン語


Muchos se quejan de la noche del insomnio,

Pero pocos agradecen el despertar de la mañana. 



南米で配布されるカレンダーなので、3ヵ国語で書かれています。
わかりやすい法語でポルトガル語にしても宗教に関係なく届く言葉を選んでいます。
今回の言葉も日常の中で忘れがちな、感謝の心を教えてくれていると思います。

しかし、この頃な時代を経験した人は普通の日常のありがたさを改めて感じた人も多いと思います。普段の生活の中にふと思う何気ない感覚に大切なおしえが潜んでいるのでしょう。



ブラジル

マリリア市のマリリア真宗本願寺

R. Vinte e Quatro de Dezembro, 1587 - Alto Cafezal, Marília - SP, 17504-010


https://goo.gl/maps/dYGH2PEHHGxTnp6T8



「ブラジル・シュウちゃんねる」


2021/09/07

ブラジルに仏教を伝えた第一人者のブラジル人。ヒカルド・マリオ・ゴンサルベス先生Ricardo Mario Gonçalves師がお浄土へお帰りになりました。

本日202196日午前5時頃、南米開教区開教使Ricardo Mario Gonçalves師がご逝去されました。師は1981年に得度され、1986年から現在に至るまで35年間、開教使として、また南米教学研究所の研究員として南米開教区における教化活動の中心となりご活躍いただきました。その活動は大谷派だけにとどまらず、今日ではブラジルにおける仏教研究においても多大な功績を残されております。

真摯に教えに向き合う師の姿勢、お念仏が中心の人生を歩まれたそのお姿は、私たちにとっても大切な道標でございます。

このたびの師のご逝去を悼み、ここに謹んでお悔やみ申し上げます。





 上記のメールが監督部から昼に届く前から、各方面からリカルド先生がお亡くなりになったという情報が届いていました。以前から体調が悪く入院したが回復している、コロナの陽性だったが回復しているという話が届いていたので、非常にショックでした。そのままいつもの通りオンラインの朝のお勤めをしました。その朝の蓮如上人の御文は疫癘(えきれい)」の御文でした。


ヒカルド先生との出会い

 

 私がまだ大谷大学の学生だった時たまたま校内ですれ違っています。しかも二度も。おそらく校内を案内されていたのでしょう。随行の先生が私に「ブラジルから生出になっている先生なんですよ。」と教えてくださり、「それは、ようこそ遠いところから」と言いたかったのですが、英語も何もできない私は驚きも手伝って、頭を下げると、にっこり笑って日本語で「初めまして」とおっしゃったと思います。もしかしたら「ヒカルドです」とお名前もおっしゃっていたかもしれません。
 
 そういうことが確か二度、大谷大学時代にあったのです。きっと何か特別な研究の為に日本に滞在にされていたのでしょう。その時私はその20年後にはブラジルの地で先生に再会するとはこれっぽっちも思っていなかったのです。


ヒカルド先生の功績


 先生はブラジルの国立大学の最高峰であるUSP大学の歴史学の教授でもおいででした。

しかし、それ以上に10代の頃より日本文化に傾倒し、日本仏教を学び、自らも僧侶となり、多くの経典や仏教書を翻訳して、ここ南米の地に仏教、特に浄土真宗の他力念仏の教えを広めた第一人者でした。日本語は日本人よりも難しい漢字を読むことができ、当然、英語も堪能でした。まさに南米に生きる三蔵法師そのものの偉業を成し遂げて、しかも現在まで現役で活躍なさった方なのです。


 おそらく先生のポルトガル語の仏教書は今後日本語にも翻訳されるのではないかと思われます。またYouTubeに先生の法話がいくつも上がっているので見ることができます。それも今後翻訳されると思われます。


 先生の偉業は日本仏教の翻訳にあります。日本仏教とはいえ、中国の漢文の経典を用いつつ熟成されたものですので、中国語と日本の文化のバックグランドを読み込んだ上で、サンスクリット文献、また諸外国で翻訳されている主に英語の情報も取り入れて、ポルトガル語に訳しておいででした。ポルトガル語はカトリックの宗教用語が詰まっているので、例えば信心とか信仰という言葉をそのまま翻訳するとカトリックの用語の信心、信仰と誤解されてしまうので、工夫を凝らして仏教の国を超えて伝わってきたそのエッセンスを如何に訳するか? という超人的な仕事をしてこられました。


リカルド先生を念じて


 私は今だにポルトガル語もほぼできず、またそれでは日本語での仏教をマスターしているか? と問われたら困ってしまうような者ですが、それでも先生にお会いして、サンパウロでも先生の講義を(もちろん99%ポルトガル語ですが)聴聞する機会を頂けたのはありがたいことだと思います。


 今日の午後3時にオンライン葬儀が行われ、130人余りの方々が参加されましたが、まさに法然上人を彷彿とさせるように宗派を超えて、職種を超えて沢山の人々が参加されました。最後に数人の人が謝辞(弔辞)を述べられました。各宗派の方、翻訳家の方、先生の生徒で日本で活躍するブラジル人などなどです。そして皆さんが最後に「南無阿弥陀仏」と念仏を称えたのは、本願他力の教えに生涯を捧げたリカルド先生の念仏の教えが宗派を職種を超えて広がっている証しだったと思います。


現開教監督・輪番である塚本智光輪番が葬儀でご法話でリカルド先生のエピソードお話をしてくださいました。リカルド先生が、Tres joiasというブラジル仏教のドキュメンタリー映画の対談の時どなたかが、「ブラジルで仏教を学ぶものは高学歴で金持ちが多いのですがどう思われますか?」と尋ねた所、リカルド先生は憤慨したような面持ちで「いえ、仏教の教えは貧しい人こそ救われていく教えなのです」と応えたという話がでとても印象に残りました。

 仏教では貧しい人、金持ちを銀行口座の残高で決めるのではありません。また仏教の智恵とは色々な知識が頭に入っている人を指すのでもないのです。貧しい我々が共に救われていく道が本願他力の念仏の教えである事を即座に応えた先生の大切なエピソードです。



源空光明はなたしめ

門徒につねにみせしめき
賢哲愚夫もえらばれず
豪貴鄙賤もへだてなし


南無阿弥陀仏





大谷暢裕御門首のコメント


 最後に現在の真宗大谷派 (東本願寺)の門首である、大谷暢裕御門首の挨拶の一部を紹介します。先生のお父さん、大谷暢慶氏もリカルド先生と親交があり、大谷暢裕御門首自身も様々な教えを共に学んだことに感謝し、先生の偉業をたたえておいででした。またご家族を労り、今後も念仏の教えを大切にされる事をお願いされました。
 大谷暢裕御門首は現在日本の本山に住んでおいでですので、ブラジル時間の午後3時は日本では深夜の3時にもかかわらずオンライン葬儀に参加され、思い出を語り先生の偉業に感謝の言葉をかけてくださったのは大変ありがたい事でした。

最後に


ヒカルド先生、大変ありがとうございました。先生とたまに別院でお会いする時に、いつも丁寧に頭を下げて両手で手を握って「お元気ですか?」と優しく挨拶をしてくださったのが嬉しかったです。
 これから私は苦手な語学と仏教の勉強ですが、少しづつ続け先生の残された本を読めるようになる事を目標にします。現在先生を中心に翻訳された『口伝鈔』を毎日少しづつですが読んでおります。

南無阿弥陀仏




ー以下、疫癘(えきれい)」の御文の本文ー


当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、いまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきようにみなひとおもえり。これまことに道理ぞかし。このゆえに、阿弥陀如来のおおせられけるようは、「末代の凡夫、罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくうべし」とおおせられたり。かかる時はいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしとおもいとりて、一向一心に弥陀をとうときことと、うたがうこころつゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこころえのうえには、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ともうすは、かようにやすくたすけまします、御ありがたさ、御うれしさを、もうす御礼のこころなり。これをすなわち仏恩報謝の念仏とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。

延徳四年六月 日








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ちなみにドキュメンタリー映画Tres joiasは、本派本願寺の僧侶、菅尾健太郎(日本人)が監督で、現在私と同じマリリア市に住んでおいでです。マリリア市の西本願寺の僧侶です。

さらに、ヒカルド先生の日本映画の字幕翻訳の功績を称えた記事のリンクを添えます。
椿三十郎やナショナルキッド、七人の侍などです。

2021/08/31

口伝鈔 6章 ポルトガル語翻訳 原文 現代文付き note



 今日紹介するのは、私のもう一つのブログnoteに掲載しているものです。普段は日常のあまり宗教的でない話を書いていますが、私の本職はブラジルでの僧侶をしていて、毎日のYouTubeでの朝のお勤めのライブ配信の後の法話(感話)で使用するテキストをnoteというブログに掲載しています。


 notoは広告がつかずレイアウトもスッキリしていてまさにnotoとしてシェアしやすいのが特徴です。

宣伝も兼ねて今回はこちらにもシェアさせてもらいます。よかったら登録して朝のお勤めも一緒にしましょう!毎日少し読経して、親鸞聖人や仏教のお話を聞くのは生活を潤すことになります。 拙いですがポルトガル語でも話すようにしています。

https://note.com/izushu


ポルトガル語です。この翻訳は東本願寺のオフィシャルの確かなポルトガル語です。

 Capítulo 6 


Sobre o Ícone Sagrado e as Escrituras Sagradas 


Quanto a disputas entre discípulos e companheiros de busca, privando alguém do Ícone Sagrad24 e das escrituras sagradas, e advertindo contra tais coisas. 

   Uma vez quando Mestre Shinran estava presente, Shingyō Niizutsumi, proveniente da província de Hitachi25, intencionalmente discorreu contra um ponto doutrinário explicado pelo Mestre e foi excluído, sendo mandado de volta para casa. O discípulo Ren'i disse: "Sendo que Shingyō vai deixar a Irmandade e voltar para casa, devemos pedir-lhe para retornar seu Ícone Sagrado e as escrituras sagradas em sua posse, especialmente porque você assinou suas cópias do ensino sagrado como Shaku Shinran. Pergunto à Irmandade: ele vai tratar esses itens com respeito?" 

   Mestre Shinran respondeu: "Nunca devemos exigir o retorno do Ícone Sagrado ou escrituras sagradas. Especialmente porque eu não sou um professor, nem chamo ninguém de discípulo. "Somos todos discípulos do Tathagata26. Nós somos companheiros de senda. Ao refletir sobre o ato de receber o Verdadeiro Coração Confiante do Ir-nascer através do Nembutsu ela aparentemente surge dos meios hábei27 dos dois Honrados do Mundo- Shakyamuni e Amida - e não por causa da minha intervenção. "Quando surgem diferentes opiniões no mundo, a terra se enche de demandas para devolver o Ícone Sagrado e escrituras sagradas, para devolver os títulos conferidos e para restituir o Verdadeiro Coração Confiante recebido. Após a contemplação, percebe-se que tais coisas não devem ser feitas. 

   "O Ícone Sagrado e as escrituras sagradas são pretendidos como 



24 Do japonês [gohonzon], objeto de devoção. 


25 Atual Prefeitura de Ibaraki 

26 Tathagata em sânscrito, literalmente "aquele que veio" (da Verdade) 

27 Em sânscrito: [upäya] 




meios hábeis que beneficiam seres vivos. Se alguém decidir cortar laços comigo e entrar na comunidade de outra pessoa, não tenho monopólio de tais materiais. Os Ensinamentos do Tathagata fluem livremente por todo o mundo. "Mesmo que alguém não goste da forma como eu, Shinran, exprimo os Ensinamentos, então leve as escrituras sagradas para as montanhas e despeje-as por lá e os seres vivos nesse lugar certamente serão salvos por aqueles escritos, destinados a beneficiar os seres em todos os lugares. Assim, um almejado desejo de beneficiar todos os seres vivos será cumprido." 

   "Temos que entender esses itens como um tesouro pertencente aos seres comuns não iluminados e não podemos nem mesmo pensar em exigir seu retorno. Leve isso a sério”.



原文は西本願寺のサイトを利用しています。東本願寺のサイトはふりがなの確認に使っています。 お西のサイトは言葉の意味のリンクがついているので活用しやすいのです。 お東のサイトは真宗聖典に則っている点で使いやすいです。



原文


本尊と聖教 (お東には小見出し無し)

(6)

一 弟子・同行をあらそひ、本尊・聖教を奪ひとること、しかるべからざるよしの事。

 常陸の国(ひたちのくに)新堤(にいづつみ)の信楽坊、聖人[親鸞]の御前にて、法文の義理ゆゑに、仰せをもちゐまうさざるによりて、突鼻(とっぴ)にあづかりて本国に下向のきざみ、御弟子蓮位房(れんにぼう)申されていはく、「信楽房の、御門弟の儀をはなれて下国のうへは、あづけわたさるるところの本尊・聖教をめしかへさるべくや候ふらん」と。「なかんづくに、釈親鸞と外題のしたにあそばされたる聖教おほし、御門下をはなれたてまつるうへは、さだめて仰崇(ぎょうそう)の儀なからんか」と[云々]。聖人の仰せにいはく、「本尊・聖教をとりかへすこと、はなはだしかるべからざることなり。そのゆゑは親鸞は弟子一人ももたず、なにごとををしへて弟子といふべきぞや。みな如来の御弟子なればみなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦・弥陀二尊の御方便として発起すとみえたれば、まつたく親鸞が授けたるにあらず。当世たがひに違逆(いぎゃく)のとき、本尊・聖教をとりかへし、つくるところの房号をとりかへし、信心をとりかへすなんどいふこと、国中(こくじゅう)に繁昌(はんじょう)と[云々]、かへすがへすしかるべからず。本尊・聖教は、衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて他の門室に入るといふとも、わたくしに自専(じせん)すべからず。如来の教法は総じて流通物(るずうもつ)なればなり。しかるに親鸞が名字ののりたるを、法師にくければ袈裟さへの風情にいとひおもふによりて、たとひかの聖教を山野にすつといふとも、そのところの有情群類、かの聖教にすくはれてことごとくその益をうべし。しからば衆生利益の本懐、そのとき満足すべし。凡夫の執(しゅう)するところの財宝のごとくに、とりかへすといふ義あるべからざるなり。よくよくこころうべし」と仰せありき。


ふりがな 東本願寺 真宗聖典検索サイト

https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/contents.html?id=1&page=655



現代文はKindleで購入することができます。

以下にリンクあります。ふりがなは私が打ち直しています。



現代文


 弟子や同行を争い、本尊や聖教を奪い取ることは、よろしくないということ。

常陸(ひたち)の国新堤(にいづつみ)の信楽房が聖人(親鸞)の前で経文の意味について聖人の仰せられることを故意に用いなかったためにおとがめを受けて、本国に帰って行くとき、お弟子の蓮位房(注4)が申し上げて、「信楽房がお弟子のあつかいを離れて帰国するうえは、お渡しになった本尊と聖教はお取りかえしになられたらいかがでしょう」と言った。[そしてさらに〕「とりわけ、釈親鸞と外題の(注5)下にみずからお書きになった聖教が多いのですから、ご門下を離れます以上は、きっと崇敬の念も無いのではないでしょうか」と言った。聖人のいわれるには、


 本尊や聖教を取りかえすことは適切なことではない。そのわけは、親鸞は弟子は一人も持たない(注6)からである。なにを教えたことで弟子と言うことができるのであろうか。だれもが如来のお弟子であるから、みな共に念仏のなかまである。念仏によって浄土に生れると信ずる心がえられるのは、釈尊と阿弥陀仏のお二方がてだてとして起して下さったものである、と説かれていることだから、これはまったく親鸞が授けたのではない。今日、おたがいに意見が異なる時、本尊や聖教を取りかえし、付けてやった房号を取りかえし、信心さえも取りかえすなどということが、国じゅう到るところでさかんに行われているといわれているが、これはかえすがえす適当ではない。本尊や聖教は、生あるすべてのひとを救うためのてだてであるから、親鸞との交りを捨てて、他の門下にはいるといっても、わたしだけで独占してはならない。如来の教えは総じて世間に広がって行くものだからである。ところが、親鸞の名前が載っているものを、法師が憎いときは袈裟まで憎いといった風に、厭わしく思って、たといその聖教を野・山に棄てるとしても、そこに住むさまざまなものたちがその聖教によって救われて、すべてがその恩恵をうることだろう。そうとすれば、生あるものに恵みを与えようという仏の本意は、そのとき満たされることになろう。愚かなひとが執着するところの財宝のように、取りかえすということは、あってはならないことである。よくよくこのことを心得なければならない。と仰せられた。


同行心をひとしくし、信仰を等しくして、同じ道にいそしむもの。親鸞には弟子はない、すべては同行であり、同朋である、と説かれた。ここから、等しく同行、同朋として相互に敬愛する風が生じたのである。


本尊 崇敬の対象として観想や礼拝・讃嘆される仏。菩薩などの像、またはそれを示す名号、符号などをいう。法然の「没後起請文」によると、かれは「三尺弥陀立像」を本尊としていたことが知られる(真宗聖教全書四・五三一)。六字の名号を本尊としたかどうかは明らかでない。また絵像が礼拝の対象とされたが、絵像のうちに「摂取不捨曼陀羅(まんだら)」とよばれるものが用いられたことは 『興福寺奏状』によって知られ、これが旧仏教側の反感を呼んだものの一つであった。親鸞では名号が重視され、南無阿弥陀仏の六字、南無不可思議光如来の九字帰命尽十方無得光如来の十字が用いられたことは、かれの書によって認められる。また 『改邪鈔』第二章参照。一七三ページ。



三 

信楽 『親鷺門侶交名牒(きょうみょうちょう)』万福寺本に下総「ニヰツ」の信楽をあげている。 『吾妻鑑』元久二年十一月十五日の条にかかげる念仏行者、相馬次郎師常(もろつね)の子で、親鸞の門弟の中でも重きをなしていたが、この時の勘気(かんき)で門弟を去ったらしい。しかし覚如がさだめた二十四輩(解説参照。二五四ページ)にはその名を連ねているから、改めて門弟のなかに加えられたのかもしれない。ただ 『ロ伝鈔』は明らかに常陸(ひたち)とするが、 『交名牒(きょうみょうちょう)』その他は下総(しもうさ)とし、新堤(にいつづみ)を新地とするから、同名異人の疑いはある。また二十四輩を定めたときに、生存していたひとではない。


蓮位 親鸞に常随した弟子。 『交名牒(きょうみょうちょう)』にも「洛中」として掲げる。 『末燈鈔』には、慶信が親鸞に送った手紙に「進上聖人の御所へ蓮位御坊申させ給へ」(同二・六七六)とあって、蓮位にとりつぎをたのんでいることが知られ、蓮位もまた病中の師に代って、長文の返事を慶信に書き送っている(同二・六七七ー六八0)。このことは随侍(ずいじ)の弟子であったことをよく語っているが、蓮位はまた師より 『教行信証』を付嘱された弟子の一人で、証巻・真仏土巻がかれに与えられたことは注目される。本鈔第十三章に、蓮位の夢の記をのせる。


外題  書物の表紙に書かれた標題。法然が親鸞に付嘱した 『選択集』には、「選択本願念仏集の内題の字と、并びに南無阿弥陀仏、往生之業念仏為本と釈綽空の字」とが法然の真筆で書きしるされた( 『教行信証』後序、同二・二〇二)という。またこのとき法然の肖像が描かれているが、これにも法然は真影の銘を書き与えている。


親鷺は弟子は一人も持たない 『歎異抄』第六章参照。二七ページ。





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歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版

親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)



以下はネットで見つけた今回の6章に登場するお弟子さん信楽房のいわれです。

ネット社会になってこういう情報も手軽に手に入れることができるのでありがたいことです。 



浄土真宗本願寺派正法寺

親鸞聖人二十四輩より

http://www.sol.dti.ne.jp/~shiraka/24hai.html



 信楽房の俗姓は、鎮守府(ちんじゅふ)(陸奥(みちのく)・出羽二国の蝦夷(えぞ)を鎮定するために置かれた役所)将軍、村岡五郎良文の流れをくみ、千葉介(ちばのすけ)常将(つねまさ)四代の孫千葉介常胤(つねたね)の嫡子(ちゃくし)、相馬(そうま)二郎師常(もろつね)の子、三郎義清(よしきよ)とあり、いわゆる武家の出である。寺伝によると、義清は当時下総(しもうさ)の太守(たいしゅ)の任をもち「にいつつみ」に住んでいたが、建暦二年(1212)関東に入った親鸞聖人が伝道に力を入れはしめた頃、義清の守り本尊薬師如来の霊告により、聖人の法を聞いて弟子となった。義清は法名を信楽と賜り、自邸を改造して一宇を創建し親鸞聖人の教えを実行した。「仮初の教えにそむく言の葉は世々の誠を諌めしもかな」と歌った信楽房は、親鸞の忠実な弟子であったに違いない。しかし、信楽房は親鸞聖人の教えに異議を唱え聖人の元を去ったが、覚如上人が父覚恵上人と共に関東に行かれたとき(1290)、信楽房と会われ、信楽房は自分の非を悔い帰参を許されている。信楽房が亡くなる一年前のことである。



 以上のような形ですが、毎日少しづつ区切って、ポルトガル語の単語の意味と原文や日本語を検証しています。ちょっとした語学の勉強にもなっています。それに言葉を伝えるということの大切さを学べます。仏教はインドから中国、そして日本へと翻訳されてきた教えです。心や精神をどう伝えていくのか? 私たちが日本語で話していても伝わらないことがあります、言語が違えば尚更ですが、その言語を学ぶと同じ日本語で話していても伝え方の勉強になります。


「ブラジル・シュウちゃんねる」


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