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2021/12/27

新発売! ブラジル ・オリジナル 日清カップヌードル フェジョアーダ味!試食 NISSHIN CUP NOODLES FEIJOADA

私は無茶苦茶美味かったです。

 でも生粋の日系ブラジル人である妻のファビアは美味しくないとの感想でした。

まあ、食事の味は人それぞれですから・・・・・

 しかし、日本人の人はほとんどがそもそもフェジョアーダの美味しさを知らないと思います。




フェジョアーダの前にフェジョンについて



 ちなみにブラジルに到着して現地の人によく「フェジョンは好き?」

そして引き続き「フェジョアーダはどう?」聞かれたものです。いまでもたまに聞かれます。というのがこの料理は日本でいうところの味噌汁のように毎日ご飯についてくるブラジルの定番料理なのです。そしてどうやら好き嫌いが分かれるかららしいので尋ねてくるし、美味しい大好き!と返事をすると「へー!」と珍しがられたり、するのですが嬉しそうな反応が返ってきます。

 日本に来た外国人が「日本料理が大好きです」と言われたらなんだか嬉しいのと同じだと思います。


このようにシンプルにご飯とフェジョンもあるし、
ブラジルでお弁当を買うと必ずフェジョンがついてきます


 フェジョンはご飯に添えて混ぜて食べます。見た目は善哉そのものです。ですから日本人は見た目は甘い食べ物に見えるので最初は戸惑うと思います。しかし味は塩味とニンニクの合わさった旨味が効いていて非常に美味しいのです。少なくとも私は最初から抵抗なく美味しくいただきました。今でも大好きです。そしてお店によって味か違うし、豆の種類もたくさんあるようです。味噌汁に家庭の味や地域の味があるのと同じようにフェジョンにもさまざまな違いがあるのです。見た目は大きく変わることはないのでわからないですが、「ここのお店のはシャバシャバして水っぽいな」とか「ここのはダシが効いていて無茶苦茶美味しい!」とわかるようになってきます。

ブラジルではこのようにワンプラットで出されることがおおいです。




フェジョアーダは黒豆フェジョンのもつ鍋

 フェジョンは豆だけもしくはソーセージの切り身などが入っていますが、フェジョアーダになると、黒豆が使われてベーコンや干し肉、ソーセージ、豚の耳や内臓などがてんこ盛りに入っていてさらに旨味や味わいも強くなります。ブラジルではレストランで週に一回はフェジョアーダの日というのがあって、それをお昼に食べると腹持ちがよくって夜ご飯がいらないくらいです。美味しいからたくさん食べてしまうからかもしれません。もちろんこれも人それぞれでモツは嫌いなので入れないとか食べないという人もいます。しかしこのフェジョアーダもブラジルの国民食と言っていいでしょう。 それに目をつけて日清がフェジョアーダ味のカップヌードルを新発売したのです!

ブラジルに来たら是非食してみてください。


旨味も強くかなり美味しいですよ!

もちろんフェジョアーダも地域やお店で味やスタイルが変わります。
是非いろんなお店で味わってください。


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「ブラジル・シュウちゃんねる」






2021/12/23

ブラジルのお寺の正面に植木(太陽電池式の灯り付き)を置いたらとっても綺麗になりました。

 

20211221


ブラジルのお寺の正面に植木を置いたらお寺全体がとっても綺麗になりました。

元々はファビアが庭いじりが大好きで、その延長上でお寺の正面に植木を並べたのを見ていました。三ヶ月前くらいからもっとデザイン的な鉢に植え替えよう!という話をしていたのですが、それがやっと実現しました。


お寺のすぐ近くの植木屋さん「もみじ」で書いました。現在は

Marília Garden


という名前でしたが、移転して名前が変わりました。でも小さい字で昔の名前も書いてあるのです。

Av. Castro Alves, 150 - Somenzari, Marília - SP, 17506-000

+551433180624


入り口には鳥居があるので、もみじといい鳥居といい広島を意識しているのです。

店主はブラジル人ですが、日本にしばらく滞在していたのです。そういうこともあって日本贔屓でよくしてくれます。

 以前もお寺に植木を植えてくださいましたが、それはもう立派に育ってお寺の仏花にいつも活躍してくれています。



 今回は久しぶりの植木並びに初めて鉢を買ってみたら年末にお寺が少しの出費で見違えるようになりました。 鉢はプラスチック製ですが遠目には(近くでも)シックな青磁の陶器に見えます。入り口の両側に置くとお寺がさらに見栄えが良くなりました。少しづつ塗り直したり、改装してきた甲斐があります。


 夜に光る電灯も置いたら夜空に映えて、道ゆく人にも受けがいいみたいでした。

動画でも説明していますが、昼間は太陽電池でエネルギーを蓄えて、夜暗くなったら自動的に明かりを灯すタイプです。

 一つ19レアルで購入しました。ネットでも買えるのですが、地元のお店でネットと同じくらいの値段で売っていたのでそこで書いました。ちゃんと動作するのかどうか不安だったのもありましたが、立派に動いています。お寺の夜景も美しくなり、防犯も兼ねて頼もしい感じです。


クリックしたらブラジルで買えるサイトに飛びます




自分でもできると思っていましたが、プロの手際を見ていたら頼んで良かったと思いました。

ちなみに、手数料は無料でした。ありがたいです!




お寺にお参りする方が喜んでくれると嬉しいです。

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「ブラジル・シュウちゃんねる」



2021/12/16

ブラジルのお寺でヨガ教室始めています。 猫のサラちゃんも毎回出てます。

 11月末から行っているお寺でヨガの動画です。私自身も参加していて、かなり体にいいのでやって良かったと思っています。参加者は8名ほどであまり多くなりすぎず、それがまたいい感じではないかと思っています。 たくさんの人に来てほしい!という気持ちもあるのですが、アットホームな感じでこれもいいのではと思っています。

 でも将来は週に2回くらいの人気になってほしいと言う気持ちもあります。来年からはもう少し強く宣伝してみて、週に2回お寺で少人数で開催できるようになるのではないかと想像しています。

 お寺の雰囲気が先生にも生徒にも好評で確かに写真を見ると落ち着いた感じで照明の効果も相まっていい、ヨガ教室の雰囲気がそのまま写真に表れています。


オレンジの照明のみにして、いい雰囲気になっています。

12月はお休み月間になるので人数は少なめになりましたが、8名くらいが逆にちょうどいいのかもしれません。

先生のグラさんの人柄と生活に染み込んだヨガのテクニックと精神を素人の私たちに合わせて丁寧に説明してくださるので、その功績も大きいと思います。



サラも日頃から鍛えている猫のポーズで参加しています。彼女も毎日ヨガのポーズをしています。参加者に人気のマスコットになっています。

と言うことで、今年度末から始まったお寺でのヨガ教室、やってみて良かったなと思っています。もしブラジル、マリリアにおいでの方は参加してみてください。

Todas Terça-feira inicio 19:00 horas


YOGA HATA
Professora. Grazi Ricci
Particular 40 Reais
Mensal 120 Reais 
Professora. Grazi Ricci
Organização Budista Sinsyu Honganji em Marília Higashi Honganji
17504-010
Rua 24 Dezembro, 1587
Marilia Sao Paulo
Brasil
Bairro Alto Cafezal


Olá sou a Gra Ricci, prof. De Hatha Yoga🕉️ e para quem ainda não conhece, a palavra Yoga significa UNIÃO e refere se a conexão entre corpo,mente e espirito.
A prática é composta por:
-Posturas( adaptáveis p/ cada tipo físico)
- Técnicas de respiração e purificação
- Meditação
Os benefícios do Yoga são inúmeros: 
- Ensina a relaxar
- Diminui estresse e ansiedade
- Alivia dores corporais
- Melhora o sono
- Regula a respiração
- Mantém o equilíbrio Físico,Mental e Espiritual
-Entre outros....
Eu estou aqui para te dar as mãos, te mostrar que você é capaz e que o caminho do Yoga pode ser muito mais simples do que você imagina!!! 🧘‍♀️
"Cada passo dado no caminho do Yoga é um passo dado em direção à você" 🙏
Com amor Gra ❤️ 表示を縮小

ここはフェースブックのページでもご覧になれます。


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「ブラジル・シュウちゃんねる」

2021/12/11

約2年ぶり?久しぶりのサンパウロ市へ出張、法要。そしてサンパウロ別院へ

今日はサンパウロに出張のためにサンパウロ別院でのお参りでした。


2年ぶりでしょうか? コロナ前は年に3−4回は訪れていたサンパウロに久しぶりにきました。6年間住んでいた場所ですが久しぶりに来るとまるで外国に来たような気持ちになりました。

でも久しぶりの知人に会い一緒にお勤めをして話をしたり、以前よく通っていた道を歩いていると少しづつ感覚が戻ってきて、もしかしたら自分はサンパウロにずっといて、マリリアでの8年の生活の方が夢だったのではないだろうか?というような錯覚に陥る瞬間もありました。ちょっとした浦島太郎のような気持ちでもあります。

しかし実際は時は確実に立っていて、物事は移り変わっているのでした。何か感慨深い物がありました。法要に呼んでくださった多美子さんにあらためて感謝です!




ブラジルはもっぱらバス移動、マリリアからサンパウロまではバスで途中休憩も入れて6時間くらいです。バスは満杯!コロナの影響は全くないという雰囲気でした。



バハフンダ・ターミナル、



 久しぶりのリベルダージ日本人街を歩きました。変わっていないようでいろいろなお店ができていてやはり大都会サンパウロはどんどん変わってきるのだと思いました。お店の品揃えの多さに驚愕! 完全におのぼりさん状態でした。金曜日でしたが人通りは少ない方とおっしゃっていました。

 リベルダージの日本・ブラジル文化協会内のサンパウロ人文科学研究所で法要

を執り行いました。


鈴木正威 (まさたけ) 様 

2020418

行年 88

一周忌


本山省三 様 今年お亡くなりになる。

追悼法要



サンパウロ人文科学研究所は今年が75周年なのでそれも兼ねる。人文硏の前身となる土曜会から75年、それも目的にして先達皆さんを追悼 


図書室改修(JICA支援)するので、今後の安全を願っての法要・起工式


施主の細川多美子さんは私がブラジルに来て間も無くお寺の雑誌の編集印刷のお仕事で訪れた彼女の仕事場でお会いして、それ以来多美子さんが主催しているパンデイロ教室に行くようになっていらい、お陰でさまざまな人との出会いに恵まれてとっても大事な経験をさせてもらった私にとって深いご縁の方なのです。

 もうマリリアに移動して8年経つのであっという間にお会いする機会は減っていったのですが、マリリアのわたしの結婚式にも駆けつけてお祝いをしてくださったり、つながりはありました。今回コロナでますますサンパウロとの距離が大きくなっていたのですが、まさか法要に呼んでいただきこうやって2年ぶりにサンパウロでまた再開する事ができたのです。 

 会ってみると想像以上に重大な1日でした。マリリアでも毎日普通の日々を送っていたのですが、サンパウロに来てみるとやはり引きこもっていた事に気がつきました。自覚せぬまま精神的に閉じた世界にいた事が露わになって、マトリックス状態の自分を発見しました。




本来なら別院には挨拶だけして帰る予定だったのですが、塚本智光輪番に声をかけていただき、報恩講にもお参りさせていただく事になりました。久しぶりの別院は相変わらず工事中でサクラダファミリア状態でした。みなさんもお元気そうで安心しました。
 いろいろ直接話を聞くと自分が地方にいて思っている別院との溝がどんどん埋まってきていかに自分が仮想空間に引きこもっていたかがわかるのでした。やはり実際に会うことは大事だと思いました。


久しぶりの別院のお朝勤にも参加でき、一緒に声明を勤める感覚をこれまた久しぶりに味わう事ができました。

南無阿弥陀仏

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2021/12/09

(合計1200レアル)日本でだいぶん前入れた銀歯が取れたので、ブラジルの最新の技術で直してもらいました。

 結構高くつきましたが、丁寧に直していただけました。3Dレントゲンを備えている歯医者で結構精密に直してもらえました。 歯医者の世界もどんどん進化していますね? 日本はもっとすごくなっているのでしょうか?

Quebra dente (ケブラ デンチ)直訳すると「歯が折れる」という名前の食べ物があります。豚の皮を揚げたおつまみで、私はブラジルに来て初めて食べたのですが、大好きです。皮についた脂身がカラッと揚がった香ばしい皮と相まって、カリッとしていながら脂身の旨みとジューシーさがハーモニーとなって、ビールとすごく合うのです。正式にはTorresmo e Pele a Pururuca と言うみたいです。


Torresmo e Pele a Pururuca 別名ケブラデンチ(歯・破壊食)



 そして警告されていたのにも関わらず、そして年甲斐もなくバリバリ食べていたら歯が欠けてしまったのです。

歯医者に行くのが怖いのでまたいつものように二−三ヶ月放置していましたが、やはり歯が欠けていると不都合が多いので観念して新しい歯医者さんにいきました。以前の世話になった美人歯科医のいるお店はなんと潰れていたのです。歯医者さんが廃業になることもあるのですね? 最近ここマリリアにも次々と歯医者さんができていて、もしかしたら過多になっているのかもしれません。確かに歯医者さんがどんどん増えているような感じがします。

 今回の歯医者さんも若い人で、設備もしっかりしていて、器具も最新で、何かするたびに写真を撮影して資料として残していたのが印象的でした。

 日本ではの治療はだいぶ長い間行っていないので、日本の歯医者の設備や技術がどのくらいアップしているのか知りませんが、ブラジルでも日進月歩で進んでいるのできっと日本もすごいのでしょうね?

 今回の歯医者さんでは事前にYouTubeの動画でこういう風に治療を行うと説明してくださいました。歯の型も銀歯はもう無いようで私の取れた銀歯を珍しそうに眺めていました。



 今は軽度の治療なら型も取らず直接ペースト状のプラスティックを少しづつ被せて青色レーザーで固めていく方法をとっています。欠けが大きめの部分は歯の強度を高めるため型をとってしっかり被せる方法でした。

 丁寧な治療で、4回で終えることができました。 治療後も目立たず今のところ快適に食事ができるようになりました。ありがたいことです。今後は歯の治療が不要になる、もしくは義歯の技術がさらに上がり、リーズナブルになったらありがたいなと思いました。

今回の治療は1200レアル!(2万5000円くらい) 歯石取りも入れての値段です。ちなみにブラジルの普通の保険には歯の治療には全く適応されません。。。。 (涙)


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2021/11/27

「報恩講に参加するとは」 ポルトガル語オフィシャル翻訳 日本語DeepL翻訳を使ってみる、Google翻訳と比較あり

ポルトガル語の次に翻訳ソフトを使った日本語があります。

さらにGoogle翻訳と比べています。


 Tomando parte na Celebração 

do Rito de Ação de Graças 

"Mesmo que tenhamos de pulverizar nossos corpos, 
Devemos retribuir a Graça da Grande 
Compaixão do Tathagata; 
Mesmo que tenhamos de esmigalhar nossos ossos, 
Devemos agradecer os Benefícios dos Mestres. "


Assim diz a letra do "Hino de Ação de Graças" que é cantado no Encerramento da Celebração do Rito de Ação de Graças. Este hino foi escrito pelo próprio Mestre Shinran e consta do final do "Hino das Três Eras" (Shōzomatsu Wasan). O Mestre Shinran ao escrever essas palavras dirigiu-se não só aos outros, mas a si próprio para não se esquecer de retribuir e agradecer sempre a Graça da Grande Compaixão do Tathagata e os benefícios dos Mestres. 

Nós, seres humanos somos aqueles que antes de tomar qualquer ação, avaliamos sempre o que é vantajoso ou prejudicial para nós mesmos, se é bom ou ruim, se é benéfico ou não, optando de acordo com nosso próprio egocentrismo. Principalmente no mundo contemporâneo onde a principal prioridade é obter lucro financeiro e até mesmo a própria vida acaba sendo medida de acordo com esse parâmetro. 

O budismo nos ensina quão doloroso é esse estilo de vida. 

Todavia, caso formos questionados se seríamos capazes de mudar esta noção egocêntrica, responderemos que isso provavelmente será muito difícil. Por exemplo, mesmo quando pensamos estar criando alguém, na verdade podemos estar desesperadamente tentando encaixar a pessoa no nosso ideal. 

O Mestre Shinran passou vinte anos da sua juventude no Monte Hiei, dedicando-se a estudos e a práticas de disciplina para purificar a sua mente. Mas, neste processo começou a enxergar o quão ela era impura. Essa consciência abriu o caminho para o encontro com o seu mestre Hōnen. Este encontro significou também encontrar o percurso histórico do budismo percorrido pelo Mestre Hōnen. 

Qualquer pessoa anseia pela vida tranquila e satisfatória, não importando em que país ou em que época esteja vivendo. E o Mestre Shinran tomou conhecimento dos precursores que também viveram em busca de paz e se espelharam nos Ensinamentos do Budismo. O caminho que encontrou era acessível para todos, independentemente das pessoas poderem ou não se dedicarem às práticas. 

Tomar ciência do passado esclarece o presente, e a reflexão da minha atitude no presente permite estabelecer as perspectivas para o meu futuro. O Mestre Shinran foi aquele que, fiel ao anseio de seus antecessores, viveu a realidade do seu tempo junto com os companheiros na construção do futuro. Ou seja, descobriu-se como um ser comum inserido no ciclo de incertezas da vida dos seres humanos e tomou parte da história do budismo. 

O rito de Ação de Graças é celebrado tendo como oportunidade o passamento do Mestre Shinran, todavia, não podemos esquecer que ele próprio viveu agradecendo os benefícios dos mestres. E ao espelharmo-nos na vida do Mestre Shinran, somos questionados quanto ao nosso próprio viver. A celebração do Rito de Ação de Graças é a oportunidade de refletirmos sobre nossa conduta diária de vida. 

A finalidade de Rito de Ação de Graças não pode ser apenas da celebração. Devemos, sim, através dela, dar o primeiro passo para a vida de retribuição e gratidão para com a Grande Compaixão do Tathagata e os benefícios recebidos dos mestres. 


Prof. Reverendo Makoto Ichiraku Docente da Universidade Ōtani

報恩講に参加するとは

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし 
師主知識の恩徳も 
骨をくだきても謝すべし


報恩講の閉会式で歌われる「恩徳讃」の歌詞にもそう書かれています。これは親鸞聖人ご自身が書かれたもので、『正像末和讃』の最後に掲載されています。この言葉を書いた親鸞聖人は、他の人だけでなく、自分自身にも、如来の大慈悲の恵みと師匠たちの恩恵に対して、常に感謝の気持ちを忘れないようにと訴えています。 

私たち人間は、何か行動を起こす前に、常に自分にとって有利か不利か、良いか悪いか、有益かそうでないかを評価し、自分の自己中心性に従って選択する者である。特に現代社会では、金銭的な利益を得ることが最優先され、人生そのものがこのパラメータで測られてしまうこともあります。 

仏教では、このような生活がいかに苦しいかを教えてくれます。 

しかし、このような自己中心的な考え方を変えることができるかと問われれば、おそらく非常に難しいと答えるでしょう。例えば、人を作っているつもりでも、実はその人を自分の理想に合わせようと必死になっていることがあります。 

親鸞聖人は、青春時代の20年間を比叡山で過ごし、勉学に励み、心を清めるための修行をしました。しかし、その過程で、いかに不純なものであるかが分かってきた。この意識が、師匠である法然との出会いにつながったのです。この出会いは、法然上人が歩んだ仏教の歴史的な道との出会いでもありました。 

国や時代を問わず、誰もが穏やかで満足のいく生活を望んでいます。そして、親鸞聖人は、同じように平和を求めて生き、仏教の教えを反映した先達の存在を知りました。彼が見つけた道は、実践できるかどうかにかかわらず、誰もがアクセスできるものでした。 

過去を意識することで現在が明確になり、現在の自分の姿勢を振り返ることで未来への展望が開ける。親鸞聖人は、先人の遺志を継いで、未来をつくる仲間とともに、その時代の現実を生きた人です。つまり、人間の人生の不確実性のサイクルに挿入された普通の存在としての自分を発見し、仏教の歴史に参加したのである。 

親鸞聖人が亡くなったことをきっかけに感謝の儀式(報恩講)が行われますが、親鸞聖人自身が師匠たちの恩恵に感謝しながら生きていたことを忘れてはいけません。そして、親鸞聖人の人生を映し出すことで、私たちは自分の人生を問われるのです。感謝の儀式(報恩講)を祝うことは、私たちの日々の生活の行いを振り返る機会となります。

感謝の儀式の目的は、お祝いだけではありません。むしろそれによって、如来の大慈悲と師匠から受けた恩恵への報恩感謝の生活への第一歩を踏み出すべきなのだと思います。


大谷大学講師  一楽 真 先生

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

感想

表題と恩徳讃の歌詞、「報恩講」以外は訂正していません。一楽 真先生の「真」が間違っていましたが、親鸞聖人、法然聖人も間違わず翻訳しています。画期的です!

画像認識はGoogleのアプリで行いました。DeepLのアプリの文字認識は使い物になりませんでした。Googleのアプリで読んだものを訂正して、段落分けもして、DeepLの翻訳機能を使いました。 翻訳は圧倒的素晴らしさです。

まだ続きがありますが、チャンネル登録、いいねをよろしくお願いいたします。

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つづき


Google翻訳です
訂正なし。

感謝祭の儀式のお祝いに参加する

「たとえ私たちが自分の体を粉砕しなければならないとしても、
私たちは偉大なる恵みを返済しなければなりません
如来の思いやり;
骨を砕かなくてはいけないのに
マスターズベネフィットに感謝する必要があります。 「」


感謝祭の儀式の締めくくりで歌われる「感謝祭の賛美歌」の歌詞はそう言います。 この賛美歌は親鸞師自身が書いたもので、「三時代の賛美歌」(翔三松和山)の最後に登場します。 これらの言葉を書いている親鸞師は、他の人だけでなく、如来の大いなる思いやりの恵みと師匠の恩恵にいつも感謝し、往復することを忘れないように自分自身に向けました。

私たち人間とは、行動を起こす前に、自分にとって何が有益か有害か、それが良いか悪いか、有益かどうかを常に評価し、自分自身の自己中心性に従って選択する人です。 主に金銭的利益を得ることを最優先する現代の世界では、人生そのものでさえこのパラメータに従って測定されることになります。

仏教は、このライフスタイルがどれほど苦痛であるかを教えてくれます。

しかし、この自己中心的な概念を変えることができるかどうか尋ねられた場合、これはおそらく非常に難しいだろうと答えます。 たとえば、私たちが誰かを作っていると思っていても、実際にはその人を私たちの理想に合わせようと必死に努力しているかもしれません。

親鸞師は、20年間の青春時代を比叡山で過ごし、心を清めるための研究と規律ある実践に専念しました。 しかし、その過程で、彼女は自分がどれほど不純であるかを見始めました。 この気づきがあなたの主法然に会う道を開いた。 この集会はまた、法然師が続く仏教の歴史的道筋を見つけることを意味しました。

国や時間に関係なく、誰もが平和で満足のいく生活を望んでいます。 そして親鸞師は、平和を求めて生きてきた先駆者たちに気づき、仏教の教えに目を向けました。 彼が見つけた道は、人々が練習に従事することができたかどうかに関係なく、誰もがアクセスできました。

過去を意識することで現在が明確になり、現在に自分の態度を反映することで、将来の展望を立てることができます。 親鸞師は、前任者の願いを忠実に守り、仲間と一緒に未来を築き上げた時代の現実を生きた者でした。 言い換えれば、彼は人間の生活の不確実性のサイクルに挿入されている普通の人として自分自身を発見し、仏教の歴史に参加しました。

感謝祭の儀式は親鸞師の死を機に祝われますが、彼自身が親鸞の恩恵に感謝して生きていたことを忘れることはできません。 そして、親鸞師の人生に目を向けると、自分の人生について聞かれます。 感謝祭の儀式を祝うことは、私たちの日常生活を振り返る機会です。

感謝祭の儀式の目的は、お祝いのためだけではありません。 私たちはそれを通して、如来の大いなる思いやりと主人から受けた恩恵への報復と感謝の人生への第一歩を踏み出さなければなりません。

以上Googleの翻訳 (訂正一切なし)

教授 大谷大学一楽真講師  ← 名前が一発であっている! ここはGoogleが優れている。

一楽 真先生 (大谷大学元教授


[略歴]1957年 石川県小松市に生れる。
          
    1980年 大谷大学文学部真宗学科卒業
          
    1985年 大谷大学院博士後期課程満期退学(真宗学専攻)
 
    現在 大谷大学教授、真宗大谷派宗円寺住職。
 
[主要著書]『大無量寿経講義ー尊者阿難、座より起ちー』、『四十八願概説』(文栄堂)、
        
『親鸞聖人に学ぶー真宗入門ー』、 『この世を生きる念仏の教え』(東本願寺)、

『愚禿の名のり』(名古屋別院)、他多数


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