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2021/09/29

それでもブラジルにも毎年 彼岸は来る。2021年9月26日

お彼岸法要はここブラジルでもお勤めされています


 コロナ騒動で世の中はまだ揺れています。昨年の秋のお彼岸はお勤めすることができませんでした。しかし今年は予防注射がほとんどの高齢者が二度打っている状況ということもあり、お勤めすることができました。ありがたいことです。

 


当たり前のことがありがたい

 とはよく聞くことですが、それを実感させてくれたのが今回のコロナだったと思います。写真ではまばらに見えるかもしれませんが、45人くらいの方々がお参りに来てくださり、めいめいお供物を持ってきてくださり、それをお供えしてお勤めをし、その後仏教のお話を聞いて、そのあとお供物を皆でいただきました。

 8月のお盆法要が30人くらいのお参りでしたので、ひと月でお参りされる方も増えたことになります。その時聞いたのですがブラジルでは70歳以上の人は3回目の予防接種が決まったそうです。


当たり前のことなんてない


 今回、皆さんと一緒にお参りをして私自身も気合が入ったような気がします。毎年のお参りのイベントをいつの間にかローテーションをこなすように迎えていたような気がします。一回一回のお参りが一生に一回の大切なお勤めだということが身に染みました。それは、このコロナ禍において人が集まることが危険で不要不急の用事は避けてください、という世間になったにもかかわらずこうやってお寺にお参りに来てくださった多くの人たちの存在のおかげです。



選別できない人生


本来の私たちの命や生活は何一つとして選別できない全てが大切なことにも関わらず、「命をまもる」「迷惑をかけない」という印籠言葉で人々の生活を分断し、逆に大切な生活や命が奪われる事態になったが、昨今ようやくその仕組みが暴かれて来たような気がする。こういう事態はコロナ以前から起こってきたことだから、逆に今回のコロナが人間の傲慢さを暴いてくれたとも言える。
 私たちの人生は裏を返せばいつも緊急事態だったのである。この苦しみに満ちた世界の岸から、あちらの共なる悟りの岸へいこう!という仏教の教えは2600年前から緊急事態宣言を発令し続けていたのである。



現代の戦争


 現代の戦争はいきなり土地を奪いには来ないし、いきなり食料を奪いに来ない、いきなり人を殺したりはしない、平和と平等と健康と笑いに包んで正々堂々と自己責任の名において人々自滅させる形で進んでいます。または宗教、愛、信仰、信心という言葉を利用してやはりまた「自己責任」「あなたが選んだんですよね?」という爆弾で人を殲滅しようとしている。そういう戦争が始まって久しいということが今の時点で確認できていると思います。
 ではどうしたらいいのでしょうか?



おはぎを食べよう

 ブラジルでもおはぎを食べることができるのを知っていますか? お彼岸の季節にはおはぎ、ぼた餅の季節でもあります。このようにして仏教の教えは季節の食べものになるくらいまで私たちの生活に浸透しているのです。現代の見えない爆弾から身を守るためにはこういう長い歴史の願いが込められた食べ物をいただくことが大事です。昔は家でおばあちゃんやお母さんが手で作ってくれたものです。おにぎりも昔は外で買うものではありませんでした。もちろん家でのおにぎりはビニール手袋なんてしないで握るのです。それが大切だったのです。たとえば、おにぎりは家で作って食べるという形で見えない爆弾から身を守ることができます。たとえば、次回のお彼岸にはお寺に行って手を合わせて帰りにおはぎを食べてみませんか?家で作ってみるのもいいと思います。その一連の行為が私たちを守ってくれます。
それがひいては世界を救うことにもなるでしょう。


最後まで読んでくれてありがとうございます。ぜひブラジルにお出での際はマリリアにお寄りください。お待ちしております、🤗

「ブラジル・シュウちゃんねる」






2021/09/26

ブラジル散歩 一緒に歩こう!カラオケ、youtubeのアクセス 少しづつお寺がきれいになってる話。2021年9月25日

 ブラジル散歩  2021925


今回散歩しながら話してる大まかな内容は


  • 門徒さんにカラオケのCD制作を頼まれる話。
  • YouTubeのアクセスは車動画がつよい!
  • お寺が綺麗に塗りなおされている話の三本立てです。


門徒さんにカラオケのCD制作を頼まれる話。


 最初は毎月10以上の曲を探してほしいと頼まれていましたが、あまりの多さに半分の5曲にしてほしいと頼んでいます。最初は日本のカラオケの歌詞をローマ字表記にしてほしいという依頼もあったのですが、それは結構大変でした。

 どうやら自分で聞いて書いた方が頭に入るらしく、その以来はなくなりました。

 しかし普通の人は年に一曲か二曲選んで一年かけてそれを習得するのですが、毎月5曲依頼する大村さんは自分以外の人の依頼を引き受けて、まとめて私に依頼している疑惑を持っています。歌の半分以上が女性歌手の歌という事からもそれが伺えます。

 確かに男性が女性歌手の歌を歌うこともありますが、限度があります。明らかに男性が歌えない種類の歌が多く入っているのでこれは間違い無いでしょう。 まあ、普段からお寺のことでお世話になっているので、私の方も少しお役に立てれば良いのですが。


YouTubeのアクセスは車動画がつよい!


私が普段上げている「ブラジル散歩」やお寺のお参りの動画があまりにもアクセスが少ないので比べるのはおかしいかもしれませんが、先日トヨタのカローラクロスの試乗動画を上げたらあっという間に1000以上のアクセスがあり、これはすごい!と感動しました。以前はサンパウロ時代のパーカッショニスタのピンパ先生のパンデイロが多くのアクセスを集めていてそれは万の単位で再生されていますが、何気なく撮影した車動画がこれほど人気が出るとは意外でした。

 今度から月一でブラジルの車の試乗動画を掲載したいなー と考えています。

私自身あと2−3年で自動支援運転付きの車がほしいと思っているのです。事故が怖いのと、ブラジルの長距離運転が少しでも楽になるとありがたいからです。

 はやく安い車にも安全装置、自動運転機能などつけてほしいなと思っています。



お寺が綺麗に塗りなおされている話



 これはまた動画を見ていただけるとわかると思います。撮っている時はその綺麗さがわかるかな?と思っていましたが、出来上がりの動画を見るとやはり綺麗になってますね!

ご門徒の寄付のおかげでお寺が少しづつ綺麗になっています。ありがたいことです。

それでは動画をご覧ください。

👍イイね、チャンネル登録もよろしく!




「ブラジル・シュウちゃんねる」




2021/09/24

カローラクロス・ハイブリッド試乗 運転支援機能を試したらすごく快適でした! ブラジルバージョンです。

トヨタ・カローラクロスの運転支援機能を試す




 日本でもカローラクロスが発売されて盛り上がっていますが、実はブラジルでは今年3月には売り出していました。しかし見た目も内装も装備も色々違うみたいですね。

 ブラジルは税金等が高いので、値段の割には装備も貧弱になるのだと思われます。それでもトヨタは人気で、ここ田舎の街マリリアにも良く走っていますよ。ブラジルでは完全にお金持ちが乗る車ですね。ちなみにRAV4やハリヤーも走っていますよ。ヤリスも人気です。トヨタの車は壊れにくく、メンテナンス代も安くなるという信頼がブラジルでもバッチリあります。最終的感想は私の愛車ETIOSに運転支援機能をつけてほしい!



生まれて初めて体感した感想(素晴らしい!)


今回はブラジルトヨタの全国大会で5回もメカニック部門で優勝した経歴を持つ肩が横についてくれました。
 説明も詳細で、しかもジェントルマンでした。自動支援運転についてはYouTubeで散々みていましたが、自分で体感したのは初めてです。経験してみるととても素直な動作で不安を解消してくれました。これなら高速でスイッチをオンにしておけば運転も楽になるし、危険も少なくなることは間違いないと感じました。YouTubeを見ているとトヨタの支援運転機能は他に比べて甘いと言っている人を何人か見ていたので見くびっていましたが、全くそんなことはなかったですよ。
 やはり、自分で実際に乗ってみるのが大事ですね。とはいえ、私はそのほかの車に乗ったことがないので、もしかしたらほかの車の機能はもっとすごいのかもしれませんね。

  • 車線はみ出しを警告して、さらに放置すると自動で戻す動作をする。
  • 高速道路では設定速度を保ち、さらに前の車との車間を適切に取る。
  • 危ない場合は自動ブレーキをかけてくれる。


うっかりものの私は、特に歳をとるとこれらの機能があると安心です。



私の車にもつけてほしい!(安い車にも)


 あまり大きな車はいらないので、今の私のEtiosにこの自動支援や安全装備をつけてほしいです。たしかにカローラクロスは室内も静かでハイブリットでいいのですが、如何せん私には値段が高過ぎて手が出ません。きっとここ数年でお手頃な値段の車にも自動支援や安全機能が付くと思っています。高級車だけではなく例えば日本なら軽自動車にもどんどんこの素晴らしい機能をつけてほしいですね。

 あと、意外だったのが、私の愛車TOYOTAエチオスもかっちり作ってあるのだと感心しました。運転していてカローラクロスと比べても全体的質感は変わりませんでした。 車体が小さい分取り回しもいいし、ハイブリッドのカローラクロスと燃費があまり変わらないのは意外でした。。。。

 

それでは動画をごらんください。


「ブラジル・シュウちゃんねる」



まとめ

トヨタのカローラクロス・ハイブリッドをブラジルで試乗しました。今回は主に運転支援機能を試させてもらいました。
 一言素晴らしかったです!これがあれば安全ですし、長距離運転でも疲れにくいと思いました。広大なブラジルでこそ威力を発揮すると思います。

ほしい!もっと安い車にもつけてください!!!!!



そのほかの車関係のブラジル日記




ブラジルの自動洗車機で愛車トヨタ・エチオスを洗ったhttps://www.brasilsanpo.com/2021/08/blog-post_27.html







2021/09/20

ブラジルの僧侶、ジアンさんからのメッセージ「宗教と差別」  “Religião e Discriminação” Rev. Jean Tetsuji

 今回はブラジルのお坊さんジアン哲慈さんのコラムを紹介いたします。彼はレインボーサンガという宗派を超えて連帯し、差別をなくす運動をここブラジルで展開しています。 とても柔和な方で、イケメンです。
 僧侶になる前からエアーフランスの客室乗務員をなさっています。そのジアンさんが、サンパウロ別院の発行しているお便りに、差別と宗教というテーマで連載を始めました。
 いったいブラジルの現在のお坊さんは、この現代社会においてどのように仏教を学び、それを発信しているのでしょうか? 
その一つの答えがこのコラムを読めばわかると思います。
ポルトガル語の勉強にもなると思います。ぜひ読んでみてください。 
連載です。

ブラジルの別院サイト・オフィシャル

(過去の別院だよりも、このサイトにあります)

Rainbow Sangha - Budismo LGBT+

ブラジルの差別に反対するサイトです




 “Religião e Discriminação”

Rev. Jean Tetsuji

   Olá a todos, como tem passado? Espero que bem! Na edição anterior, a pedido do Rev. Masato, começamos a falar sobre discriminação impulsionado por sua reflexão com as frases “isso é Budismo Shin, aquilo não é Budismo Shin”. Dentre várias causas que me faz pensar nesse tema, comecei por aquela produzida pelo medo. Hoje pretendo falar pela comparação e julgamento daquilo que se acredita ser errado/certo ou melhor/pior pelo simples fato de ser diferente. Problemas de xenofobia (aversão ao estrangeiro) são assuntos espinhosos em vários países europeus por conta dos refugiados de guerra e conflitos sociais. Vemos ao longo da história humana, e mesmo atualmente, denominações religiosas impondo-se como superiores e únicas adotando uma atitude julgadora invalidando crenças alheias. A isto chamamos de intolerância religiosa, felizmente mitigada por leis. Ao discriminar, perdemos uma parte do nosso valor como humanidade. 
Entendo que a comparação também seja uma das bases para a discriminação. A comparação provoca uma mistura de sensação de insegurança com a certeza da superioridade ao perceber as diferenças entre si e o outro comparado. Das diferenças vem os critérios, os julgamentos, os rótulos, os valores e classifica o outro por sua régua referencial. O Buda Shakyamuni nos esclarece sobre a construção da percepção da realidade e da identidade do eu pelos Cinco Agregados (Skandhas): forma, sensações, percepções, formações mentais e consciência. É por meio deles que interagimos na experiência da vida na condição humana. A criação deste eu produz apego à existência, contempla a si de tal forma que nos lembrar o mito grego de Narciso, e do apego resulta o temor ao outro como fosse uma ameaça potencial. A somatória da comparação, do medo e do julgamento deriva à discriminação. E o resultado leva ao sofrimento e a violência (mental e físico) e mesmo ao suicídio. Certamente, o assunto é inesgotável e nosso espaço aqui é curto e convido-os a desenvolver o tema junto às suas comunidades e templos.  Como budistas, precisamos aprofundar o assunto e promover a não discriminação em nossa sociedade. 
A base dos sofrimentos possui a régua das comparações, isso é fato. Comparamos o tempo todo, em pequeno, médio e alto grau. Basta ir a uma academia de musculação, à feira escolher a melhor fruta ou pensar a qualidade de vida entre países. Na França renascentista, as salas de espelhos dos palácios permitiam os convidados trocar olhares para saber como estavam vestidos e com quem estavam acompanhados. A vaidade e o orgulho são irmãs da comparação e do julgamento e primas da discriminação. E você, quando se depara com uma outra pessoa ou situação diferente da sua referência de vida, que pensamentos vem à mente? Como você reage a eles? Um abraço e até a próxima edição. 







「宗教と差別」 

ジェアン 哲慈(てつじ)

皆様、お元気のことと存じます。前号から真人先生の提案で、「これは真宗である、これは真宗ではない」というような言葉をもとに、差別について 考える機会を頂きました。そして、前回は、このテーマについて考えさせられるいくつかの原因の中で、差別は恐怖によって生み出されるものということを話しました。 
今回は比較と判断をもとに、ただ異なっているという 単純なことで、何が間違 っているか正しいか、あるいは良いか悪いかを 評 価している事について話そうと思っています。 
  外国人の排除という問題があります。それは特に戦争や紛争、そして難民など のような問題であり、ヨーロッパのいくつかの国で深刻な問題となっています。 
また、私達は人類の歴史を振り返り、今日に至るまで、他者より優れていると思い込み、他人の信念を 蔑 ろにするような 宗 教 宗 派を見てきています。このようなことは 宗教的不寛容と呼びますが、幸いにもそういう他人を排除するような思想は、法律によって少しだけ抑制されています。差別することによって 私達は人類としての価値の一部を 失ってしまっています。 
 私は、比べることも差別の根拠の一つだと理解しています。自分と他人との違いを認識するとき、劣等感と自分が優れているという優越感のような複雑な気持を引き起こします。その違いから基準をつくり、判断し、レッテルを貼り、価値付けをして、自分の物差しで人を分けてしまいます。 
 私達が現実と自己の存在 証明や、自分らしさを知覚することは、五蘊によって作り上げられているとお釈迦様は教えて下さっています。五蘊とは物質、感覚、知覚、意志、そして心です。 私 達 は人間として生活するにはこれを通して人との関わりを体験しています。この自己というものを作り上げ、自己の存在への 愛 着 を生み出すことについては、ギリシャ神話のナルキッソスを思い出させられます。愛 着 によって他者への恐れが生じ、比較と恐れと決めつけが入り交ざり、差別につながると思います。その結果が、苦しみと、精神的、肉体的暴力 、さらには自殺にまでにつながっていくのでしょう。
 このテーマは膨大です。ですので、限られたスペースだけではなく、是非ともコミュニティーやお寺で、このことについて話し合うことをお願いいたします。 仏教徒として、この問題をより深め、無差別な社会を構成するように努めていか なければならないと思います。 苦しみの根源に、比較というものがある事は事実です。大なり小なり、 私達は常に比較しています。例えばジムの中、おいしそうな果物を選ぶ時、国別の生活水準 のことなどでも比較します。ルネサンス期のフランスの 宮 殿 の 鏡張の部屋には、ゲストがお互いの洋服を見比べ、そして誰と一緒に来ているかを確かめ合うようなことをしていました。それは虚栄心とプライドで比較し、判断し、差別を促すようなものです。 それでは、みなさんは不慣れな状況や、いつも接している人以外と出会った時、どのような考えが浮かびますか? そういった人達に対し、どのような態度を示しますか? 
 
それでは、次回まで!お元気で! 



「ブラジル・シュウちゃんねる」

 

2021/09/19

6ヶ月前のブラジル🇧🇷散歩 (思えばこの日を境に更新が途絶えたのでした)

ブラジル🇧🇷散歩



 iphoneの動画を整理していたら出てきた動画をアップしました。振り返れば2月末にデング熱にかかり、その影響で3月半ばには五十肩が発症してなかなか治らず今に至っているのでした。昔の映像を自分で見ると意外と新鮮な気持ちになりました。
 動画を視聴したら健康にすごく気を使っているのがわかります。今はようやく肩も治り体力も回復してきましたが、引き続き気をつけて過ごしていこうと思います。

過去動画を保存するのもいい


 ここ10年以上前から断捨離なんて言葉も流行って、モノも心も、データーも捨てていく方向へ私もシフトしていたのですが、こういう何気ない日常の動画を取っておくのもいいかもしれないと思いました。YouTubeはGoogleが倒産しない限り過去動画が存在し続けるはずなのでありがたいことです。
 この前Googleマップを見てびっくりしたのですがタイムマシンのように昔のお寺の写真が出てきて感動でした、2011年当時のお寺の様子を見ることができるのです! すごいですね。

気をつけても病気になる時はなる


 しかし、この動画は4月8日の動画なので5ヶ月半前の動画ですが、実は病気になる前から散歩したり、食事にも気をつけていました。しかし蚊が媒介するデング熱にかかってしまい、その影響で体力も落ち五十肩に発展して辛い数ヶ月間を過ごすことになりました。それでもヤケにならず食事も気をつけて、いろんな病院に行ってマッサージや整体師、鍼治療、アユルベーダなどに行って助けてもらいました。
 妻のファビアにもなにより助けられました。50歳も過ぎて非常に考えさせられました。仏教では四苦、八苦といって人間が避けられないこの世の苦しみを挙げていますが、その一つが「病い」なのですが、その言葉が身に染みるような出来事でした。

 現在はコロナも依然として世界中で問題になっていますが、実は他にもたくさんの病気があって、人間は苦しんでいると思います。現代のように医学が発展していてもこんなもんなんだな。と思いましたし。たくさんの治療してくれる人によくしてもらって、ありがたい。と感謝したり、絶望したりしていました。
 いずれにしても病気になる時はいくら健康に気をつけていてもなるのだということも厳しく体験した事です。
 とはいえ、それで絶望せずに食事や運動をして自分の体と対話しつつ節制する方向へ進んでいこうと思っています。また病気になるにしても、そちらの道の方が自分に合っていると感じたのです。
 

ブラジル🇧🇷散歩お付き合いください


 というわけで、最近散歩をしながら動画を撮る体力と気力が戻ってきたので、ブラジルの田舎町の何気ない風景とともに、何気ないお話をしながら散歩を再開いたします。よかったら一緒に散歩お付き合いください。おしゃべりしながら歩きましょう。



ブラジル散歩復活!?

「ブラジル・シュウちゃんねる」


2021/09/18

開封! 初めての中国のカップ麺を食べてみたら想像を超えてとてもおいしかった!

初めて中国のカップラーメンを食べました。


ブラジルのショッピングセンターで買ったカップ麺が中国製でした。食べてみたら美味しさにびっくり!ブラジルで買うと輸入品なので結構高いですが、また他の味に挑戦してみたくなる味わいでした。





2つのダシで本格中華の味を

 動画を見ていただけるとわかりますが、結構ボリュームもあって食べ応えがありました。若者でも十分なのではないでしょうか。年寄りでも味がいいので完食しました!
2種類のソースがいい味を出してると思います。粉系はスープ、トロッとした(私は後で入れました)ソースは中華のスパイシーな香辛料が練り込んであったと思います。 お湯の量ですが私はカップの内側にある印まで入れたところ、ちょっとスープが多すぎるのでは?と思いました。というのはブラジルの日清のカップ麺は日本に比べてお湯の量を少なく入れるように設定してあるのです。
 この中国のカップ麺は日本よりもたっぷりのお湯の設定なのです。それでこれは味が薄まるのでは?と思いながら食べたところピッタシ! ここら辺の塩梅は人それぞれなのでカップ麺の達人は自分の好みに調整してみてください。最初に少なめに入れると後で調整が効きますよ。濃すぎたら足せばいいだけなので。

麺も本格!美味しかった!

 私はここ20年くらいはもうカップ麺をあまり食べなくなったので知らないだけかもしれませんが、麺がむちゃくちゃ本格的でした。細麺でツルッとしてて、コシもあるんです! 正直ブラジル日清のカップラーメンより美味しいと感じました。
 いや、あくまでも個人的な感想です。でも正直な感想です。

他に気がついた点

 カップ麺を開けたら折り畳み式のフォークが出てきてびっくり!これだと外で買ってもお湯さえあればどこでも食べることができますね。でも日本だと箸とかつけてくれるけど。もちろんブラジルではつけてくれません。レジにあったとしても有料で買います。
 あとはできたら具にカップ麺の表紙に書いてあるようなお肉があったら完璧!
でもそれは贅沢ですね。日清のカップ麺のように謎肉とネギの切れ端みたいなのだけでした。

 最近は日本にも中国のカップ麺が売ってるのでしょうか?もし見かけたらぜひ挑戦してみてください。侮れない中華の本格ラーメンの味わいがあると思います。
 ただし私は魅力的に思った香辛料の香ですが、この独特の香りが苦手な人もいるかもしれません。
 ぜひ一度はお試しください。

 トッピングにお肉や野菜を足すともっといいでしょう。その際はお湯の量を調整するのを忘れずに!

それでは動画を見てください


「ブラジル・シュウちゃんねる」


今の日本のカップ麺も進化してるのでしょうね。


買った時の動画

 

2021/09/17

Noteより、毎日ブラジルより、お朝勤と仏教のお話 (noteの宣伝)

今日のブログは、いつもは私のもう一つのブログnoteに書いている内容です。

本職はブラジルで僧侶をしているので、毎朝のお勤めのお今日のリンクとその後のお話のノートをnoteにシェアしているのです。

 noteのいい点はとてもシンプルで名前の通りテキストが読みやすい点です。それが今日は珍しいことにアクセス不能になっていたので、私のブラジル生活の日常を記しているブログに急遽貼り付けさせてもらいました。

 もしよかったらnoteの方もアクセスしていみてください。毎朝(ブラジル時間)お勤めと法話をしています。下手ではありますが、ポルトガル語でも話させてもらっています。テキストもあるので、特殊ではありますが、ポルトガル語の勉強にも役立つと思います。

https://note.com/izushu/n/nc7ec4cd9d706


ここからがいつものnotoの内容です。


おはようございます

今日は観無量寿経です

http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E_%E8%A6%B3%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C



O Sutra da Contemplação da Vida Imensurável

http://jodoshinshu.com.br/budismo-terra-pura/sutra-da-contemplacao-da-vida-imensuravel/


 サンパウロ 真宗大谷派 ブラジル別院 南米本願寺

20219月号より

http://amida.org.br/quem/





“O que é ser budista?“ 

                               

Sr. Oscar Tsuneki Sakuraba 


    Sou nissei nascido em 1950 como quinto filho do total de oito. Mas meu irmão mais velho e o terceiro irmão já tinham falecido quando nasci. Dizem que, em 1941, quando o primeiro filho faleceu com 40 dias de vida, meu pai escreveu 南無阿彌陀佛 (NAMU AMIDA BUTSU) num pedaço de tábua e o ergueu sobre uma caixa para transportar laranja e todos juntos realizaram a cerimônia fúnebre. Como naquela época ainda não havia um monge do Budismo Shin no Brasil, ouvi dizer que o meu avô materno oficiou a cerimônia budista como se fosse um monge e que a partir daquele dia, ele passou a receber chamado sempre que surgia um funeral na vizinhança. Já me perguntaram várias vezes se eu era budista, desde a época em que frequentava a escola primária localizada no meio do cafezal. Acho que sempre respondi que sim. 

Entretanto, pensando hoje aos 71 anos de idade, às vezes tenho dúvida se realmente sou um budista. A minha rotina diária começa com a realização do ofício budista junto com a minha esposa e minha irmã mais nova. Encerramos o ofício ouvindo a pregação transmitida pelo rádio, cuja gravação consta no site do Santuário Central em Quioto. Depois, no entanto, quase nunca me lembro das pregações ouvidas e passo o tempo restante do dia, sofrendo com os fatos que ocorrem em desacordo com o que gostaria que acontecessem. Sempre que reflito sobre esse meu comportamento, surge a dúvida se isso é de fato uma atitude de uma pessoa que quer se tornar buda. Nos dias atuais, de vez em quando me vem à memória a pregação ouvida num Congresso Dôbô que participei há anos, quando o mestre nos ensinou: “Tornar-se buda recitando o Nenbutsu, eis o que é o Budismo Shin”. 



「仏教徒とは」

櫻庭 恒喜(つねき) オスカル 


 私  8人兄 弟の 5番目として、1950年に生まれた日系二世です。⻑ 男と三男 の兄たちは、  が生まれたときには、既に亡くなっていました。1941年に、  が生後40で亡くなったときには、父が「南無阿彌陀佛」と板切れに書き、 ミカン箱の上に立てて、みんなでお葬儀のお勤めをしたそうです。ブラジルには、    の僧侶がいなかった時代だったので、母方の祖父が導師の代わりをし、 以後、祖父は近隣に葬儀が出ると呼ばれるようになったと聞いています。コーヒー 園に囲まれた    へ通う頃から、「あなたは仏  ですか」とよく聞かれまし た。その都度、「はい」と答えたと思います。 

 けれども、現在71歳になって  えてみると、本当に  は仏  徒なのだろうかと疑問に思ったりします。毎朝、妻と   3でお勤めをして、最後に本山の サイトのラジオ法話を聞くことで始まる毎日ですが、その後、聞いたお  はほとんど思い出さないまま、夜休むまで自分の思い通りにならない暮らしに悩んでいる自分を振り返るたびに、これが本当に仏になりたいと願う者の 姿 なのかなとつい疑 ってしまいます。

  以前、同朋大会で「お念仏して仏に成る、これが真 宗」だと教えてくださった先生のお  が、たまには思い出される今日この頃です。 



「ブラジル・シュウちゃんねる」

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今日はブラジルでも母の日でした。おめでとうございます!いつもありがとうお母さん。🙏

 今日はブラジルでも母の日でした。私たちは、妻ファビアの実家でこの特別な日をお祝いしました。ブラジルでは、母の日には教会でお祈りを捧げ、お墓参りをして故人の母親を偲ぶことが多いです。その後、家族が集まって食事を楽しむのが一般的です。サンパウロ別院のお寺では、納骨堂も設置されており...

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